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空飛ぶ魔女の航空会社〈Flying Witch Aviation Company〉  作者: 天見ひつじ
第五話 魔女は去りて冬ぞ来たる
32/99

5-7

 白狼との戦いから一年弱。フェルリーヤとの約束通り、二人はヴェルホビーの戦場跡を訪れていた。この地でメルリーヤの行使した大魔法はシャイア帝国軍に大きな打撃を与え、ルーシャ帝国軍に反撃のきっかけを与えた。大魔法が大地に刻んだ傷痕は『魔女の爪痕』とも呼ばれ、今なお目にすることができる。


 十六年前の開戦当時、準備の整わないルーシャ帝国に対して有利に戦いを進めたシャイア帝国は、ルーシャ領の奥深くまで部隊を進めていた。そこに現れたのが魔女メルリーヤだった。初めて歴史の表舞台に姿を現した彼女は圧倒的な力を振るい、大地を割って敵軍の退路を断ち、雪崩と土石流で全てを呑みこんだ。


 二人の立つ小高い丘からは、戦場跡が一望できる。ヴェルホビーは険しい山に挟まれた谷間であり、この地より先に侵攻していたシャイア帝国の先遣部隊は退路と補給路を断たれて壊滅した。侵攻の途上にあった村や都市は壊滅的な打撃を受けたが、ルーシャ帝国全体として見れば、魔女メルリーヤが戦局に介入したタイミングは最善だったと言えるだろう。


 もっとも、直接的な被害を受けた人々には未だ割り切れない想いも残る。ゲリラ化した現地の民族、シャイア帝国に内通することで安全と金銭を得ようとする住民も数多く、ルーシャ帝国政府は手を焼いているのが現状だ。そうした帝国の内情も、この一念でフェルリーヤに包み隠さず教えてきた。


「フェルと旅を始めて、もう一年になりますね」

「そうね……色々なところへ行ったわ」

「モルウルス自治区、ウルスタン共和国、シャイア帝国。隅々まで回ったわけではありませんが、中央エウラジアを一巡りしたことになりますね」

「楽しい旅だったわ。本当にありがとう、ウルリッカ」


 立ち上がり、軽く手を払ったフェルリーヤが微笑む。訪れた先で大地に掌を当てる彼女の姿もすっかり見慣れてしまった。旅塵に塗れても輝きを失わない雪白の髪が風になびき、今なお生命の気配が薄い荒涼とした大地を背景にして、その佇まいにある種の魔的な美しさを与えていた。


 地図を広げれば、ウルリッカとフェルリーヤがたどった数千キロにも及ぶ旅程が一本の線として記されている。ルーシャ帝国の首都メルフラードから始まり、モルウルス自治区に入り、ウルスタン共和国の各地を巡り、ルーシャ帝国とのそれと比べれば監視の緩い国境を抜けてシャイア帝国領にも足を踏み入れた。


 ウルリッカを教師としたフェルリーヤは乾いた布が水を吸うように知識と経験を身に着け、今ではルーシャ語に加えて共通語での意思疎通もできるようになっていた。少々ブロークンな発音と語彙には目をつぶるとしても、国際社会においては相手が喋る内容を通訳抜きで理解できるのは大きなアドバンテージだ。


「ねえ、ウルリッカ」

 魔女の爪痕をじっと見つめるフェルリーヤが、ぽつりと言う。

「ルーシャに戻ったら、貴方はどうするの?」

「私の正式な身分はルーシャ帝国陸軍中佐です。フェルの護衛任務が終われば、通常の軍務に戻ることになるでしょう。戻れれば、の話ですが」

 自らの立場のあやふやさを思い、ウルリッカは苦笑する。

「貴方が軍に戻ったら……わたしは、どうなるのかしら」

「メルリーヤ様がどうお考えになるのかはわかりません。ですので、これはあくまで私見なのですが……フェルは時期を見て、正式に魔女の後継者としてお披露目されることになるでしょう。その日までは国際社会と政治について、しかるべき教師の下で学ぶ期間が設けられるものと思います」

