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空飛ぶ魔女の航空会社〈Flying Witch Aviation Company〉  作者: 天見ひつじ
第七話 彼女の戦場は空に在りて
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7-1

 カルニア州都プルーメントを発って丸一日。峡谷の合間を縫って進む列車の速度は一向に上がらず、壮大だが大味な景色にも早々に飽きてしまう。暇を持て余して寝台車から展望車に来てみたものの、併設されたショップで買ったコーヒーを飲み終えれば、後はユベールと会話する以外にすることもない。


「もっとまっすぐ線路を引けば、速度も出るのでは?」

 問いかけられたユベールが苦笑する。

「お前さんの国とは事情が違うんだ。比べてやるなよ」

 ユベールが言っているのはルーシャの鉄道のことだ。草木も生えない永久凍土がどこまでも続くルーシャでは、線路は目的地へ向けて直線で引かれる。

「峡谷を迂回するか、トンネルを掘れないのか?」

「迂回するとなると、軽く一千キロは延伸する羽目になるからな。トンネルも当時の技術では難しかった。何しろ、この線路が開通したのは六十年前だ。ダイナマイトも発明されたばかりで、扱いを誤って大勢が死んだそうだ」

「この線路は、そこまでして引く価値があったのか?」

「あった。この鉄道がもたらす大量の物資は、幌馬車以外にまともな交通手段がなかった東部開拓を加速させる最初のきっかけになったからな。とは言え、工事のやり方に問題がなかったわけじゃない。むしろ問題だらけだったと言っていい」

「工事の問題とは?」

「鉄道の権益を鉄道会社が独占しないよう、二つの会社に敷設距離を争わせたんだ。西端のプルーメントからユニオン鉄道、東端のイスタントからセントラル鉄道がそれぞれ内陸部を目指した。六十年前の一月一日、真冬のアルメアでのことだ」

「真冬に? アルメアの冬はそんなに暖かいのか?」


 長大な線路は気温差による伸び縮みの影響を受けやすい。資材の運搬、氷雪の除去、氷点下の金属に生身で触れる危険性。あえて冬に起工するメリットはどこにもない。フェルの疑問を肯定するように、ユベールも肩をすくめる。


「アルメアでも雪は降るさ。それでも工事が強行されたのは、敷設した距離をそのまま各鉄道会社の持ち分とする取り決めと、当時はアルメアに限らず移民の命が軽視されていたのが原因だ。実作業を受け持ったエウロパ系やシャイア系の移民たちは、相次ぐ事故と寒さでバタバタ倒れていったらしい」

「……酷い話だ」


 ルーシャでは重罪人や政治犯、戦争捕虜に鉄道の敷設を労役として課していた。元老院の提言を受け、フェル自身がその許可を出したのだ。当時はそこまで気が回らなかったが、彼らの人権が尊重されていたとは思えない。粗末な食事と過酷な労働で命を落とした者も多かったはずだ。彼らの死はフェルの責任だった。


 唇を噛むフェルの様子を知ってか知らずか、ユベールが続ける。

「過酷な労働に加えて、生活圏を脅かされた先住民族による襲撃もあったそうだ。我慢強い移民労働者も、これには流石に音を上げた。事故で死ぬならともかく、毒矢で苦しみ、手斧で頭をかち割られるんじゃたまらないってわけだ」


 モルハ国立公園でアーロンやサンディから聞いた先住民族と植民者の確執が、ここでも顔を出す。加えて、植民者の中でも一定の地盤を確保した者と、後発ゆえに危険で過酷な仕事を選ばざるを得ない者とに分かたれ、分断はさらに深まる。植民地時代のアルメアは、現在の隆盛からは考えられないほど苦難と血に塗れていた。


「それでも工事を続けたのか?」

「止めていたら、俺たちはここにいないだろうな。工事現場には鉄道会社が雇った狙撃手が配置され、銃声が響き渡る中で工事は続けられたらしい」


 出発駅で手に入れたパンフレットに目を落とす。アルメアを表す輪郭線に、路線を表す線がいくつも走っている。二人が乗る列車が進む線路も見つかった。曲がりくねった線のそれぞれに、今は語られざる歴史が秘められているのだろう。


「じきに昼飯時だ。席が埋まる前に食堂車に行くか」

 取り留めのない思考は、ユベールの声で断ち切られた。



 パンとバター、ステーキとフライドポテト。決して味は悪くないのだが、アルメアに来て以来、もう何度目か分からないメニューにフォークを持つ手が止まる。


「どうかしたか?」

「……いや、大丈夫だ」

「ペトレールのことで悩んでいるのか?」

「それもあるが……」


 先の仕事では、フェルの判断が原因でペトレールの喪失を招いてしまった。航空図を見る必要も、風と天気に気を配る必要もなく、手持ち無沙汰なまま列車に揺られてユベールと向き合っていると、嫌でもそのことを思い出さざるを得ない。


 飛行機の建造にいくらかかるかは見当もつかないが、専用機として改修を施したペトレールには相応の資金がかけられていたことだろう。この先、フェルがどれだけ働けば弁償できるのか、あるいは弁償しきれない額なのかも分からない。


「俺も色々考えてるが、どんな機体にしたいか、どういう装備が欲しいか、フェルも考えておけよ。次はお前の能力をより活かせる機体にしたいからな」

「え?」

 ペトレールを壊した責任についての話かと身構えていたところに、新造する機体の話を振られて戸惑う。そんなフェルを見て、ユベールが怪訝そうな顔をする。

「どうした。乗り換えの予定が数年早まったから、今まで以上に稼ぐ必要があるんだ。フェルの能力には期待しているんだから、しっかりしてくれよ」

「でも、わたしのせいでペトレールは……」

「ああ、ペトレールを壊したことに責任を感じているのか? あれは、お前の能力をどこかで過信していた俺の責任だ。お前の気が回らないところをカバーするのが俺の役目だって分かっていたのにな。そういう意味では、謝罪するのは俺の方だ」

