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空飛ぶ魔女の航空会社〈Flying Witch Aviation Company〉  作者: 天見ひつじ
第九話 航海者の杯を満たすは幻の酒
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9-2

 ダイニングバー・ヒュプノシスは観光客向けに酒と食事を提供する、気取らない雰囲気の店だった。繁盛しているらしく、テーブルは全て埋まっている。バーテンダーに目を向けると、こっちでもいいかと問うようにカウンターを指で叩く。


 フェルも構わないとうなずくので、スツールに並んで座る。ベストに蝶ネクタイ、髭面の伊達男がカウンターの向こうから微笑みかける。


「ヒュプノシスへようこそ。注文は決まってるかい」

「ステーキとマッシュポテト。酒は、そうだな……」


 バックバーに並ぶ酒瓶に目を向ける。予想外に充実したスピリッツと、南国らしいリキュールの数々に目を見張る。エングランド王国の植民地だったという経緯もあって、エングランド系のウイスキーやジンの品揃えが特にいいようだ。


「ネイビスクラフ十二年をストレート、ダブルでもらおうか」

 ユベールの注文にバーテンダーがにやりと笑い、フェルに目を向ける。

「お嬢さんは?」

「わたしもユベールと同じものを」

「おっと、残念だが未成年にアルコールは出せないな」

「ノンアルコールのカクテルでも作ってもらうか」

 ユベールの助言にフェルがうなずく。

「そうしよう」

「だったらお勧めのカクテルがある。任せてもらえるかい」

「任せる」


 再びうなずくフェルにバーテンダーがウインクしてみせるが、彼女は全く意に介さず、ログブックを取り出して今日の行程と所感を書き留めていた。肩をすくめて仕事に戻るバーテンダーの姿に思わず苦笑したところをフェルに見咎められる。


「何がおかしいんだ、ユベール?」

「別に。お前がいつも通りで安心したよ」

「ユベールこそ、大丈夫なのか?」

「アルメアにいる知り合いのことなら、心配しなくていい。イスタントに残してきたアンネマリーたちの事も含めて、フェリクスが上手くやってくれるさ」

「そうじゃない。わたしは、ユベールを心配しているんだ」


 フェルの言葉に、すぐ応えるのは難しかった。彼女はすでにユベールの故郷がどうなったかを知っている。同じ故郷を失った者として、第二の故郷であるアルメアをも侵略されたユベールの心中を慮って言ってくれているのだ。


 深呼吸をして、できる限り心を落ち着けてから言葉を口にする。


「俺がユーシア王国の生まれだって、フェリクスから聞いただろう?」

 静かにうなずくフェル。

「確かに俺はユーシアで生まれ育った。だがアルメアに渡って飛行機を知り、その後はずっと世界を渡り歩いてきた。正直に言えば、アルメアに国籍を置いている今でも、自分がどこかの国家に属してるって感覚は薄いんだ」

 じっとユベールの言葉に耳を傾けるフェルに対して、続ける。

「飛行機乗りのユベール。それが俺にとって一番しっくりくる在り方なんだ。お前と一緒さ、相棒。今はそれでいいと思っている。だからあまり気を遣うな」

 そう言って軽く頭を撫でてやると、まんざらでもなさそうに目を細める。

「わかった、そうしよう」

「それから、黙っていてすまなかった。本当は俺から話すべきだった」

「簡単に打ち明けられる事情ではなかったことは理解できる。わたしだって全ての過去をユベールに話したわけではないし、今だって隠しごとくらいはある」


 頭を下げるユベールに、冗談めかして返すフェル。彼女はユーシア残党の暗躍を知っても同じように微笑んでくれるだろうか。事によっては、シャイアの国力を削ぐためにルーシャとの戦争を仕組んだ可能性すらある連中との繋がりを知っても。


「それよりアウステラ滞在の間、ずっと遊んでいるわけにはいかないだろう? どこかで仕事を見つけよう。ロンはここで儲け話が聞けると言っていたが」

「あいつの話は真に受けない方がいいぞ。まずは飯だ」


 カウンターにグラスが置かれ、ほどなくして食べ物もサーブされる。口がすぼまったグラスを口元に近づけ、香りと味を確かめる。シェリー樽に由来する華やかな香りと、食べ物にも合わせやすいすっきりしたライトボディ。悪質なバーでは高級酒の空き瓶に安物を詰め替えてあることも珍しくないが、これは本物だった。


