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シャイア軍の砲撃をかいくぐってのユーシア王国の脱出、ルーカで過ごした日々。フェルの知らないユベールの姿を、フェリクスは楽しげに語ってくれた。彼のルーシャ語は流暢で、久しぶりに交わす母国語での会話は弾んだ。
『そういうわけで、あいつの操縦技術は僕とヴィヴィが二人がかりで仕込んだのさ。航法士のフェル君から見てどうだい、あいつの操縦っぷりは?』
『とても綺麗です。まるで風が見えているよう』
空気中を漂う魔力の流れや偏在からそれを感じ取れるフェルから見ても、ユベールの風読みは的確だった。そんな褒め言葉を、我がことのようにフェリクスが喜ぶ。
『そう言ってもらえると、仕込んだ甲斐があるね。もっとも、僕の自慢の孫と結婚したんだから、それくらいは当たり前だが』
『……離婚なさったと、伺いました』
恐る恐る口にするフェルに、気を遣うなと言いたげに苦笑するフェリクス。
『僕が言うのも何だが、あの子は……ヴィヴィは結婚に向いているとはお世辞にも言えない。伴侶を得て落ち着いてくれることを期待しなかったわけではないが、ああなるのは時間の問題だったよ。だから、君が遠慮することはないんだ』
意味ありげに片目をつぶるフェリクスに、何かを誤解されている気がした。
『わたしは、別に……ただ、彼の相棒というだけです』
『彼に惹かれているのでは?』
動揺して余計なことを言いそうだった。深呼吸して、仕切り直す。
『命を救っていただいた、恩人だと思っています』
『うん、いい反応だ。君を航法士にしたユベールの判断は正しかったな』
きちんと作った笑顔で回答するフェルを見て、フェリクスが満足そうにうなずく。
『君を救い出す依頼は当初、僕のところへ来たんだ。親衛隊長のウルリッカ君から、アルメア義勇軍のシェノールト隊長を通じてね。これが慰めになるとは思わないが、彼は結果的にルーシャを見捨てる形になったことを悔いていたよ』
義勇軍の名には複雑な感情を抱かざるを得ない。事実上のアルメア空軍として戦い、空軍の立ち上げにも携わってくれた彼らだが、アルメア本国からの指示で撤退したことがシャイア帝国に誤ったメッセージを伝え、大規模な侵攻を招いたのだ。
フェルの魔法は単独で大軍を押し止めるだけの力を持っているが、決して万能ではない。その場にいなければ魔法は行使できないし、魔力を絞り尽くされた土地は耕作に適さない不毛の地となる。北上する敵軍を撃退するために最初の犠牲となったのは、ルーシャの中でも温暖で農耕に適した南部の土地だった。
思い返せば、シャイア帝国は小出しにした戦力で意図的に小競り合いを繰り返し、元老院の要請でフェルが魔法を行使するのを誘発していた節があった。会戦を避けて戦力を温存したいという思惑を見透かされ、戦力の基盤である国力を削られていったのだ。ユベールと一緒に諸国を回った今なら、それが分かる。
『ウルリッカがどうしているか、ご存じですか?』
ルーシャを脱出する際、連日の魔法の行使で疲弊したフェルは朦朧としていた。彼女とはろくに会話もできないまま別れてしまったので、ずっと気がかりだった。
『残念ながら、連絡は取れていない。首都の陥落以後、かの国から流れてくる情報は極端に少ないんだ。帝国領では飛行士仲間のネットワークも機能しなくてね』
シャイアは民間機の飛行を厳しく規制しているとユベールから聞いたことがあった。支配下に置かれたルーシャでも事情は変わらないらしい。
『……分かりました。あの、フェリクスさん』
『うん。情報が入ったら、ユベールを通じてフェル君にも伝えると約束しよう』
『ありがとうございます』
『ところで、まだ君たちがルーカを訪れた目的を聞いていなかったね。単に休暇で訪れたわけでもなさそうだし、僕に用事があったのかな?』
フェリクスに問われて、本来の目的を思い出す。話に夢中で忘れていた。
『先日、ペトレールが大破しました。ルーカを訪れたのは、新しい機体の設計にフェリクスさんのお力添えをいただきたかったからです』
『そうか、ペトレールが……あの機体はヴィヴィとユベールの結婚祝いとして図面を引いたんだ。当時は世界最高の機体だったよ。ともあれ、君とユベールが無事で何よりだ。差し支えなければ、大破したときの状況を教えてもらえないかな』
『もちろんです。あれはモルハ国立公園の調査飛行をしていたときでした』
湖上塔の発見と調査の顛末についてフェリクスに話す。
『保険金は下りることになったそうですが、機体を喪失した原因はわたしにあります。皆さんの思い出が詰まった貴重な機体を壊してしまったことを謝罪します』
そう結んで頭を下げるフェルを励ますように、フェリクスが微笑む。