 ウルリッカの言葉を聞いて、フェルリーヤの肩が震える。

「……ウルリッカではダメなのかしら?」

「光栄なお言葉ですが、よりふさわしい人物はいくらでもおります」

「わたしは、ウルリッカがいい。貴方と離れたくない」

 彼女はウルリッカと目を合わせるのを恐れるように、背を向けたまま言葉を継ぐ。

「ウルリッカは……貴方は、もうわたしと一緒にいるのが嫌なの?」

「そうですね……」


 フェルリーヤの言葉を、一時の感傷に過ぎないと切って捨てることもできる。一年余りも共に旅をした相手と離れ離れになるのだから、一抹の寂しさを抱いたとしてもおかしくはない。しかし、一国を背負って立つ人間がそのような感傷から特定の人物を引き立てることがあってはならなかった。


「フェルと一緒にいるのが嫌だというわけではありません。ですが、これからの貴方は国家を背負う者として、建前と権力を使いこなさなければなりません」

 フェルリーヤが振り向き、どういうことかと問いたげに眉をひそめる。

「私はフェルの教師であり、護衛である以前に、軍人です。そして、そのことに誇りを抱いています。魔女の後継者として、フェルが私をそばに置きたいと願うのなら。取りうる手段はいくつか考えられるはずです」

 ウルリッカの言葉を材料に、しばし考えたフェルリーヤが答えを出す。

「……わたしは魔女の後継者として、貴方を我が親衛隊の長として任命します。ウルリッカ・グレンスフォーク陸軍中佐。この任務、引き受けてくださいますね?」


 世間知らずの儚げな少女の面影は、すでに見られない。一年の旅を経たフェルリーヤの凛とした態度、口調には指導者としての風格が確かに備わりつつあった。ひざまずいて手を取り、口付けと共に制約の言葉を述べる。


「……未来の女王陛下、心優しき白の魔女に我が忠誠を。帝国陸軍中佐ウルリッカ・グレンスフォーク、親衛隊長の任を謹んで拝命いたします」




 ヴェルホビーの戦場跡を発ち、モルウルス自治区に入る。遊牧民の一族と交わした、また訪れるという約束を果たすためだった。しかし、冬営地に近づくにつれてどこか違和感が高まっていく。その正体に明確な定義を与えられずにいるうちに、今度は馬が怯えて先に進むことを嫌がりだした。


「……どうしたのでしょう。今まではこんなことはなかったのに」

 不安そうに言うフェルリーヤに、心当たりはないと首を振って示す。

「冬営地までそう距離はありません。手綱を引いて歩きましょう」


 フェルリーヤには言わなかったが、ウルリッカは去年の出来事を思い出していた。あれはハルハーンを倒し、冬営地を出発しようとしたときのことだった。あのとき、馬たちはフェルリーヤに対して怯えるような素振りを見せた。それとどう結びつくのかまではわからなかったが、胸の中に不安が渦巻く。


 しばらく先に進むと、違和感は明確なものとなる。まだ秋口だというのに、草木が枯れ果てているのだ。しかも、その傾向は進むほどに強まっていく。十分も経たないうちに、周囲は静寂に包まれた枯草色の大地が見渡す限り続く景色へと変わる。秋になり、冬を前にして枯れたのではなく。春と夏を通じて草木の一本すら生えなかったのだと知れる、地平線に至るまで死に満ちた大地だった。


「…………」

 蒼白な顔で辺りを見回すフェルリーヤの肩に手を置く。

「……行きましょう」


 冬営地はもぬけの殻だった。生命の気配どころか、生活の痕跡すらない。打ち捨てられた道具や柵の残骸が、かえって物悲しさを漂わせている。


「これは……なに? なぜ、こんな……」

「わかりません。ただ、ここには生活の痕跡らしきものが一切見当たりません。遊牧民族の一族は、ここではないどこかへ移動したものと思われます」

「じゃあ、みんな生きているのね?」

「おそらく」

「探しましょう。なぜ、こんなことになったのかを聞かないと……」

「いけません。この大草原を移動する遊牧民族を捉えるのは至難の業です。私たちはここでなにかが起きたことを本国に報告せねばなりません。気がかりではありますが、今はルーシャへ戻りましょう、フェル」

