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トルジアは、アルメア東海岸でもっとも航空機産業が盛んな都市だ。アルメア最大の航空機メーカーであるカーライル社もここに本社を置いている。大陸横断鉄道の終着駅であるイスタントからは列車で二時間余りとアクセスは決してよくないが、そこから先、目的地であるペトレールを製作したヴェルヌ社の工場はトルジア港に面した港湾地区にあり、タクシーですぐの距離だ。
「ここで新しい飛行機を作るのか?」
「そうだ。腕のいい設計士を抱えた馴染みの工房があってな。小さい会社だが、俺たちみたいな零細企業の細かいオーダーにも応えてくれる」
フェルの素性を考えても、口が堅くて信用できる会社でなければならない。新造する機体は、彼女の持つ能力と組み合わせて大きな能力を発揮するからだ。
「ほら、もう見えてくるぞ。あれだ」
「ヴェルヌ社?」
工房にかけられた看板に目を留めたフェルが、知った名前に首をかしげる。
「そう、ヴィヴィの祖父が経営する工場だ。ペトレールもここで生まれた」
「彼女はカーライル社のテストパイロットなのでは?」
「あいつは速い飛行機に乗れるなら手段を選ばないんだよ。だからって、同じトルジアに本社があるカーライルに行くことはないだろうと思うがな」
「なるほど、ヴィヴィらしいな」
ユベールの言葉に、納得したようにうなずくフェル。短い付き合いではあるが、ヴィヴィの人となりは彼女にも把握できたらしい。
リベットを叩くハンマーの音が響き渡る工場に足を踏み入れると、作業を監督していた年配の作業者がじろりと不機嫌そうな視線を向けてくる。ヴェルヌ社の現場作業を一手に取り仕切るベテラン、トラヴィスの変わらぬ姿だった。彼は来訪者がユベールであることに気付くと相好を崩し、親しげに歩み寄ってくる。
「よお、ユベール。久しぶりだな。ペトレールの調子はどうだ?」
「元気かい、おやっさん。ペトレールは……あー、壊しちまったんだ。詳しくは後で話すよ。ところで、フェリクスのじいさんはどこだい?」
ユベールの問いに、トラヴィスが肩をすくめて背後を示す。
「こいつが気に入らないってんで雲隠れさ」
「フロントカウルだけ作ってるのか? えらく数が多いな」
流れ作業で製作されるエンジンカウルは、ここにあるだけでも数十機分を数えた。小規模ながらも独立して設計と製造を行い、一機の飛行機を最初から最後まで手がけることを売りとするヴェルヌ社では珍しい光景だった。
「シーホッグ。カーライルの新型偵察爆撃機だ」
トラヴィスの短い言葉で、おおよその事情を察する。
「カーライルの下請け仕事がおもしろくなくて逃げ出したのか。あの人らしい」
「そういうこった。クソ忙しいのに困ったもんだ。それから、新造機の相談ならベルエスが奥の事務所にいる。話を聞くといい」
「ああ、邪魔したな」
「ところでユベール、その子は誰だ? まさかヴィヴィ嬢ちゃんの子供……ではなさそうだな。いくら子供とは言え、無闇に部外者を連れこむのは感心せんな」
「おっと、紹介が遅れたな。こいつはフェル。航法士だよ」
紹介されたフェルがトラヴィスと握手を交わす。
「フェル・ヴェルヌだ。よろしく」
「ほう、小さいのに航法士とは立派なもんだ。俺はトラヴィス。よろしくな」
オイルに汚れた手をズボンで拭い、フェルと握手を交わして仕事に戻るトラヴィスに別れを告げ、製図室を兼ねた事務所に入る。事務員や設計士がユベールに気付いて声をかけてくるが、一番奥に配置された製図台では、線の細い青年が周囲の話し声にも気付かない様子で一心に手を動かしていた。
「ベルエス、おーい、ベルエス?」
