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空飛ぶ魔女の航空会社〈Flying Witch Aviation Company〉  作者: 天見ひつじ
第六話 アルメアの荒れ野に咲く
39/99

6-7

 調査計画の立案、長期間の遠征調査に必要な物資の調達に一週間が費やされた。その間、ユベールとフェルは航空機による予備調査を重ね、湖の中心に半ばまで水没して建つ遺跡塔が外観上は完全な状態で保存されていること、ペトレールによる離着水が可能な深さと距離を確保できる湖であることを確認していた。


「湖に浮かぶ遺跡塔か。おそらく他の遺跡塔とは違って水没していたことが幸いして、風化による倒壊を免れたんだろうね。この塔を『湖上塔』と呼称しよう」


 湖上塔の上層部には放水口があり、驚くべきことに現在でも絶え間ない放水が行われていた。滝となって湖に降り注ぐ水量は豊富で、乾燥した気候のモルハ国立公園において湖が干上がらずにいるのもこれが理由と考えられる。


 一刻も早く実物が見たくてたまらないアーロンは、暇さえあればフェルの撮ってきた写真を眺めてにやついては、サンディに仕事をしろとどやされていた。


「それにしても、これほど綺麗に外輪山が形成されたカルデラ湖は珍しいね」

「カルデラ湖?」

 俯瞰で撮った湖の写真を見て感想を述べるアーロンに、フェルが首をかしげる。

「火山が噴火すると、マグマが噴出するだろう? すると噴火が収まった後に地下の空洞ができるんだ。やがてそれが崩壊すると大きな窪地になる。これがカルデラ。で、そこに水が溜まると湖になる。そうやってできた湖をカルデラ湖と呼ぶんだ」

「外輪山というのは?」

「カルデラの周囲を取り巻く尾根のことだね。ほら、カルデラ湖を囲むように、周囲が盛り上がっているだろう?」

 カルデラ湖の外縁を指で示しながら、アーロンが説明を加える。

「これほどの規模の湖と塔が発見されずにいたのは驚くべきことだけど、陸路での接近は困難、かつ通常の空路から外れた立地に加えて、遺跡塔も手前の山陰に隠れてかなり接近しないと目視できないことが原因だろうね。アルメア先住民族がこの地を発見した経緯や、湖上塔を築き上げた手法についても尋ねてみたいところだよ」

 納得したように一人うなずくアーロンに、フェルが質問する。

「アーロン、質問だ。水はどこから来ているんだ?」

「うん、やっぱり気になるのはそこだよね。流入河川はないし、年間雨量を考えると、ただ自然に溜まった水をくみ上げて流しているわけじゃない。つまり、どこかに水源があるはずなんだけど、あいにく地質学は専門外でね」

「これから調査するのか?」

「そうなるね」

「もうひとつ質問だ。モルハ国立公園で水害が起きた記録はあるだろうか」

「水害って、洪水とか? いや、僕の知る限りではないね。第一、洪水の原因となる大きな河川がこの辺りには存在しない。あるとすれば今回発見されたカルデラ湖くらいだけど、過去に洪水が起きていたなら湖はとっくに発見されていたと思うよ」

「……了解した。ありがとう、アーロン」

「どういたしまして。気になることがあったらまた質問してよ」

 フェルの態度が気にかかり、二人きりになった機を見計らって声をかける。

「遺跡について、気がかりなことでもあるのか?」

「遺跡ではない。湖だ」

「湖?」

 予想外の返答だった。離着水の可否を検討するため、水面すれすれを飛んだ際にも、ユベールには特に異常は感じられなかったのだ。

「湖に濃い魔力が満ちている。普通じゃない」

「普通じゃない?」

「そうだ」

 フェルは小さくうなずくと、言葉を探すように宙へ視線をやる。

「……渦巻き、竜巻。そんな感じだ」

「ブレイズランドの噴火と同じような事態になるのか?」

「わからない」


 魔法について言及するとき、フェルは特に慎重に言葉を選ぶ。母国語ではない共通語の表現で、互いの解釈にズレが出ることを恐れているのだろう。ユベールの方で、それを汲み取ってやらねばならない。


「つまり可能性はあるってことか。そうなると、調査も中止した方がいいかもな」


 ブレイズランドの一件では人的被害はなかったものの、それはあくまで結果論だ。今回も同じように上手くいく保証はない。アーロンには悪いが、アルメア先住民族の研究はユベールやフェルにとって命をかけるほどのものではない。