 じっと下を向いて考えこんでいたフェルリーヤだが、やがてうなずく。

「……わかりました。貴方の判断を信じます」


 逃げるように冬営地を後にする二人の間で交わされる会話は途切れがちになり、やがて途絶える。重い沈黙の中でウルリッカが思い返していたのは、ヴェルホビーの戦場跡のことだった。先の戦争から十六年。人の手が全く入らなかったにも関わらず、赤茶けた剥き出しの地面が顔をのぞかせているのを見て、その時点で疑問を抱いてしかるべきだったのだと唇を噛む。


 フェルリーヤに尋ねたわけではない。メルリーヤから聞かされたわけでもない。しかし、この惨状を見てウルリッカは確信する。これは、フェルリーヤがこの地で魔法を行使したことをきっかけとして引き起こされた事態なのだと。


「ウルリッカ……ウルリッカ!」

 呼びかけられ、はっとなる。

「どうしましたか、フェル」

「いま、あっちでなにかが光って……」


 フェルが指差した方角から、長く尾を引く破裂音が響く。続けて鋭い風切り音を立てて銃弾が二人の横を飛び抜けていく。狙撃、という単語が脳裏に浮かぶ。続けて馬のいななきが風に乗って届き、長く伸びた草の陰から数騎の騎兵が駆けてくるのを視界に捉えた。明らかに友好的な相手ではない。


「フェル、馬に乗って! すぐにここから逃げます!」

「……はい!」


 四騎の騎兵はライフルを背負い、揃いの制服を身に着けている。遠目に見る限り、シャイア帝国の軍服に似ているように思えた。何らかの極秘任務、あるいは偵察任務を帯びているのだとすれば、捕まったらタダでは済まない。


「あれは? なぜわたしたちを?」

「おそらくシャイア帝国の兵です。逃げましょう、こうも平坦な場所では……」

「シャイア……そうか、あいつらが……」

「フェル? フェル!」


 フェルリーヤの馬が足を止める。否、彼女が手綱を引いて止めたのだ。ウルリッカも慌てて馬首を返し、フェルリーヤの下へと引き返す。その間にフェルリーヤは下馬してしまっていた。その眼はまっすぐに騎兵を見据えている。


「シャイアは敵だと、お母さまに教わりました」

「そうだとしても、今は逃げるべきです! お早く!」

「大地を枯らしたのも、きっとシャイアの仕業です。あいつらを倒せば……」

「フェル! いけません、ここでは魔法は……」


 その場でしゃがみこみ、大地に掌を当てて瞑目するフェルリーヤの姿はこの旅を通して幾度も見かけたものだ。そしてウルリッカの推測が正しければ、今この場で魔法は発動できない。思い出すのは、ハルハーンのつがいを撃退したときに魔法が使えず自失していたフェルリーヤの姿だ。あのときと同じことを繰り返せば、自失したフェルリーヤを連れてこの場から逃れるのは不可能になる。


 フェルリーヤの手をつかんで立たせようと引っ張ったのと、凄まじい虚脱感に襲われたウルリッカが意識を失ったのはほぼ同時だった。



 意識を取り戻したウルリッカが目にしたのは、大地から突き出た岩の槍で串刺しにされた四人と四頭の馬だったものと、地に伏す彼女に取りすがってすすり泣くフェルリーヤの姿だった。鉛でも詰めこまれたように重い腕を持ち上げて彼女の頭をなでてやると、一層激しく泣き出してしまう。きしむ身体を起こして周囲を見回すも、怯えたように距離を置く二人の乗ってきた馬以外に動くものの気配はなかった。


「……他にもいないとも限りません。この場を離れましょう」


 喋るだけで倦怠感に襲われ、激しい頭痛が思考を苛む。鞍上に身体を引きずりあげ、カザンスクに向かうようフェルリーヤに言い含めるので精一杯だった。馬に体重を預け、意識をはっきりさせようと頭を振ったことまでは憶えている。次に意識を取り戻したのは、すっかり日も沈んでからだった。


「ウルリッカ!」

「……フェル? どうしましたか?」

「どうしたのか、ではないわ! 貴方、落馬したのよ!」


 フェルリーヤに言われて、ようやく自身の状態に意識が向いた。固い地面に打ちつけた肩が酷く痛み、乗り手を失った馬が心配そうに鼻面を寄せてくる。無理を押して先に進んでも、また落馬するだけだろう。今度は打ち身だけで済む保証はなく、これ以上進むことは断念せざるを得なかった。