声をかけても気付かない眼鏡の青年の肩を叩くと、彼はようやく視線を上げた。
「おや、こんにちは。えっと、初めまして?」
「久しぶり、だな。ユベールだよ。ユベール=ラ・トゥール」
ベルエスは目を細めて顔を眺め、ようやく合点がいったように微笑む。
「ああ、ペトレールの。今日はどうされましたか?」
「そのペトレールを事故で失ってな。仕事の依頼だよ」
ユベールの言葉に、ベルエスが満面の笑みを浮かべる。
「では、新型機の設計ですね?」
ヴェルヌ社の主任設計士ダーレン・ベルエス。彼もまた、飛行機のことを考えていられれば幸せな人種の一人だ。カーライル社から高給での引き抜きを持ちかけられるほどの才能を持つが、細部の設計しか任せてもらえないなら興味はない、と一蹴した逸話がある男だった。新型機の設計を彼に任せられれば心強い。
「その件で相談に乗ってもらいたくてな。場所を移せるか?」
「構いませんよ。会議室が空いていますから、どうぞ」
紙の束とペンを携え、ベルエスがいそいそと立ち上がる。新型機について話せるのが嬉しくてたまらない、といった様子だった。
*
三時間ほどかけて、新型機についてのユベールの素案、フェルのアイデアをベルエスに伝えた。軽い実演も交えた魔法の説明にベルエスは目を輝かせ、それを活用した飛行機という新機軸の機体に興奮気味の様子で追加のアイデアをまくし立てた後、絶対に口外しないことを約束してくれた。新型機を設計する好機を棒に振るくらいなら舌を噛み切って死ぬ男なので、信用していいだろう。
「楽しみですね。最高の飛行機に仕上げてみせますよ」
「期待してるよ。後は金額の話なんだが」
ユベールの言葉に、ベルエスが肩をすくめる。
「積算はしておきますが、値引き交渉は社長じゃないと無理ですよ」
「留守にしてるって話だったな。どうせ『ルーカ』だろう?」
「おそらく、そうでしょうね。そろそろ連れ戻さないと決裁の必要な書類が溜まって仕方がないって事務の人間が頭を抱えていましたよ」
「連れ戻すなら、ついでだから俺たちで引き受けようか?」
ユベールの提案に、ベルエスもそのつもりだったのかあっさりとうなずく。
「助かりますよ。ペトレールの後継機の設計に一枚噛めなかったら、きっと社長はへそを曲げるでしょうからね。飛行機も貸しましょうか?」
「手頃な機体はあるか?」
「トラヴィスさんに頼めば、ギルモットを出してくれますよ」
「ギルモットか。いい機体だ」
高速水上機ギルモットはベルエスの設計によるヴェルヌ社の傑作フロート機で、片持ち式の金属製主翼と流線型のフロート支柱が特徴的な美しい機体だ。
「できれば新型機が完成するまで借りたいんだが、問題ないか」
「分かりました、話は通しておきます。レンタル代は安くしておきますよ」
自身の作品を褒められて上機嫌なベルエスが、おもしろくもない冗談を言う。
「新型機を建造するんだから、それくらいサービスしておけよ。うちが倒産して金を取りっぱぐれても知らないからな」
「そのときは、ヴィヴィお嬢さんに取り立てを頼みますよ」
「勘弁してくれ……」
すぐにも新型機の基礎設計を始めたいというベルエスと別れ、トラヴィスに声をかけて工場の裏手にある格納庫へ向かう。濃紺と白の塗装を施されたギルモットは、格納庫の前にあるスロープからそのまま北央海へ機体を降ろして飛び立てるようになっている。その隣にぽっかりと空いた一機分のスペースは、おそらくフェリクスが乗っていった水上機が収まっていたスペースだろう。
「後部座席に乗れ、フェル。すぐに飛べるだろう?」
ユベールの言葉に応えて、荷物を座席に投げ入れた相棒が不敵に笑う。
「誰に向かって聞いてるんだ、ユベール?」