 問題は、アーロンを説得する方法だった。彼にとっては学者生命をかけた大切な研究であり、生半可な理由では決して納得してくれないだろう。魔法について触れずに上手く説明する方法を考えていると、同じく沈思していたフェルが口を開く。


「いや、ユベール。調査を中止する必要はない。そのはずだ」

「そのはず? 根拠はなんだ」

「アーロンの話では、アルメア先住民族がこの地を去ったのは数百年前だ。すなわち、魔法が行使されたのはそれ以前となる。だが、それ以後に大規模な水害は起きていない。魔力に満ちてはいるが、安定しているということだ」

 頭の中でまとめた言葉を一気に吐き出すように喋るフェル。

「なるほどな。危険がないわけじゃない。ただし、その確率は噴火や地震みたいな天災に遭う確率と同じで、今すぐどうこうなる類のものではない、と」

「その通りだ」

「了解した。俺の操縦ミスで墜落死する確率の方がよっぽど高いな」

「そんなことにはならないさ、相棒」

 ユベールの軽口に、にやりと笑って応じるフェル。会話が途切れ、話はそれで終わりと見たフェルが踵を返そうとするのを呼び止める。

「ああ、それとな、フェル」

「なんだ、ユベール」


 振り向いたフェルに向かって、続きを口にするべきか逡巡する。フェルの内面にも踏みこむ話であるだけに、魔法についての話題でどこまで踏みこんでいいのかには、未だに迷いがあった。それでも言っておくべきだと判断して、改めて口を開く。


「……アーロンとサンディは信用できる人間だ」

「ああ」

「だから、不測の事態に陥ったら魔法について彼らに説明することも視野に入れておきたい。もちろん、フェルの了解が得られればの話だが、お前はどう思う?」

 思案するような表情を見せるフェルだったが、最後にはうなずいてくれた。

「……了解した。ユベールに任せよう」

「そんな状況に陥ることはないと、願いたいがな」



 ペトレールの操縦はほぼ一か月ぶりだった。良好な操縦性、言い換えれば雑な操縦を許容するローカストからの乗り換えなので、普段より慎重な操縦を心がける。


「飛行機には乗らない主義だ」


 そう宣言したサンディは、三日前に先行して出発している。調査に必要な荷物を抱えての移動となれば片道一週間でも足りないが、パークレンジャーである彼が単身で到達するだけなら三日あれば足りるのだ。いざとなれば現地で食料調達と野営も行えるだけの技量があるからこそ取れる方法だった。


 調査に必要な器具と食料を機体に積みこみ、万が一に備えての野営道具一式を両翼に懸下。後席にはアーロンが座っているので、フェルは貨物スペースで膝を抱えて収まっている。短時間の飛行ならそれほど負担もかからない。


「フェル君の席を横取りする形になって心苦しいよ。狭くないかい?」

「大丈夫だ、アーロン」

「そろそろ目的地に近い。高度を上げるから、頭を打つなよ」

 操縦桿を引いて高度を上げていく。ペトレールはローカストよりも重いので、余裕を持って山越えするためにかなり手前から上昇しておく必要がある。

「見えたぞ、ドクター。湖上塔の先端だ」

 湖に浮かぶ四角形の石塔、その先端部分が稜線から覗いている。

「あれだね。うん、見えてるよ。いよいよだな」

「降りる前にカルデラ湖を一周する」

「分かった。僕は湖上塔を観察するから、サンディを見つけてやってよ」


 ペトレールがカルデラ湖に到着したら、彼が狼煙を上げる手はずになっている。天候は快晴で、湖面も穏やか。狼煙はすぐに見つかり、そこから湖上を旋回してアプローチに入る。安全を期して、水深が深く、可能な限り長い距離を滑水できるルートを予め選定してある。湖の透明度が高いのは幸いだった。


「着水する」


 湖を囲む外輪山があるため、高度の下げ方に工夫が要る。調査器具が破損しないよう、滑らかな着水も要求された。その分だけ伸びた滑水距離は、速度が落ちてきた頃合いを見計らって旋回、距離を稼いで吸収する。


