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「で、話ってのは?」
やや疲れた様子のマスターが煙草をふかし、不機嫌そうに問う。店で長話するわけにもいかなかったので、仕事上がりの彼を人気のない海岸線に連れ出したのだ。
「単刀直入に言おう。カクテルコンペで俺たちと組まないか?」
ユベールの言葉に、マスターは疑わしげに目を細める。
「俺にメリットは?」
「コンペで求められるカクテルの傾向を掴んだ。知りたくないか?」
「ガセネタじゃないのか」
「主催者が誰かも特定できている。俺たちと組めば必ず優位に立てるぞ。独立するためにも、コンペに勝って賞金を手にしないことには始まらないだろう?」
「勝たなきゃ意味がないって点には同意だ。しかし素人のあんたたちが有力な情報を掴んだと言われても、にわかには信じられない。分かるだろ?」
「確かに、俺たちは飛行機乗りで、カクテルに関しちゃ素人だ」
マスターは、ユベールを賞金のおこぼれに預かろうとする情報屋だと思っている。まずはその誤解を解かなければならないだろう。
「俺たちがマスターに提供できるものはふたつある。ひとつは情報。主催者に関する確度の高い情報と、コンペで求められるカクテルの傾向。もうひとつは、そのカクテルの作成に必要な材料の調達能力だ。どうだ、興味はないか?」
マスターの目が真剣味を帯びる。
「で、あんたらはその情報をいくらで売りつけるつもりなんだ?」
「五百万。マスターと俺たちで賞金を山分けだ」
「おいおい、そりゃふっかけ過ぎだろ。実際にカクテルを作るのは俺なんだぜ?」
「必要な材料が揃えば、の話だな」
「ふん、飛行機屋なら開戦で輸入が滞ってるのも把握済みか」
「俺たちは情報と材料の調達。マスターは技術とセンス。利害は一致するはずだ」
マスターがため息をつき、肩をすくめる。
「分かった、ごねるのはこれくらいにしとこう。いいぜ、トリオ結成といこう」
「ありがとう、マスター」
「最後にひとつだけ。なぜ、俺と組もうと思った?」
その問いに答えたのはフェルだった。
「マスターが飲ませてくれたオリジナルカクテルが美味かったからだ」
彼女のストレートな褒め言葉に、マスターの表情がふっと緩む。
「バーテンダーの口説き方を心得たお嬢さんだ。気に入ったぜ」
マスターはくわえ煙草のまま、握手の手を差し出してくる。
「ジョン・フォリナーだ。ジョンと呼んでくれ」
思わずフェルと顔を見合わせてしまい、マスターが不審げな表情になる。
「どうした?」
「いや、何でもないさ。ユベール・ラ=トゥールだ。よろしくな」
「フェル・ヴェルヌだ。よろしく」
握手を交わし、深夜営業のダイナーに場所を移す。軽い夜食を摂りながら、調査結果を説明した。ジョン・フォーの名前が出て、ジョンが納得したようにうなずく。
「なるほど、ジョン・フォーか。学校で習った覚えがあるな。俺の名前に似てるんでよく覚えて……ああ、さっき笑ってたのはそういうことか」
「すまない、気を悪くしないでくれ」
フェルが謝罪すると、ジョンは笑って応じた。
「怒っちゃいないさ。それにしても、おもしろいところに目を付けるもんだ。テーマが設定されてないのは不思議に思っていたが、主催者名がヒントとはな」
「状況から見て、ジョン・フォー・トレードはシャイア人の富豪、ティエン・ホウが設立したペーパーカンパニーで間違いないだろう。彼の好みを踏まえて、ジョン・フォーにちなんだカクテルを作ればコンペでは優位に立てるはずだ」
「ジョン・フォーにちなんだ、ねぇ。すぐには思いつかないな」
「彼が発見した各大陸の食材を使ってはどうだろうか」
フェルの提案を聞いて、ジョンが難しい顔をする。
「それだけだと組み合わせが膨大な数になる。もう少し方向性を絞りたい」
「具体的には?」
「ユベール、あんたはティエン・ホウと面識があるんだよな。どういうカクテルを好むか、いつも頼むカクテルはあるか。知ってる限りでいい、教えてくれ」
「あくまで仕事上の付き合いで、飲み友達ってわけではないからな……だが、そうだな。冬でもモヒートを頼んでいたのは印象に残っている」
「モヒートね。常夏のアウステラならともかく、冬のシャイアで好んで飲むなら相当好きなんだろうな。なるほど、とっかかりになるかも知れんな」
「ここにジョン・フォーの航海図を写してきてある。参考になるか?」
「見せてくれ」
ユベールの差し出した航海図をしばらく眺めていたジョンが、二人にも見えるようテーブルの上に広げた地図の二点を指差す。
「アヴァルカ半島のアヴァルカンミント、クルバ島のラバンドルート蒸留所で作られたアニス入りラム。このふたつは確実に入手してくれ。他にもカクテルの材料として使えそうなものがあったら仕入れて欲しい。モヒートは案として悪くないが、シンプルなレシピだから似たものが出てくる可能性もある。代替案も用意したい」