『気に病むことはないさ。この数年で設計技術は大きく進歩し、信頼性の高い高性能エンジンも民間に出回るようになってきた。次の機体はきっといい機体になる。どんな機体にしたいか、計画はあるんだろう? 僕にも聞かせてくれないか』
大きくて透明な瞳が好奇心に輝いている。飛行機乗りの目だった。フェルから新型機の計画を聞いたフェリクスは、いくつかの質問の後、深くうなずく。
『フェル君の能力を最大限に活かす機体コンセプトか。非常に興味深いね。けど、最後にひとつだけ聞かせてくれ。君は本当にそれでいいのかい?』
『どういう意味でしょうか』
質問の意図が分からず、聞き返したフェルの目がじっと覗きこまれる。
『君の魔法は世界に変革をもたらす力だ。その大いなる力をユベール・ラ=トゥールという個人に利用されることを、君はよしとするのかい? そこにペトレールを壊した引け目がないと、心から言い切れるのかい? あるいは君がそれを受け入れるよう、彼がわざとペトレールの大破を見過ごした可能性はないだろうか?』
『構いません。わたしはユベールを信じます』
即答だった。そうできたことが嬉しくて、フェルは微笑みを浮かべる。
『それに、わたしが降りれば新機体はただの飛行機です。彼が力を合わせるに値する人間かどうか、相棒として後席からずっと見ていようと思います』
フェルの答えを聞いて、フェリクスが満足そうに破顔する。
『意地悪な質問をしたことを謝罪するよ。フェル君の考えはよく理解できた。新機体の設計、僕にも協力させて欲しい。よろしくお願いするよ』
差し出された手を握り返す。一人でフェリクスの協力を取り付けたことを、後でユベールに自慢しようと思ったその時だった。切迫した様子でコテージのドアが叩かれ、返事をする前に開け放たれる。姿を現したのはユベールだった。
「ユベール? 遅かったな」
彼はフェルに声をかけられ、苦いものでも噛んだような表情になる。
「フェリクス、ラジオをつけてくれないか」
「どうした、いきなり」
息を切らせるユベールの様子に眉をひそめつつも、フェリクスがラジオをつける。流れ出したのはアルメア国際放送の男性アナウンサーの声だ。落ち着いて話そうという自制心の中にも興奮が感じられる声音だった。
「……繰り返し、臨時ニュースをお伝えいたします。本日未明、アヴァルカ州イーストファー陸軍基地がシャイア帝国軍の奇襲を受けました。同基地の壊滅的な被害を受け、大統領府はシャイア帝国に宣戦を布告。我が国はシャイア帝国との戦争に突入しました。シャイア帝国領および戦闘に巻きこまれる可能性のある地域に在住するアルメア国民の皆さんは速やかに本国へ帰還してください。繰り返します……」
思わずフェリクスと顔を見合わせる。シャイアとアルメアが開戦という報に接して、言葉が出てこなかった。ユベールが舌打ちし、床を強く踏みつけた。普段の彼には見られない、感情的で乱暴な振る舞いだった。
「本当に始めやがった! ゲームでもしてるつもりか、ふざけるな!」
「ユベール……」
彼もまたシャイア帝国に祖国を奪われた人間だと知った今、かける言葉が容易に見つからなかった。第二の故郷として新たな人生を始めたアルメア連州国が攻撃されて、穏やかでいられない気持ちもよく理解できた。
「聞け、ユベール。フェル君もだ」
いち早く冷静さを取り戻したのはフェリクスだった。
「戦争が始まった以上、このルーカも安全とは言い切れない。僕はトルジアに戻って新型機の設計を始めるから、君たちはアウステラ連邦へ向かえ」
アウステラ連邦は南半球に位置するエングランド王国の旧植民地で、現在は独立主権を確立した国だ。アルメアやシャイアとの間には広大な南央海が横たわり、北半球の各国間で行われている戦争とは一線を引くような外交姿勢を見せている。
「アルメアとシャイアが開戦すれば、文字通りの世界大戦だ。北半球で安全な国はもう存在しないと言っていいだろう。仮に連合国が劣勢に追いこまれれば、フェル君を再び戦場に駆り出そうとする勢力が現れないとも限らない。会社のギルモットを借りてきたんだろう? そのまま貸しておくから、すぐに出発するんだ」
「だが、フェリクス、俺は……」
首を振るユベールをフェリクスが抱擁する。
「積もる話もあるだろうが、今はフェル君を守ることを第一に考えるんだ。いいな? なに、こっちのことは任せておけ。新型機が完成したらいつもの方法で連絡するから、必ず取りに来い。その後どうするかは、君たち次第だ」
しばしの葛藤の後、ユベールがうなずく。
「分かった。フェリクス、ありがとう」
「君は僕にとってもう一人の孫だ。それを忘れるなよ」
二人は固く握手を交わし、離陸準備のためにユベールが踵を返した。その頬には涙が伝っているように見え、後を追おうとしたフェルをフェリクスが呼び止める。何を口にしようか迷う素振りを見せた後、彼は一言だけ口にした。
「フェル君。ユベールを頼んだよ」
「任せろ」
第八話「翼持つ者の理想郷」Fin.