 サンディの立つ湖岸に機体を寄せていく。溶岩で形成されているため停泊に適した砂地はなく、ぎりぎりまで寄せても十メートルが限度だった。木に繋いであった馬の手綱を解くと、サンディは胸の辺りまで水に浸かって機体に近づいてきた。


「馬は放してしまっていいのか?」

 翼の上に引き上げたサンディに尋ねる。

「あいつは賢い。自分で食べ物を探しに行くし、帰るときに呼べば戻ってくる」

「周辺の調査はどうだった?」

 後席のキャノピーを後方にスライドさせてアーロンが尋ねる。

「待っている間に湖を一周した。谷や川は見当たらなかったな」

「完全に閉じた湖なんだね。となると、やっぱり水源が気になるね。周囲の山から水が集まってくる地形なのかな。それに、これだけ水量があれば外輪山が削られて流出河川ができていてもおかしくないんだけど、それがないってことは湖自体の成立はそれほど古くないのかも。ううん、専門家の意見を聞きたいね」

 誰に聞かせるでもなく推測を述べるアーロンに声をかける。

「アーロン、湖上塔に向かうぞ」

「ああ、悪いね。頼むよユベール君」


 湖上塔の表面にはコケが付着しているが、崩壊している様子は見受けられない。アーロンの推測通り、半ばまで水没しているために風化が防がれたのだろう。放水口から流れ出る滝の水量も、全く衰える気配はない。飾り気のない塔に入り口らしきものは見当たらないが、水面近くに窓のような開口部があった。近くまで寄せればそこから内部へ入ることができそうだった。当然、桟橋などはないため大量の荷物を運びこむのは困難だが、初回調査なのでまずは内部構造が把握できればいい。


「透明度は高いけど、湖上塔の基部までは見通せないね。水没部も合わせると全高は百メートルくらいかな。まずはこの辺りで水深を測ってみよう」

 ある程度まで塔に寄せたところで、アーロンが重りをつけた紐を取り出す。重りを沈め、紐につけた目盛りで水深を測る、簡易的な道具だ。

「約五十三メートル。おおよそ中央部まで水没してる計算だね。よし、次は内部の探索だ。機体を塔に寄せてくれ。翼を当てたら元も子もないから、慎重にね」

「了解だ、ドクター」


 主翼を折って、徒歩で帰還することになったら目も当てられない。幸い、水面からすぐ上に窓があって、そこから中に入れそうだった。放水口とは逆側に位置するので滝に打たれる心配もないが、桟橋がないので寄せられる距離には限界がある。それを見て、アーロンが肩をすくめる。


「最後は水泳か。入り口があるだけ幸運だと思うしかないね。それじゃ行こうか」

「ドクター、誰かが機体に残る必要がある。すまないがフェルを頼むよ」

 ユベールがそう言うと、サンディが口を挟んできた。

「いや、それなら俺が機体に残ろう。ユベール、お前は中を見てこい」

「いいのか?」


 正直なところ、興味はあった。しかし、ここまで来て居残りを申し出るサンディの意図が読めなかった。困惑していると、アーロンがおかしそうに笑う。


「そういえばサンディ、君は泳げないんだったね」

「黙れ、お喋りガラス。人間は地を走るように定められているんだ」

 憮然として言い放つサンディに、彼以外の三人が笑いをこぼす。

「頼むよ、サンディ。何かあったら大声で呼んでくれ」

「承知した。ユベール、アーロンを頼むぞ」


 自分が一番に入ると主張するアーロンを制して、ユベールが最初に塔に入る。踊り場のような場所で、上下に階段が続いている。思った通り、塔内部も水没しているので階下には向かえない。周囲を見渡すと、おそらく松明を差していたのだろう台座が見つかった。ロープで縛り、反対側をフェルに投げ渡してペトレールと繋ぐ。これで機体が流されて遠泳をする事態は回避できるだろう。


 それからアーロンとフェルを呼び寄せ、ひとまず踊り場で落ち着く。着替えることも考えたが、どうせ帰りにはもう一度濡れることになる。汚れた水ではなく、気温も低くはないので我慢して探索を続けることにする。


「じゃあ、上を目指すんだけど……」

 珍しく言い淀むアーロン。先を促すと、フェルに視線を向ける。

「こんなこと言いたくないんだけど、何しろ数百年前の建造物だ。構造が弱くなっているかも知れない。有り体に言うと、崩落の可能性がある。というわけで、体重の軽いフェル君に命綱を付けて先頭を歩いてもらいたいんだけど、ダメかな?」

