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空飛ぶ魔女の航空会社〈Flying Witch Aviation Company〉  作者: 天見ひつじ
第六話 アルメアの荒れ野に咲く
36/99

6-4

 ベースキャンプに戻って、アーロンの用意した契約書にサインする。

「よし、これで契約成立だ。契約期間中の滞在だけど、ここにはまともな宿泊施設がないから、プルーメントの街で部屋と車を借りて、そこから通うといいんじゃないかな。フェル君は女性だし、その方がいいと思うよ。ここは砂っぽいしね」

「嫌なら出ていっていいんだぞ、アーロン」

 会話を聞きつけたサンディの嫌みを聞き流し、アーロンが続ける。

「ローカストのことはサンディから聞いたかい? モルハ空港のハンガーを借りてるんだけど、やたらでかいハンガーで持て余してるんだ。整備が終わったら君たちの飛行機も持ってくるといいよ。空いてるスペースは好きに使って構わない」

「それはありがたい。願ってもない申し出だ」

 三ヶ月の契約期間中、格納庫で保管できるのは大きなメリットだった。

「他に聞きたいことはないかな? なければ、街まで送っていくよ」


 フェルに視線を向けると、黙ってうなずいた。特に質問はないようなので、再びアーロンの車に乗りこんでプルーメントまで送ってもらう。出発が昼過ぎだったので、すでに日没が迫っている。少なくとも今夜の宿は見つけなければならなかった。


 アルメアに到着した初日としては上々の滑り出しに、満足感を覚える。契約書を整える手際、こちらが欲する情報を的確に提示する気配り。金払いもよく、上手くすればアディントン・エアクラフト社との人脈も築けるかも知れない。偶然の出会いだったが、アーロンは仕事相手として申し分ない相手だった。


「君たちが乗っているのは飛行艇なんだよね。それなら港の近くがいいかな」

 アーロンと出会ったダイナーの近くで降ろしてもらう。

「何から何までありがとう、ドクター」

「気にしなくていいよ。長期間の仕事だし、お互い気持ちよく仕事がしたいからね。何か足りない物があったら遠慮なく言ってくれよ」


 握手を交わしてアーロンと別れる。ホテルはすぐに見つかり、そこで紹介してもらったレンタカー屋で車を借りてから整備工場に向かい、ペトレールと一緒に預けていた荷物を部屋へ移した。しばらくはここが拠点となる。


 アルメア連州国政府にとってはシャイア帝国の非道を宣伝する格好の材料であるフェルの出自を考え、また長期間の滞在になることも加味して、温かいシャワーと清潔なシーツがあり、プライバシーが確保される宿を選んだ。窓からは港とイランド内海を眺めることができ、それなりに値が張るだけあって快適そうな部屋だった。


「フェル、確認したいことがある」

「なんだ、ユベール」

「モルハ国立公園では異常な魔力を感じたりしなかったか?」

 アーロンとサンディの前では口にできなかった質問だった。フェルも質問されることを予期していたらしく、すらすらと答える。

「全体として希薄だ。しかし遺跡塔のある場所ではわずかに魔力を感じた」

「そこで魔法が使われてたってことか?」

「いや、人が長く使っていた遺跡ではよくあることだ」

「そういうものなのか? ふむ……つまり、現時点では魔法の気配はないってことか。そうか、ならいいんだ。この先も何か異常を感じたらすぐに教えてくれ」

「了解した」

 ブレイズランドの一件もある。警戒しておくに超したことはない。

「ただ……」

「どうした?」

「わたしの魔法を、正確には魔力の感知を仕事に役立てられるかも知れない」

「ああ、遺跡塔に魔力を感じたって言ってたな。空からでも分かりそうか?」

「おそらく。試してみないと分からないが」

「やるとしたら、ローカストで空撮する合間だろうな。お前には撮影を任せたいと考えていたんだが、両方やるとなると忙しいぞ。やれるのか?」


 自らの魔法に対して前向きな態度を取れるようになったのは好ましいが、こちらがそれを期待する素振りを見せれば、彼女はそれを察してしまうだろう。できるだけフラットに、こちらの意向は滲ませないような口調で問いかける。


「やってみたい」

「了解だ。やってみるといい」


 共通語を話し続けて慣れてきたこともあるのだろうが、問いかけに対しての返答が明らかに早くなっている。出会った頃の彼女は、自らの言葉に問題がないかを吟味するように間を置いてから言葉を発していたのだ。その頃と比べれば、表情もずいぶんと柔らかく、多彩になっている。気を許してくれている証拠だと思いたい。


