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翌日、工場へ向かうと守衛に呼び止められ、工場長の指示を告げられた。ストライキ中のアンネマリーたちとの接触を避けるためだろうと思いながら指定された第二格納庫へ向かうと、予想に反して数名の女性パイロットが待機していた。顔に見覚えはないが、早くも数人が引き抜かれてきたらしい。
話しかけられたくないとばかりに視線をそらす彼女たちと世間話はできなかったが、飛行ルートの打ち合わせには参加してくれた。聞けば、彼女たちは大陸横断鉄道の線路と海岸線を頼りに地文航法で飛んでいたらしい。
長距離飛行の経験豊富な人間がいないためにそうせざるを得なかったのだろうが、ルートの制約が多い上に悪天候だとランドマークを見失う可能性がある危険な飛び方だった。ユベールと相談しつつ、内海を横切って目的地のホーンズまでほぼ直線で飛ぶルートを選定する。目印となる島も多く、迷う危険性は少ないはずだ。
「じゃあ、先導は任せていいのね?」
集まった女性パイロットの一人がほっとしたような声を上げる。
「今まではアンネマリーが引き受けてくれてたから、どうしようかと思ってたの」
きっと、この仕事に就くまでは編隊飛行などしたこともなかったに違いない。リーダー格のアンネマリーしか先導役を務められなかったため、彼女がストライキを言い出したら誰も逆らえなかったのかも知れない。
「初めて飛ぶルートだ。落ち着いて、先導機を見失わないよう注意してくれ」
ユベールの言葉にそれぞれうなずき、機体へ向かう。こちらも引き抜かれてきたのか、数人の整備士が機体の最終チェックを行っていた。その内の一人が女性パイロットに話しかけているのが視界の端に映る。
「人それぞれ事情はある。ストを抜けたことについて俺は何も言わんし、整備を受けない機体で飛ばすわけにもいかん。飛ぶからには、無事に帰ってこい」
パイロットは黙ってうなずき、フェルもユベールに呼ばれて機体に乗りこんだ。
*
行程の消化は順調に進んだ。思えば編隊を組んで飛ぶのは初めてで、普段よりもゆっくりと大きな円を描いて旋回しているのが分かった。円の外側にいる後続機が無理なく追随できるようにそうしているのだとユベールが教えてくれた。
鮮やかな新緑の草海が広がる大平原を抜け、イランド内海に出る。特徴的な形状の島を目安に、風も考慮して進路を決定。名前が示す通り、大きな半島の突端に位置する都市ホーンズを目指す。太陽が中天を過ぎる頃、エングランドやケルティシュに運ばれる物資が集積される貿易港ホーンズに到着した。
こんなに早く到着したのは初めてだと喜ぶ女性パイロットたちが、それぞれ自己紹介してくれた。エイミー、ベッキー、クレアと名乗った三人と出発時間を確認してから、遅いランチのために別行動を取る。少しだけ打ち解けられたらしい。
彼女たちの話を聞いて浮かんだ疑問をユベールに投げてみる。
「ヴィヴィは航法についてアドバイスしなかったのだろうか?」
「あいつのことだからな。地文航法で飛んでるなんて思ってもいなかったんだろ」
ヴィヴィならそういう思いこみもあり得るだろう、と納得できてしまった。根っからの飛行機乗りで、基準が一般人から大きくズレているのだ。
帰路も大きな問題は発生しなかった。ヴィヴィが操縦していたという中型輸送機に乗りこみ、日没前にイスタント工場に着陸する。格納庫までタキシングして整備士に引き渡したところで、アンネマリーが憤然とした様子で詰め寄ってきた。エイミーたちは彼女と顔を合わせるのが気まずいのか、足早に立ち去ってしまった。
「貴方たち、どういうつもりなの?」
怒鳴りつけるアンネマリーからフェルをかばうように、ユベールが前に出る。
「どうもこうも、仕事をしているだけだ」