「あのな、ドクター」

 文句を付けようとするユベールを、フェルが制する。

「了解した。ユベール、わたしはそれで構わない」

「……契約外の業務だ。相応の危険手当はいただくぞ、ドクター」

「もちろんだよ。いや、本当に申し訳ないよ」

 一悶着あったものの、いよいよ調査は開始された。水没した階下の調査は潜水士でもなければ困難なので、フェルを先頭に上階を目指すことになる。

「フェル。危険を感じたらすぐ言えよ」

 声をかけると、フェルは振り向いて微笑む。

「了解した。ありがとう、ユベール」

 階段を上り始めてすぐ、内部がかなり暗いことに気付く。

「外から見たときも思ったが、窓はほとんどないんだな」

「おそらく技術上の問題だろうね。窓を設けると、それだけ構造が弱くなるから」

 明かり代わりのオイルライターに着火して、フェルに渡したアーロンが言う。

「ちょうど水面近くに窓があったのは運がよかったってことか」

 ユベールの感想に、アーロンは考える素振りを見せてから首を振る。

「いや、そうでもないんじゃないかな。人が出入りできる大きさの窓、あそこだけに設けられた踊り場、加えてコケに覆われて分かりにくかったけど、窓枠の下部にすり減ったような痕跡があった。満水時にあの辺りまで水位が上がることを想定して、木製のはしごがかけてあったんじゃないかな」

「つまり、船で出入りすることが想定されていたと?」

「推測だけどね」


 ライターの明かりを頼りに歩を進めること五分あまり。上方から光が差しこみ、そろそろ最上階に到達することを知らせてくれる。


「ようやく最上階か」

「らしいね」


 四隅の柱を除けば手すりもない、吹き抜けのような場所だった。大昔には布か木材で屋根をかけてあったのかも知れない、とアーロンが言う。放水口はすぐ足下にあり、轟音を立てて水を吐き出している。跳ね飛んだ飛沫が強い日差しを和らげ、涼しさを感じさせる中、吹き抜けの中央に設けられた台座で輝く物があった。太陽光に煌めく、混じり気のない透明な鉱物。一抱えほどもありそうだった。


「石英かな。大きいね」

 おそらく掘り出されたまま加工されていないのだろう。六角形の柱がいくつも束ねられ、溶け合うような格好でくっついている。

「中に何か入っている」

 水晶を眺めるフェルの言葉を受けて、アーロンも覗きこむ。

「ふむ、これは気泡かな。水入り水晶とは珍しい」

「水が入ってるのか?」

「そう、水晶ができるときに空洞ができて、そこに水や空気が閉じこめられることがあるんだ。この塔よりもっと古い、何千、何万年前のそれかもね。アルメア先住民族も、湖に浮かぶこの塔に水入り水晶を安置することに意味を見出していたのかな」

「アーロン、触っていいか?」

「どうぞ。尖っているから怪我をしないようにね」

 太陽光の加減か、水晶に触れる彼女の雪白色の髪が輝いているように見えた。

「ユベール」

「どうした?」

「この水晶が、全ての基点だ」


 その言葉で、フェルには湖上塔がどのような目的の施設なのか理解できたのだとユベールにも知れた。アーロンの反応を確かめたいという衝動を必死に押し殺す。


「フェル」


 続けるべき言葉に迷う。アーロンは育ちのよさからおっとりして見えるが、同時に学者としての鋭い観察眼と高い知性を持つ。ユベールが下手な発言をすれば、彼はこれまでの発言や行動から推察し、フェルの抱える秘密に至りかねない。


「そうだな。この水晶を発見したから、こんな塔を建てようと思ったのかもな」


 フェルの意図も読めなかった。なぜ、この場で魔法について言及するような真似をするのか。あるいは危険が迫っているのかとも思ったが、彼女は至って落ち着いている。結局、当たり障りのない返答をするしかなかった。