「これからどうする」

「うん? そうだな、ペトレールの修理が終わるまで予定はない。車でどこか……」

 言葉を切って顔をしかめるユベールを見て、フェルが首をかしげる。

「どうかしたのか?」

「いや、さっき荷物を取りに整備工場に寄っただろう? そろそろ修理の見積もりが出ている頃合いだから、ついでに取ってくるべきだったと思ってな」

 ユベールの説明を聞いて、フェルがくすりと笑う。

「時間はあるだろう? 一緒に散歩しよう」

「……そうだな」


 本当に、表情豊かになったものだと思う。雪白の髪色は相変わらずどこに行っても目立つが、少しだけ日焼けした健康的な肌、水兵服を可憐に着こなす姿に冬枯れの魔女の雰囲気はない。航法士フェル・ヴェルヌが彼女にとって仮の姿、偽りの名前ではなくなる日が、いつか来ればいいと思う。



 渡された請求書を見て、目を疑った。

「桁がひとつ多いんじゃないか?」

 請求書を指で弾くユベールに、整備長を名乗る肥満体の男が平然と答える。

「どこも同じですよ、旦那。民間向けの部品は全てが不足してるか、劣悪なやつしか回ってこないときてる。なんだったら相見積もりを取ってもらったって構いませんぜ。うちは良心的な方だってことが一発でご理解いただけるはずだ」

「ある程度の高騰は覚悟してたが、こうも上がるか」

 舌打ちするユベールに、腕を組んだ整備長が短く答える。

「戦争ですからな」


 アルメアの工業生産力を持ってしても、東で海峡を挟んでシャイアとにらみ合い、西で対極洋を挟んだ同盟諸国への軍事援助をしている状況では民間向けの交換部品を生産する余力はないらしい。在庫があるだけ上等というものだろう。


「……仕方ない。エンジン周りを重点的にやってくれ。タイヤとブレーキは諦める。プラグがなんでこんなに高いんだ。これも交換しなくていい。艇体の塗り直しは頼む。なんだったら多少は色味が違っても構わない。これでいくらになる?」


 改めて提示された金額はなんとか許容できるものだった。当初はその額で全ての交換部品を入れ替えるつもりであったことを考えなければの話だ。


 近場のレストランで夕食を済ませて宿に戻る頃にはすっかり暗くなっていた。ベッドに腰を落ち着けると、移動と乗馬で疲れ切っていたことを自覚する。週明けまでは休暇となるが、今日は早めに休んだ方がよさそうだった。


「もう寝た方がいいぞ」

 机に向かってログブックを記入するフェルに声をかける。

「気になることでもあったか? 遠慮せず聞いていいぞ」

「ユベール。アルメアはシャイアに勝てるのか?」

 返ってきたのは、予想外に重い問いかけだった。

「どうだろうな。両国は国境に大部隊を貼り付けてにらみ合っているが、未だ開戦には至っていない。理由は色々あるだろうが……」

「例えば?」

「予想される被害があまりに大きい。割に合わないんだ」

「割に合わない?」

「ああ。同じ世界大戦と銘打たれてはいても主戦場はエウラジア大陸だった先の大戦と違って、アルメアとシャイアが戦争することになれば文字通りの世界大戦になる。勝ったところで失うものの方が多く、かといって逃げるわけにもいかない。シャイアが大陸の覇権を取ってしまえば、いかにアルメアでも巻き返しは難しいからだ」

「ユベールは、戦争になると思うか?」

「さてな。シャイア皇帝の考えなんて俺には分からんし、アルメアの議会も開戦派と融和派でまっぷたつに分かれている。ただ、今になってシャイアが不穏な動きを見せているのは確かだ。ディーツラントに対するアルメアの宣戦を非難する声明を出したり、アヴァルカ売却問題を再燃させる動きがあったりな」

「アヴァルカ売却?」

 聞き慣れない言葉に不審げな表情を見せるフェル。

「地図を出してみろ。世界地図だ」


 普段使っている航空図ではなく、市販の世界地図を広げる。日付変更線を地図の両端に置くエウロパ系の記載法であるため、シャイア帝国とアルメア連州国はそれぞれ地図の左右両端に位置する。そのため地図で見ると距離があるようなイメージを受けるが、実際にはリーリング海峡を挟んで目と鼻の先に位置している。