 迷惑をかける、と頭を下げるユベールの姿に、視界が滲む。

「ユベール、わたしは、どうやって償えばいいかと……」

「……フェル、お前、泣いてるのか?」

 鼻をすすり上げる。流れ落ちる涙はもう止まらなかった。顔を伏せると、頬を伝った温かい水滴が膝に落ちて、スカートに染みを作る。

「あー、すまん、悪かったよ。お前さんがそこまで気に病んでいるとは思わなかった。そうだよな、機体の喪失なんて初めてだもんな……」

 困惑と動揺を隠せない様子のユベールが続ける。

「けどな、フェル。寿命にしろ事故にしろ、飛行機が機械である以上、いつかは壊れるもんだ。遅かれ早かれ、この仕事を続けるならこういう日は来ていたさ」

「でも、ペトレールはまだ飛べたのに……」


 フェルの判断ミス、見通しの甘さが機体の喪失を招いたのは動かしようのない事実だった。自分よりも付き合いが長く、機体に対する思い入れもあっただろうユベールに慰められている情けなさもあって、視界が滲む。


「なあ、フェル」

 ユベールは落ち着いた口調で話題を変える。

「飛行機の初飛行から今日まで、何年の歴史があるか知ってるか?」

 声を出すと涙声になりそうだった。黙って首を振る。

「三十五年。このアルメアで最初の動力飛行が行われてから、まだ三十五年しか経っていないんだ。それから今日まで、航空機は目覚ましい発展を遂げてきた。数十メートル飛ぶのがやっとだった飛行機が、今では大陸間を無着陸で飛べるんだ」

 この場では関係ない話題のように思えたが、ユベールがフェルのために喋っていることは伝わってきた。ハンカチで涙を拭って、顔を上げる。

「だから?」

「ペトレールの初飛行から五年。技術の粋を尽くした世界最高の飛行機がありふれた飛行機になるには十分な時間が経った。実際、大きな航空会社は機材の更新時期を迎え、より高性能な航空機を投入してきている。俺たちみたいな零細がいい仕事を取ってくるには、さらに高性能な飛行機を使うしかない」

「だが、資金はあるのか?」

「安心しろ。いくらか時期が早まったとは言え、積み立ててきた金がある。保険金が下りればそれも足しにできるし、足りない分は融資を受ければいい」

 ユベールの口にした言葉の中に、聞き捨てならない単語があった気がした。

「保険金?」

「ん? ああ、航空保険だよ。事故や戦争で、機体もしくは貨物に損害を受けた場合、一定の割合が補償されるんだ。これがないと、うちみたいな零細会社は大きな事故を起こしたら一発で破産だからな。こっちの書類と証拠の写真は揃えて、アーロンに預けてある。調査機材の被害額をまとめてから一緒に投函してもらうよう頼んだから、保険会社の査定を受けた後に被害額の大半は戻ってくるはずだ」

 平然と話すユベールに、無性に腹が立った。

「フェル? なんで隣に……って痛いな、おい、どうしたいきなり」

 向かいの席に座っていたユベールの隣に移動し、その肩に拳をぶつける。

「どうしてそんなに重要なことを黙っていたんだ」

 声音に含まれた怒気に、ユベールも気付いたらしい。

「書類を揃えたのは湖上塔から戻った直後で、その時お前さんは衰弱して寝こんでたんだよ。言われてみれば、その後も何かと忙しくて、つい話すのを忘れていたな。なんだ、資金のことを心配していたのか。そりゃ悪かったよ。そう怒るなって」

 どうも温度差があると思ったら、そういうことだったらしい。責任を取ってパートナーを解消することまで覚悟していたのが、急に馬鹿らしくなってきた。

「ユベールは、いつもそうだ」

「拗ねるなよ。保険が下りるって言ったって、海千山千の保険屋どもは書類や写真にちょっとでも不備があれば難癖を付けて、保険金を減らそうとしやがる。実際に振りこまれるまで、変に期待させない方がいいと思ったんだよ」

「その理由、いま考えただろう?」

 下から睨み上げると、ユベールがすっと視線をそらす。

「……お前さん、だんだん手強くなってきたな。ともかく、新造機についての計画や情報は今後できるだけ共有する。それで手打ちにしてくれよ」

「了解した。わたしも考えてみよう」


 新造機の計画。飛行機について知識の浅いフェルに求められているのは、持ち場である航法士の業務に関わる装備と、魔法に関する意見だろう。


 おそらく、魔法の力を飛行機の設計に盛りこんだ例は過去にない。参考にできるものはなく、全ては自分の発想次第だと思うと責任重大だった。完成後に追加で取り付けられる装備ならよいが、アイデアによっては機体設計の段階で盛りこまねばならない。魔力の観測に加え、魔法を業務に役立てる方法について考えを巡らせる。


「ユベール、聞いていいか?」

 ログブックにアイデアを書き留めていると、いつか尋ねようと思っていたことがふっと頭をかすめた。いい機会なので、思い切って口にしてみる。

「わたしがペトレールに乗る前、後席に座っていたのはどんな人なんだ?」


「うん? そこにいるのはユベールじゃないか」

 通路からの声に振り返る。フェルの頭越しにユベールに声をかけたのは、旅慣れた様子の小柄な女性だった。彼女は歯を見せて笑うと、親しげに話しかけてくる。

「子供連れで旅行かい? まさかぼくと結婚中に作った子供じゃないだろうね」

 快活で中性的な印象を漂わせる彼女は、そう口にするのだった。

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