「アーロン」

「何かな、フェル君」

 フェルはアーロンに向き直って言う。

「遺跡塔は灌漑設備だという仮説を立てていたな。あれは半分だけ正解だ」

「半分だけ? どういうことだい」

「水を送るために、地下に張り巡らせた管。それがこの湖の水源でもあるんだ」

 フェルの言葉を聞いて、アーロンは口を引き結んで黙りこんでしまう。目を細め、難しい顔で考えていたかと思うと、納得したように深くうなずく。

「ああ、なるほど。水を送るだけじゃなくて、吸い上げることもできるってことだね。突飛な仮説だけど、もしそれが可能ならモルハ国立公園の急激な植生の変化や、その結果としての砂漠化にも説明がつく。フェル君、質問してもいいかな」

 一拍おいて、アーロンが続ける。

「どうして君にはそれが分かったんだい?」

 核心を突く質問だった。しかしフェルは優雅な微笑みを浮かべて答える。

「わたしは勘がいいんだ。アーロンも知っているだろう?」

 はぐらかすようなフェルの答えを、アーロンは吟味するように間を空ける。

「……わかった。それでいいよ。その上で、もうひとつ質問だ。フェル君は、この湖上塔からモルハ国立公園へ、再び水を供給できるようになると思うかい?」

「可能だ。この遺跡はまだ生きている」


 ユベールは口を挟めない。アーロンはフェルが遺跡の機能を把握しているという前提で話しているし、フェルもそれを隠そうとしていない。彼女がピンポイントで遺跡を発見することについて、彼なりに疑念を抱いていたのかも知れない。


「ところで、二人はサンディが僕の調査に協力してくれる理由を知っているかい?」

「いや、聞いていないな」

 話題を変えるアーロンにユベールが答え、フェルも黙って首肯する。

「サンディはアルメア先住民族の血を引いているって、前に話しただろう? 彼は、祖先の土地を守るためにパークレンジャーになったんだよ。僕の調査に協力してくれるのも、モルハ国立公園をかつての緑豊かな土地へ戻すための糸口を見つけるためだって話してくれたことがある。けど、フェル君の話が真実だとしたら」

 アーロンはそこで言葉を切る。少し考えて、ユベールもその言葉の真意に気付く。

「そうか、この土地を去る際にあえてそうした可能性もあるのか」

「どういうことだ?」


 首をかしげ、フェルが尋ねる。遺跡の仕組みは理解しても、そこに関わった人間の思いまでは考えが至っていなかったらしい。考えを整理しながら説明する。


「アルメア開拓時代、先住民族と移民の関係は必ずしも良好じゃなかった。いや、むしろ険悪だったと言っていいだろう。両者はアルメア大陸各地で争いを起こし、大抵は銃を持つ移民側が勝利した。このカルニア州も例外じゃない。豊かな土地は奪われ、次第に奥地へ追いやられるアルメア先住民族は、豊かな農地を侵略者に明け渡すことをよしとせず、自らの意思で土地を枯らした可能性がある」


 アーロンの前で、魔法の力を用いて、とは口にできなかった。それでもフェルには伝わったらしい。目を見開いて、信じられないという表情を浮かべる。国家を守るために魔法を行使し、結果として土地を枯らしたフェルにとって、自らの土地を自らの意思で枯死させた彼らの選択は理解も容認もできないものなのだろう。


 ユベールの言葉に同意するようにうなずいたアーロンが言う。

「僕は人の心に疎いから、君たちの考えを聞きたいんだ。この話を聞いて、サンディはどう思うだろうか。あるいは、彼には黙っている方がいいんだろうか?」


 アーロンの問いは、容易に答えの出せない問いかけだった。モルハ国立公園の緑化のためには地下水を根こそぎ吸い上げる湖上塔の魔法を解く必要があるが、それはこの地に住んでいたアルメア先住民族の意思を否定することでもある。


「サンディに全てを話して、わたしたち皆で決めるべきだ」

 迷いのない言葉は、フェルのものだ。二人の視線を受けて、ユベールも言う。

「……サンディに全てを伝えるまではいいだろう。だが俺には、この場ですぐに決めていいことだとは思えない。頭を冷やして、考える時間を取るべきだ」

 フェルとユベールの言葉を聞いて、アーロンがうなずく。

「二人とも、サンディに話すべきだという点では一致しているんだね。分かったよ。一度ペトレールまで戻って、サンディを呼んでこよう」


 水に入ることを渋るサンディをどうにか説得し、四人で塔の頂上に戻ってくる。アーロンの説明を聞き終えたサンディはしばし瞑目し、それから口を開く。


「地下水を吸い上げて湖を造っている。それが真実だとすれば、現状の在り方が自然だとは思えない。元に戻せるなら、そうするべきだ」

「それでいいのかい、サンディ」

 淡々とした言葉に、困惑したように声をかけるアーロン。

「アーロン、お前のことだ。俺の血筋がどうのこうのと気遣ったつもりなんだろう。だが、俺はアルメア先住民族の血を引くと同時に、アルメア人でもあるんだ。この土地は、かつて彼らのものだった。そして今は、俺たちのものだ」