 ステーキとマッシュポテトも腹を満たすという点では及第点だ。どのみち、エングランド王国の流れをくむアウステラ連邦の食事に質は期待していない。


「美味いか?」


 フェルが飲んでいるのはオレンジ色のノンアルコールカクテルだ。グラスの縁には輪切りのオレンジが飾られ、リゾートらしさを演出している。


「美味い。ユベールも飲んでみるか?」

「お言葉に甘えて、いただくとするか」


 グラスを受け取り、カクテルを口に含む。オレンジとパインの甘みに、レモンかライムの酸味が続く。鼻に抜ける香りには、何らかの隠し味も感じ取れた。


「本当に美味いな。カクテルの名前は?」


 ユベールが動揺するのを期待していたのだろう。平然と飲まれて不満げなフェルは放置して、バーテンダーに尋ねる。彼は会心の笑みを浮かべて答える。


「名前はまだない。俺のオリジナルカクテルなんだ。気に入ってもらえたかな」

「わたしは好きだ」

「嬉しいね。この辺りは女性や子供連れが多いだろう? そういうお客さんにアピールするために、最近はノンアルコールカクテルの開発に力を入れてるんだ」

「そういうことなら、レシピは教えてもらえそうにないな」

 ユベールの言葉に、バーテンダーが申し訳なさそうな表情になる。

「悪いね、事の次第によっては一千万に化けるレシピなんだ。舌で盗んでもらう分には構わないが、そう易々と教えるわけにはいかないね」

「一千万?」


 ユベールの反応から話が噛み合っていないことを察したバーテンダーが、カウンター下から一枚のチラシを取り出す。受け取ってみると、そこにはカクテルコンペティション開催、優勝者に賞金一千万との宣伝文句があった。


「昨日から街はこの話題で持ちきりだ。一攫千金を夢見て、素人までバーテンダーの真似事を始める始末だ。まったく、シャイアとアルメアの開戦だなんて暗いニュースを一発で吹き飛ばしてくれた主催者には感謝の一言だな」

「なるほど、マスターもこれを狙ってるのか」

 チラシを横から覗きこんだフェルが言うと、バーテンダーが苦笑する。

「言いたかないが俺は雇われバーテンダーでね。三十歳を迎えて、そろそろ自分の店を持ちたいんだ。この金があれば、開店資金としては十分だろ?」


 一千万となると、アウステラ連邦の一般的な労働者の数年分の収入に相当する。カクテルコンペの賞金としては破格の金額であり、開戦のニュースが吹き飛んでも不思議ではない。アウステラの人々にとって、北半球の戦争は対岸の火事なのだ。


 ユベールより前からアウステラ連邦に滞在していたロンもこのコンペを知っていたか、あるいはバーテンダーを通じて同じような経緯で知ったのだろう。


「そんなわけで、お任せのお客さんにはオリジナルカクテルを試してもらってるのさ。お嬢さんのようなかわいくて素敵な女性に気に入ってもらえて嬉しいよ」

 バーテンダーは軽く手を振って話を切り上げると、他の客の応対に向かう。

「ロンが言っていたのはこれのことか」

「だろうな。もったいぶりやがって」

「ユベール、わたしたちも参加できるだろうか?」

「参加はできるだろうが、優勝は難しいだろうな。プロが知恵と工夫を凝らして創作したオリジナルカクテルに、素人の思いついたレシピで太刀打ちできるとは思えない。カジノでジャックポットを引き当てる方がまだ現実味があるってもんだ」

「そうか……確かにそうだな」


 会話が途切れたので、ステーキが冷めて固くなる前にナイフで切り分けにかかる。フェルが再び口を開いたのは、食事が終わる頃だった。


「ユベール、聞いてくれるか?」

「なんだ」

「カクテルコンペの開催が発表されたのは昨日だとマスターは言っていた。しかも今回が初めての開催らしい。つまり、十日後のコンペに向けて参加者は一斉にスタートを切ったところだと言える。事前の準備は全くできなかったはずだ」

「ああ、異論はない。それで?」

「誰かと組んでコンペに参加しよう。具体的にはマスターと。わたしたちが他の参加者では調達できないような材料を調達し、マスターがカクテルを作る」

「なるほどな」


 悪くない発想だった。材料を調達する能力と、カクテルに関する知識と技術。上手く組み合わせれば、他の参加者では実現不可能なカクテルができるだろう。


「だが、まだ提案として弱いな。言われた通りの材料を調達するだけじゃ、取り分はよくて数パーセントだろう。どうせやるなら、対等に山分けまで持ちこみたい」

「では、どうする?」

 フェルの問いにうなずき、手に入れたチラシを指で弾く。

「まずは調査する。チラシ一枚からでも、色々読み取れるものさ」

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