「アルメア連州国でも最大の面積を誇るアヴァルカ州。リーリング海峡を挟んでシャイア帝国と隣接する最前線であり、豊富な地下資源を産出する重要な州だが、ここはおよそ百年前まではシャイアの植民地だったんだ」


 アヴァルカ州は五十州から成るアルメア連州国の面積のうち、単独で五分の一を占める巨大な半島だ。北央海と南央海を繋ぐボトルネックであるリーリング海峡に面しているため、軍事的にも商業的にも価値が高い。


「シャイアの植民地を、アルメアが奪ったのか?」

「違う。シャイアは自ら手放したんだ。アヴァルカ売却問題って言ったろ?」

 貪欲に版図を広げるシャイアが領土を手放したという話が信じられなかったのか、フェルは目を丸くして問い返してくる。

「なぜシャイアはアヴァルカを手放したんだ?」

「当時のシャイアはキリム戦争の後遺症で、莫大な借金と不景気にあえいでいた。そんな中、苦肉の策として出てきたのが当時の新興国であるアルメア連州に対する植民地の売却だったんだ。当時は地下資源も発見されていなかったし、亜熱帯のジャングルに覆われたアヴァルカは利用価値の低さから二束三文の額で叩き売られた」


 アヴァルカ半島の価値がどれだけ低く見積もられていたかは、アヴァルカ購入のため大統領の命を受けて精力的に動いた国務長官ウィリアム・ドワードの当時の評判からも窺い知れる。彼は『耕作にも放牧にも適さない無価値な土地に巨額の税金を注ぎこんだ』と議会の糾弾を受け、大衆からは『ドワードの愚行』『密林王』などと揶揄されるに至り、最終的には任期半ばで辞任に追いこまれたのだ。


「アルメア国民は開拓心が旺盛だ。ジャングルを切り開き、険しい山や洞窟を踏破し、新たなフロンティアたるアヴァルカの開拓を進めていった。その過程でアヴァルカには金鉱や油田、その他の地下資源が豊富に埋まっていることが判明した。アルメアは降って湧いた幸運に喜んだが、シャイアにとってはおもしろくない。本来なら自分たちが得るべきものだったのに、ってわけだ」

「だから、取り返そうとした?」

「そう。それがアヴァルカ売却問題だ。こいつがアルメアとシャイアの関係が悪化する度に再燃する。喉に刺さった小骨みたいなもんだな」

「逆恨みでは?」

 一言で切って捨てるフェルに、ユベールは苦笑する。

「フェルの言う通り、正式に売買の契約書が交わされている以上、シャイアはアヴァルカに対する利権の主張などできない。しかし相手はシャイアだ」

「武力を背景に脅しをかけたのか」

「お決まりの手だな。契約書の細かい不備を指摘し、契約そのものの無効を主張。相手が呑まないなら開戦の口実とする。どっちに転んでもシャイアに不利はない」

「どうにかできないのか?」

「どうにかしようとして、列強各国は手を結びつつある。対ディーツラント戦争におけるケルティシュ、エングランド、アルメアの三国による連合軍の結成が象徴的だな。あれは実質的にエウラジア大陸の覇者であるシャイア帝国に対抗するための同盟だ」

「そこまで考えているのか」

「アルメアの参戦で大勢は決した。シャイアも負け戦となれば手を引くだろう。後はディーツラントがどこまで粘るか、だ。連合国の首脳間では、和平条約の締結に当たって賠償と領土割譲をどうするかって話し合いが始まっている頃合いだろうな」


 ユベールの言葉を受けて深刻そうな顔で考えこむフェル。頭にあるのは、彼女の祖国であるルーシャのことだろう。戦争、そしてフェルの魔法による影響で荒廃した国土は、シャイアによる支配と収奪で復興が遅れていると聞く。


「話が長くなったな。もう寝るぞ。明日も早いからな」

「仕事か?」

 引き締まった表情を見せるフェルに、苦笑で返す。

「観光だよ。好きなところに連れていってやるから、行きたいところを考えておけ。せっかくアルメアに来たんだ。羽を伸ばすのもいいだろう」

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― 新着の感想 ―
[良い点] まだ途中ですが、子供のころジブリアニメとかハウス名作劇場とかを見て、空に思いを馳せていた時のようなワクワク感があります [気になる点] 国名や地名が地球と似ているので、なんとなく地理的に…
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