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モヒートに使うミントは新鮮さが命だ。ジョンはアヴァルカンミントの鉢植えを望んでいたが、厳格な検疫体制を敷かれているアウステラでそれは難しい。妥協案として、容器に満たした水に差して新鮮さを保ちながら運ぶことになった。
当然、輸送期間は短いほどいい。先にクルバ島へ向かい、その後にアヴァルカ半島へ向かうルートに決まった。その際、シャイア領であるクルバ島へアルメアの国籍マークを付けたまま飛んでいくのは具合が悪い。ルウィンダ港の整備工場に機体を持ちこみ、ルーシャの国籍マークに書き換えてもらうことにした。
「ユベール、国籍はルーシャでいいのか?」
塗り替えを待つ間にフェルが尋ねる。
「よくない。そもそも国籍マークを偽るのは違法行為だ」
「……彼らはそれを知っているのか」
「アルメア人の持ち主がルーシャ人に売り渡したと説明したが、口実だってことは承知の上だろうな。急ぎの仕事だし、ずいぶん吹っかけられたよ」
「どうせ違法なら、ルーシャじゃなくてもいいのでは?」
フェルは国籍マークと自身の出自が結びつかないかを気にしているのだろう。
「真っ赤な嘘はバレやすい。その点、フェルがルーシャ人なのは本当だから誤魔化しが利くし、占領の影響で混乱が続いてるから照会でバレる可能性も低い。付け加えるなら、今のシャイアとアルメアを続けて訪れて問題ない国が思いつかなかった」
「……分かった。いいだろう」
渋々といった体でうなずくフェルに苦笑し、作業の完了を待った。完全に乾くのを待つ時間も惜しかったので、飛んでいる間に塗料が流れるのを覚悟で出発する。
昼前に飛び立って、日が沈む前にクルバ島が見えてきた。上空からでも、クルバ島でもっとも栄えるクルバ・ティエラの猥雑で密集した街並みは見て取れる。しかし降りるのはここではない。島の外周に沿って飛ぶと、十分ほどで街の灯が見える。
「ラバンドルート。ラムの醸造所があることで有名な街だ」
「ここに降りるのか?」
「そうだ。シャイア政府の監視はもっぱらクルバ・ティエラに向いてるから、トラブルに巻きこまれる危険も少ないはずだ。さっさと仕入れて、明日には発つぞ」
「了解した」
貿易港であるクルバ・ティエラと比較すると、港は寂れている。ラバンドルート醸造所のラム酒は陸路でクルバ・ティエラに運んでから出荷されるので、停泊しているのは漁船が中心だった。こういう場所で水上機は目立つ。以前の仕事でティエン・ホウから紹介された整備工場と渡りを付けて、ギルモットを預ける。明日は市場が開いたら仕入れを済ませて、すぐに飛び立たなければならない。宿を取って早めに休もうと思っていたら、フェルに袖を引かれた。
「ユベール、街を見て回れないだろうか」
「もし雲行きが怪しくなったら切り上げるぞ」
「了解した」
ラバンドルートの中心部はそこそこ賑わっていた。クルバ島の人間は総じて気性が荒く、抜け目ない性格をしている。道端で始まった殴り合いのケンカはたちまち賭けの対象となり、観衆が盛大なヤジを飛ばしていた。
「彼らは船乗りなのか?」
躍動する筋肉と日に焼けた肌を見て、フェルが質問する。
「クルバ島の歴史について調べたろ? シャイア領になる前、クルバ島は『海猫』と呼ばれる海賊が支配する海賊王国だった。漁師、商人、探検家。船を操るあらゆる人間がこの島に集い、時と場合に応じて海賊に鞍替えしたんだ。当時のシャイア水軍は弱体で、海賊に対してほとんど有効な手が打てなかったからな」
当時、シャイア水軍は陸軍を補完する位置づけでしかなく、外洋を自在に航海するクルバ島の海賊には太刀打ちできなかったとされる。
「状況が変わったのはシャイア中興の祖、ヨン・レティ帝が即位してから。彼は自前の水軍では敵わないと悟るや、臣下の反対を押し切り有力な海賊に私掠免許を与えて各地の港での補給も許可した。海賊同士で反目させ、不和を煽ったんだ」
海賊のほとんどは目先の利益で動く。クルバ島を支配する『海猫』の下、緩い連帯で繋がっていた海賊たちは互いに喰らい合い、力を削がれていった。
「もちろん、私掠免許を与えた海賊が大人しく海賊だけを襲うわけもない。無関係の商船や港町も襲われ、略奪され続けた。ヨン・レティ帝はその出血に耐えつつ、地道に海賊の力を削いでいった。そして機を見計らって、安心して帰れる母港と豊富な補給に飼い馴らされた海賊を自国の水軍に組みこんだんだ。晴れて外洋を航海する能力と、敵船舶の追跡と拿捕に関するノウハウを手に入れたシャイア水軍はクルバ島の制圧に乗り出し、あっけなく占領。今に至るってわけだ」