「アヴァルカ半島にクルバ島か……」
ジョン・フォーの故郷であるクルバ島と、彼が発見したアヴァルカ半島の材料を使ったカクテルなら、コンペに出すには申し分ないだろう。だが開戦直後の二国、しかも戦場からさほど離れていない場所を訪れるリスクは決して小さくない。
特にフェルにとっては、故郷を侵略した敵国の訪問となる。彼女がそれをどう受け取るかはもちろん、シャイア側がフェルに気付く危険性が無視できない。仮に見つかった場合、よくて拘束、悪ければ警告なしでの殺害もあり得る。魔法により単独で大災害を引き起こせる冬枯れの魔女の名前は、それだけの重みを持つのだ。
「ユベール、行こう」
「いいのか?」
酷くあっさりとしたフェルの言葉に思わず問い返してしまってから、ジョンのいる場で少々迂闊だったと気付く。幸い、ジョンは気にする風もなかった。戦争中の国を訪れる危険を指しての発言だと受け取ったらしい。
「わたしは大丈夫だ」
「分かった。お前がそう言うなら、いいだろう」
この場で真意をただすわけにもいかず、そう答えるしかなかった。
「話は決まりだな」
ジョンがぱちんと手を打ち合わせる。
「俺は帰って一眠りしたら、カクテルの試作に入る。連絡先を渡しておくぜ」
「こっちも準備ができ次第、出発する。一週間ほどで戻ってこれるはずだ」
「ミントは鮮度が命だ。生きのいいやつを持ってきてくれよ」
「分かった。任せてくれ」
*
ジョンと別れ、フェルと二人で人気のない港を歩いていた。
アウステラの空は雲が少ない。見上げた先にあるのは、絵の具を塗りたくったようにのっぺりとした青空か、星々に埋め尽くされた夜空の輝きのどちらかであることがほとんどだ。例外は日に二度、日の出と日没の時間帯に訪れる。
ギルモットを係留してある桟橋に着いた。東の空は薄青に染まり、水面が煌めく。刻々と様相を変える空は、濃紺から紫を経て黄金の朝焼けに染まりつつあった。
「ユベール、怒っているのか? 難しい顔をしているぞ」
どう切り出すか迷っていると、そんな風に言われてしまった。
「別に怒ってるわけじゃないさ。ただ、分かってると思うがクルバ島はシャイア領だ。中央の支配が届きにくい辺境で、独立不羈の気風もあって外国人にも寛容な土地ではあるが、開戦した今となってはどうなってるか読み切れない部分もある」
ユベールの言葉を真剣な表情で聞いていたフェルが口を開く。
「わたしがシャイアを攻撃しないか心配なんだろう?」
問いかけられて、ぐっと言葉に詰まる。その懸念はもちろんあった。
「図書館でクルバ島について調べた。元々そこにあった王国は滅ぼされ、シャイアに併合された……ルーシャやユーシアと同じ歴史をたどった国だと」
「その通りだ。もっとも侵略と言っても五百年以上前のことだがな」
「だからこそ、興味がある」
「興味?」
「そうだ」
続く言葉が中々出てこなくてもどかしげなフェルがルーシャ語に切り替える。
『わたしはユベールと一緒に旅をして、他の国に取りこまれたり、滅ぼされたりした国や民族をいくつも知りました。ルーシャのことも、きっと歴史的な視点で考えれば珍しいことではないのでしょう。数百年後、初めからそうであったようにルーシャがシャイアの一地方となっている未来も、あるのかも知れません』
「……あるいは、そういう未来もあるんだろうな」
頭に思い浮かんだのはレジスタンス『眠れる獅子』のことだ。ユーシア王国が滅びて十年が経ち、かつての王国時代を知らない子供たちも増えている。ようやく生活を再建できた者にとっては、シャイアによる報復と弾圧を招くレジスタンスの活動を疎ましく思う者もいるだろう。このままでは彼らに未来はない。
『この先、戦争が激化すればシャイア領を訪れるのはますます難しくなるでしょう。そうなる前に、クルバ島をこの目で見ておきたいのです。わたしのわがままで、相棒である貴方まで巻きこむことになってしまって申し訳ありません。ですが、どうかお願いです。ユベール、わたしと一緒にクルバ島へ飛んでください』
フェルはそう言って頭を下げた。
「……そこまで言われて、断れるかよ」
『では、一緒に来てくれるのですか?』
フェルがぱっと顔を輝かせる。
「仕事だからな。長くは滞在しないぞ」
「了解した。ありがとう、ユベール」
釘を刺すユベールに対して、共通語に戻したフェルが不敵に微笑む。
「危険な場所だってことは忘れるなよ。いいか、目立つような真似は絶対するな」
「大丈夫だ。いざとなったら自分の身は自分で守れる」
そう言ってから、ちょっと悪戯っぽく付け加える。
「ユベールも危なくなったらわたしの後ろに隠れるといい。冬枯れの魔女フェルリーヤが、他の誰でもない貴方のために力を振るおう」