「……そうか。僕は本当に、人の心に疎いな」

 自嘲するようにうつむくアーロンだったが、すぐに顔を上げる。

「ユベール君。頭を冷やして考えるべきだと言ってくれたけど、きっと答えは変わらないと思うんだ。僕らは、湖上塔の機能を止めようと思う。できればユベール君とフェル君にも手伝ってもらいたいんだけど、どうかな」

「俺たちは雇われの身で、雇用者は貴方だ、ドクター。貴方とサンディがそう決めたのなら、口を差し挟むつもりはないよ。フェルはどうだ?」

「同感だ」


 改めて、互いの顔を見合わせてうなずく。湖上塔の機能が止まれば、モルハ国立公園に張り巡らされた管による地下水の吸い上げも止まり、自然な状態になる。不自然な乾燥と砂漠化も解消され、次第に緑化されていくことだろう。


「問題は、どうやって機能を止めるかだね。塔の上層部には制御装置の類は見当たらなかったし、水没しているとなるとちょっと手が出せないな」

「塔を壊してしまえば、機能停止するんじゃないか?」

「こんな貴重な建造物を壊すなんてとんでもない!」

「なら方法を考えろ、お喋りガラス。俺にはこういうものは分からん」

「君のご先祖様の造ったものだろう? 伝承とか残ってないのかい?」

「残っていたら、とっくにお前が聞き出しているだろう」

「そうだろうけどさ」

「ドクター、サンディ」

 軽口を叩き合いながら最上階を調べる二人に声をかける。

「俺とフェルは階段を調べてみる。暗くて見えなかったものがあるかも知れない」

「うん、頼むよユベール君。フェル君も」

 アーロンは、ユベールとフェルが二人で話す時間を作ってくれたのだろう。フェルを連れて階段を降り、ペトレールの側で向かい合う。煙草に火を付けようとして、煙草もマッチも湿気って使い物にならないことに気付き、舌打ちする。

「怒っているのか、ユベール?」

「それが分かっているなら、どういうつもりか説明してくれるな」


 不測の事態に陥った場合、必要に応じて魔法についての情報を開示する。事前に二人で決めた線引きを断りもなく破られたことに、多少の腹立たしさはあった。


「パーティーの夜、サンディとの会話を聞いていた」

「立ち聞きとは、趣味が悪いな」

 自覚はあったのだろう。目を伏せて、フェルが言う。

「ユベールが話してくれたら、謝るつもりでいた」

「あれは俺とサンディとの話で……」

 言い訳がましい言葉は、フェルの言葉で遮られる。

「サンディは、わたしたちに感謝すると言っていた」

「……そうだな。すまなかった」


 モルハ国立公園の調査には、アーロンの学者生命が懸かっている。そのことを知れば、フェルはきっと協力したいと言い出す。だから、あえてサンディとの会話をフェルに伝えることもしなかった。隠した、と受け取られても仕方がない。