「今日、ハイアットが交渉に来たわ。ストライキを抜けても罰則は与えない。ただし人数が半分を切ったところで残りのスト参加者を全員クビにするって」
「そりゃ悪辣だな」
ユベールの言葉にアンネマリーが激昂する。
「何を他人事みたいに! 貴方が来たせいで結束が乱れたのが分からないの?」
「俺が何かしたわけじゃない。抜けた人間は、自分の判断でそうしたんだろう?」
「違うわ。彼女たちはそうせざるを得ないよう追いこまれたのよ」
苦々しげに言うアンネマリーに、ユベールが疑問を呈する。
「どういうことだ?」
「あの工場長、あれでも街では名士で通ってるのよ。その伝手を使ってあることないこと吹聴して、私たちを悪者に仕立て上げたの。おかげで、今では私たちが街を歩くだけで石だの卵だの投げつけられて、娼婦か人殺しみたいな扱いよ」
そこで言葉を切って、アンネマリーが続ける。
「それでも、私たち自身が中傷されるならまだいいわ。最悪なのは、矛先が子供にまで向いたこと。学校から帰ってきた子供が、額から血を流して泣いているのを見て、平気でいられる親なんているはずないでしょう!」
思わず嫌悪感に顔をしかめる。ユベールもそれは同様だった。
「折り合えないのは、アネットのことがあるからか」
あの工場長の性格を考えると、自らの非を認めて譲歩するとは考えにくい。ストライキ側から人員を引き剥がして輸送を再開させた現状を踏まえても、アンネマリーの要求を認めさせるのは困難だと思えた。アンネマリー自身もそれは理解しているだろう。それでも、彼女が揺るぐ様子はない。
「そうよ。これだけは曲げられない。それをしたら、私は本当の卑怯者だから」
そこだけは『私たち』ではなく、ただ『私』とだけ言ったアンネマリーの覚悟が伝わってきた。彼女はきっと、一人になっても戦う気だろう。
「ユベールさん、工場長がお呼びですが」
恐る恐る、といった感じで事務員が声をかけてくる。
「少し待ってくれるか?」
「行きなさいよ。飼い主がお呼びなんでしょ」
侮蔑を滲ませたアンネマリーの言葉に、ユベールは何も言い返さなかった。
*
工場長の部屋に向かう途中、ユベールに話しかける。
「ユベール」
「ハイアットの前で平然としている自信がなければ、先に帰っていいぞ」
アンネマリーの言葉に思うところがあったのか、機先を制するような返事だった。
「祖国のために戦うアンネマリーが、なぜあのような目に遭うんだ?」
自らの持てる能力を活かして、祖国に貢献する。前線にこそ出なくとも、それは立派な戦いだった。そんな彼女が不当に貶められることに憤りを覚える。
「戦うから、だろうな。女が戦争に関わることをよしとしない、古臭い考え方の人間は少なくない。アルメアが自由の国だと言っても、それは同じだ」
それが推察だとしても、ユベールの言葉には反感を覚えた。
「性別は関係ない」
「フェルなら、そう考えるだろうな」
一国の女王であった彼女に、ユベールは同意を示す。
「だが考えようによっては、女性が軍隊における後方任務へと進出したことで、誰かの夫や息子が前線へと振り向けられた、という見方もできる。家族が前線へと向かう不安、あるいは戦死した悲しみは、どこかに捌け口を求める」
料理に洗濯、事務やタイピング、電話交換。性別に関係なく遂行できる非戦闘領域の仕事は男性から女性に置き換えられつつあるのだとユベールは言う。
「でも、それは……」
思ってもみなかった切り口に、すぐに言葉が出てこない。
「間違ってるさ。けど、冷静に割り切れる人間ばかりじゃない」
「仕方ないと言うのか?」
「そうは言わないさ」
首を振り、ため息をついたユベールが言う。
「フェル、やっぱり先に戻ってろ。今のお前は連れていけない」
反論しかけて、唇を噛む。冷静じゃない、という自覚はあった。
「了解した。また後で」
黙ってうなずくユベールと別れ、ため息をつく。
見上げた先に広がる夕暮れの空は、常と変わらず美しかった。