「だが、この島は今も独自の文化を残しているように見える」
フェルの観察は正しい。占領されて流入したシャイア文化は海賊たちが築いた文化と混じり合い、今ではクルバ風とも呼べる独特な文化となっている。ラム酒の醸造や、その原材料であるサトウキビの栽培が盛んなのもその一例だ。
「そうだな。こうなった理由はいくつかある。分かるか?」
「中央との距離、そして貿易による人と物の流入。海がもたらした恩恵か」
「加えて、その来歴から皇帝への忠誠心も皆無となれば、反乱を恐れる中央はあまり厳しく取り締まれない。討伐軍の遠征には莫大な金がかかるし、貿易でもたらされる物品と利益は中央にとって欠かせないものになっていたからだ」
話している内にケンカも収まり、殴り合っていた二人は腫れ上がった顔のまま肩を組んで酒を酌み交わしている。一方、二人の勝敗で賭けをしていた連中は判定を巡って言い争い、新たに乱闘が始まりそうな気配が漂っていた。
「こういう道も、あるのだな」
考えこんでいた様子のフェルが大きくうなずく。
「勉強になった。ありがとう、ユベール」
「もういいのか」
「少し歩いて、夕食を済ませないか?」
「分かった。クルバ島の屋台はどこも美味いぞ」
「楽しみだ」
*
翌日も綺麗に晴れ渡った天気だった。早朝から開いている市場を回り、カクテルに使えそうな材料を買い集める。最後に酒屋へ立ち寄り、本命であるラバンドルート社のアニス入りラムと、他国では手に入りにくいシャイア酒を何本か購入した。
「これもラムなのか?」
シャイア文字の記されたラベルを見て、フェルが首をかしげる。
「こいつは金華佳酒だ。香りのいい金華桂の花冠を白ワインに漬けこんだシャイアの酒で、すっきりした甘さと華やかな香りがシャイア人に好まれる」
「他にも色々あるようだが、買わなくていいのか?」
棚にずらりと並ぶ陶器の瓶を興味深そうに眺めていたフェルが尋ねた。
「酒は酒でも、シャイアの酒は漢方薬を漬けこんだ薬酒が多い。癖と主張が強過ぎて、非シャイア圏でカクテルの材料に使うのは難しいんだよ」
「アクセントとしてなら使えるのでは?」
「試してみるか?」
店主に頼んで、適当な薬酒を試飲させてもらう。彼女は強烈な臭いに怯みつつも、言い出した手前もあってか覚悟を決めた様子で液体を口に含んだ。しかし、どうしても呑みこめなかったのか、湯飲みに吐き出して顔をしかめる。
「すまない。前言を撤回する。店主に謝罪の言葉を伝えてくれ」
幸い、店主はよくあることだと笑って許してくれた。時間もないのでそのまま整備工場へ戻り、荷物を積みこむ。小型の水上フロート機であるギルモットに貨物スペースなど存在するはずもなく、フェルの足下など空いた場所にむりやり詰めこむ格好だ。分かってはいたが、やはりこの機体では輸送業務は難しい。
「狭いだろうが、我慢してくれ」
「構わない。出発してくれ」
アヴァルカ半島を目指すに当たって、ふたつのルートを検討した。クルバ島からアヴァルカ半島へ飛ぶ最短ルートと、南央海の中心に浮かぶケーフィランドを経由する迂回ルートだ。前者はアルメア軍かシャイア軍に発見されて不審機として撃墜される危険があり、後者は飛行距離がほぼ倍になって時間のロスが大きい。
「大丈夫だ。もしもの場合は、わたしに任せて欲しい」
安全を取って迂回ルートを提案したユベールに対して、フェルはそう請け合った。彼女の言葉を信頼するかどうかなど、もう考えるまでもない。
クルバ島には良港が多い。ラバンドルート港もその例に漏れず、沖合に出るまで波は穏やかだ。フロートも含めて限界まで燃料を積んだ機体にとってはありがたい条件と呼べる。ギリギリまで滑水して、何とか機体を持ち上げる。
「燃料を満載して空中戦なんて考えたくもない。索敵を頼むぞ、フェル」
「シャイア機なら迎撃しても構わないだろう?」
「頼むからやめてくれ。借り物の機体だってことを忘れるなよ」
どこまで本気なのか分からない彼女の軽口にため息をついて、長距離飛行に備える。退屈な洋上飛行において、軽口を叩ける相棒の存在は何よりも大切だ。
「のどが渇いたからって商品に手を付けるなよ、相棒」
「了解した。ユベールが秘蔵しているライフテイカーの三十年ものにしておこう」
思わず操縦桿を握る手が乱れた。
「冗談だ、ユベール。操縦に集中しろ」
「フェル、お前な……くそっ、降りたら覚えてろよ」