「分かった。アーロンに協力しよう。ただし、無理はするな」


 数百年前にかけられた魔法の制御。その難易度とリスクはユベールには見当もつかない。全てをフェルに任せるしかない以上、せめて釘は刺しておきたい。


「大丈夫だ。先ほど水晶に触れて、全体像は把握できた」

「安全に制御できるのか?」

「やってみなければ分からない」

「……まあ、いいだろう」

 言いたいことはあったが、飲みこむ。そもそも彼女を信頼することが前提の話だ。

「具体的にはどうやるんだ?」

「サンディが言っていた通りだ。広範囲から水を吸い上げて湖に貯めこむ、不自然な状態を解消してやればいい。後は時間をかけて元に戻っていく」


 能動的に水を送りこむのではなく、機能を停止させるだけならリスクは低いように思われた。フェルの態度も、冷静に事実を語っているように見受けられる。


「すぐにでもやれるのか?」

「水晶に触れれば」

「よし、上に戻ろう」

 最上階に戻ると、アーロンとサンディは待ち構えていたように二人を見る。

「何か分かったかい?」

 フェルはうなずいて進み出ると、中央の台座で輝く水晶に手を当てる。

「この水晶が鍵だ。わたしなら、湖上塔の機能を停止させられる」

「色々と聞きたいところだけど、きっと事情があるんだよね。それなのに、リスクを負って協力してくれることを感謝するよ。君たちに会えて本当によかった」


 方法を知りたくてたまらない。アーロンはそんな顔をしていた。しかし、彼がそれを口に出すことはなかった。サンディもまた難しい顔で黙りこんでいる。


 フェルは目蓋を閉じ、深く息を吸いこんだ。ただ目を閉じて集中しているようにしか見えない。知らない者が見れば、彼女が魔法を使っているとは分からないだろう。額にうっすらと浮かぶ汗だけが、彼女にかかる負荷を想起させる。


 しばしの間を置いて、彼女は長く息を吐き、ゆっくりと目を開けた。辺りに響いていた水流の音が小さくなっていき、やがて放水口からの水流が途絶える。


「これで終わりだ。後は自然に……」

 不意に爆発音と衝撃波が身体を打った。低く断続的な地鳴りがそれに続く。

「おい、あれを見ろ」


 サンディが示した方向に目をやると、カルデア湖の外輪山の一部が崩落を始めているのが見て取れた。大量の土砂が湖に流れこみ、続けて閉じこめられていた大量の水が流出を始める。周囲の土を削り取られ、流れは次第に勢いを増していく。


「フェル?」

 ユベールの視線に、フェルは戸惑った様子で首を振った。

「分からない。わたしは地下水を吸い上げる流れを止めただけだ」

「ああ、そうか」

 フェルの言葉を受けて、アーロンが納得したようにうなずく。

「湖上塔は数百年間もメンテナンスを受けずに稼働し続けていたんだ。水道管は老朽化して傷んでいたはず。水流が止まって、中空になったことで重みに耐えられず、崩落したんだ。方角的にも、あの辺りは管が大量に通っていたはずだし」

「呑気に分析している場合か。水位が下がり始めてるぞ」

 サンディの指摘に血の気が引く。

「まずい。ペトレールが!」


 水位が下がれば滑水距離が足りず、離水できなくなる。それ以前に、塔に係留したままでは機体が激突し、その重さと衝撃で塔そのものが崩落する恐れもあった。


「走るぞ。急げ!」


 記憶を頼りに、暗闇の中を二段飛ばしに駆け下りる。ペトレールを係留してある塔の中央部に着くまでに一分を要した。窓から外を覗きこみ、舌打ちする。すでに水位は五メートルほど下がり、ペトレールは大きく傾いていた。右の翼端が塔に当たって破損し、ロープを縛り付けた台座は今にも壁からちぎれ飛びそうになっている。


 ロープを解いている猶予はない。ナイフでロープを切ると、一気に落下したペトレールの艇体が水面を打ち、左翼の先端が水を叩いた。落差はすでに十メートル近くとなり、さらに広がっていく。仮に飛びこんだとしても、機体に乗りこみ、エンジンをかけるのにかかる時間を考えると、離水できるかは賭けとなる。


「ユベール」

 フェルが追いついてくる。

「間に合わなかった。くそ、俺のミスだ」


 ユベールが舌打ちすると、フェルの顔が蒼白となる。アーロンとサンディも追いついてくるが、流されていくペトレールを前にどうすることもできない。


「アーロン、ペトレールを助けなければ」

「ダメだ、フェル。ここで力を使うな」


 フェルの魔法でペトレールを上手く漂着させることは可能だろう。しかし湖の底に残るだろうわずかな水では、ペトレールが離水できない。再び離水できるだけの水を集めようにも、そのための水道管は崩落してしまった。


「ペトレールは……」


 苦渋の決断だった。しかし、それ以外の方法がない。モルハ国立公園の奥地で、サンディの乗ってきた一頭を除けば馬もない状態で取り残されてしまっているのだ。ペトレール以前に、この場にいる四人の命を危ぶむべきだった。


「ペトレールは、ここで捨てる」

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