 十日をかけてカザンスクへたどり着くまでには、身体の調子も少しはまともになっていた。それでも全身の倦怠感は抜けず、気を抜けば意識を失ってしまう状態には変わりなかった。フェルリーヤが絶えず声をかけ、支えてくれなければ、どこかでまた落馬して大怪我をしていたかも知れなかった。


 鈍った思考で、あのときなにが起こったのかも考えていた。ウルリッカの推測通り、魔法とは大地が生命を育む力を破壊力へと変換するものなのだとすれば、それが生物を対象として振るえたとしてもおかしくはない。魔法の発動の瞬間、枯れた大地の代わりに彼女の手を握っていたウルリッカの生命力が吸われたのだ。


 白狼や馬がフェルリーヤを恐れた理由も今ならわかる。魔女とは生きとし生けるもの全てに対する脅威であり、天敵なのだ。本能に生きる彼らには直感できたことが、立場や常識に縛られた人間には理解できなかった。結局のところ、魔法という非現実的なものに対する考察を深めようとせず、あいまいなままにしてきたツケが回ってきた、ということだった。


「もうすぐカザンスクに着くわ。がんばって……!」

「すみません、フェル」


 カザンスクの城門を潜ったときには、ようやくルーシャ領内までフェルリーヤを連れ帰れた安心感から意識を失いそうになった。なんとかそうならずに済んだのは、街を包む雰囲気の異様さがウルリッカにそれを許さなかったからだった。


「街の雰囲気が慌ただしい……脱出、しようとしている……?」


 ウルリッカの独り言に、フェルリーヤが不安そうな表情を浮かべる。街路を埋めるのは家財道具を詰めこんだ馬車や荷車が目立ち、市場からはすっかり活気が失われていた。辻には衛兵が立ち、騒動や犯罪に目を光らせているものの、彼らの立ち居振る舞いにも不安と動揺が見て取れる。


 馬を降り、雑貨屋に立ち寄って新聞を買い求める。店主の老人は腕を組んで難しい顔をしていたが、二人に目を止めると諭すような口調で話しかけてくる。


「お嬢さんがた、早々にこの街を立ち去るがよい。ここは戦場になるよ」

「戦場……? 戦争ってことですか?」


 フェルリーヤが問い返す間に、ウルリッカは新聞の紙面に急いで目を通す。シャイア帝国がルーシャ帝国に対して宣戦布告したこと、それに対して大統領が発表した談話が一面に掲載されていることに愕然とする。


「シャイアが仕掛けてきた……? なぜ今、このタイミングで……?」

「そりゃお前さん、魔女様がいなくなったからじゃろうよ」

「いなくなった……メルリーヤ様が? どういうことですか?」

 問い返すウルリッカに、老人が目をしばたたかせる。

「どうもこうも……女王陛下はつい先日、この世を去られたばかりじゃろう」

「お母さま、が……?」


 信じられない、といった様子でフェルリーヤがつぶやく。しかし、老人が嘘をついている様子はない。モルウルス自治区に侵入していたシャイア帝国軍の斥候たちにも説明がついてしまう。魔女メルリーヤはこの世を去った。その現実が、ウルリッカの胸中に重く現実としてのしかかってくる。


「ウルリッカ……?」


 見上げてくるフェルリーヤの視線は、老人の言葉をウルリッカが否定してくれることを求めていた。しかし、その願いは叶えてやれない。


「一刻も早く、首都メルフラードに戻りましょう。ルーシャの魔女、その後継者が健在であることを一日も早く示さねば、それだけ犠牲は増えます」


 そのような言葉しか吐けない自らを、これほど呪う日が来ようとは。

 白雪のごとき儚げな魔女は、この日よりルーシャの全てを背負うことになる。

第五話「魔女は去りて冬ぞ来たる」Fin.

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[気になる点] >そうした帝国の内情も、この一念でフェルリーヤに包み隠さず教えてきた。 「この一念で」→「この一年で」 の誤変換だと思われます。
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