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「ユベール」

「なんだ?」

「質問がある」


 伝声管越しにフェルが切り出したのは、メニーベリー基地からの帰途だった。目的地である港湾都市ドヴァルまではまだ距離があり、またエングランド・ケルティシュ連合軍が制空権を有する空域であるためディーツラント帝国の戦闘機と遭遇する可能性も低い。軽く会話する程度の余裕はあると判断して応える。


「質問はいいが、周囲の警戒は怠るなよ」

「了解した。今日運んだ荷物のことだ」

「ビールに煙草、戦場には欠かせない兵士の燃料だな。それがどうした」

「彼らはとてもよろこんでいた」

「ああ、そうだな」

「だが、わたしたちが運んでも全員には行き渡らない」

「渡っただろ? 基地の人間は全員集まってたはずだ」

「違う、そうじゃない」

 もどかしげに言葉を切るフェル。遅れてユベールも理解が追いついた。

「なんだ、軍全体に行き渡らないことを気にしてるのか?」

「そうだ」

「仕方ないだろ? 俺たちはフィッツジェラルド少将の知己であるバーンスタイン大佐に届けろという依頼を受けただけだ。これはあくまで少将の私的な依頼であって、軍から頼まれたわけじゃない。大体だな、そもそも俺たちだけじゃ全軍の物資なんて運びきれないのはわかるだろ?」

 フェルはさらに質問を重ねる。

「軍隊にはわたしたちの役割はないのか?」

「ん? 輸送を任務とする部隊が無いのか、ってことか? そりゃあるだろ」

 彼女がなにを気にしているのかわからなかったが、続く言葉でようやく理解する。

「彼らは酒や煙草を運ばないのか?」

「ああ、なるほどな。ようやく話が見えてきたぞ」


 フェルの疑問は、なぜ必要とされる物資が必要とする人間のいる場所まで運ばれないのか、ということだ。その質問はユベールのような民間航空会社の存在意義に直結する。それに興味を持ち、疑問を感じ、自発的に質問してくるのは航法士の仕事に真面目に取り組もうとしている証だ。きちんと応えてやりたい、と思う。


「そうだな……その問いに答えるには、少し入り組んだ説明が必要だ。向こうに着いたら、飯でも食いながら教えてやる。それでいいか?」

「了解した」


 エングランド王国最大の貿易港であるドヴァル港は、軍港としての側面も備える。海峡を挟んだ対岸に位置するケルティシュ共和国の貿易港カールとは34kmしか離れておらず、未だカールの占領を続けているディーツラント帝国の攻撃に備えて街の至るところに高射砲が設置されている。また敵機と誤認されてはたまらないので、港の1kmほど手前で着水して入港することにした。幸いなことに波は穏やかだった。


「わたしは飛行機のことをよく知らないが」

「ん?」

「土でも水でも着陸できる飛行機は珍しいのでは?」

「いいところに目をつけたな。このぺトレールはたった一機だけ造られた水陸両用飛行艇でな。整備は手間だし、陸上機に比べて着陸に気を遣うが、どんな飛行機よりも多くの場所に降りて、また飛び立てる。俺たちの仕事にぴったりの相棒なのさ」

「ぺトレール。それがこの飛行機の名前か」

「教えてなかったか?」

「教えてなかった」

「そうか、そりゃ悪かったな。憶えておけ、俺とお前が命を預ける仲間の名だ」

「了解した……よろしく、ぺトレール」


 戦時中ではあるが、あるいは戦時中だからこそ、ドヴァルの港は活気づいていた。先日の上陸作戦が成功し、ディーツラント帝国が占領を続けるケルティシュ共和国内に連合軍が橋頭保を築けたことで、反撃の機運が高まっているのだろう。軍の艦艇はごく少数を残して出払っているが、徴用された民間船には上陸部隊向けの物資が続々と運びこまれている。物資ではなく、人を満載している船もあった。


「物資だけじゃないな。あれはアルメア連州国の兵隊か」

「アルメア……」

「お前さんにとっては複雑だろうな」


 フェルの祖国は他国の侵略を受けて滅んでいる。その最後のひと押しになったのが、アルメア連州国による軍事支援の打ち切りだったと聞いている。滅亡やむなしとして祖国を見捨てた一方で、勝利と利益の見込みがありそうな連合軍への支援に注力しているとなれば、心穏やかではいられないことだろう。


『知りませんでした……』

「……うん?」

『このようなこと、わたしは知らずにいました。知ろうとせずにいました。わたしが外交にきちんと目を配り、諸外国の情勢を踏まえた政策を打ち出せていたならば、祖国は滅亡せずに済んだのかも知れません。いまとなっては、詮ないことですが……』


 つたない共通語ではない、祖国の言葉でフェルがつぶやく。ユベールの返事を求めての言葉ではないだろう。仮にそうだとしても、気の利いた台詞も思いつかなければ、それを彼女の言葉で上手く言い表せる自信もない。黙っているしかなかった。


「……すまない、共通語を使えと言われたのに」

「構わないさ。たまにはな」


 上手く喋れないからか普段は言葉少ななフェルだが、なにも考えていないわけではない。受けた教育のレベルは非常に高く、この年齢の少女にしては過酷過ぎる重責を担ってきた彼女の在りようを、ユベールはまだ把握しきれてはいない。


「よし、着いたぞ。係留は本来ならお前さんの仕事だからな、よく見ておけ」

「了解した」


 浮き桟橋に寄せて機体から飛び降り、ロープの中ほどに作った輪を駐機用の棒に引っかける。反対側をフェルに投げ渡して、試しに機体に備えつけられたフックに結ばせてみる。できあがった結び目は、案の定でたらめだった。


「憶えておけ、フェル。飛行艇ってのは飛行機としては性能が低く、船としては劣悪な性能の乗り物なんだ。それを補うのは乗ってる人間の腕と知識しかない。飛行艇乗りは空と海の両方に精通してなきゃならないんだ」

「ひもの結び方もか」

 フェルが眉間にしわを寄せる。

「ロープワークだ。なんだ、苦手か?」

「ロープワークは、得意ではない」

「それを苦手って言うんだ。いいから見てろ」

「了解した」


 両手がふさがっているので、苦笑を隠すこともできない。緩む口元を上目遣いに睨み上げられてしまったので肩をすくめ、フェルにもわかりやすいようゆっくりとロープの先端を輪にくぐらせていく。不満げな声を上げた割には熱心にユベールの手元を見つめるフェルは、どことなく小動物めいた雰囲気でかわいらしい。


「よし、やってみろ」

「…………」

 結んだロープを解いて手渡すと、言葉が出ないのか口をぱくぱくさせている。

「ん? どうした?」


 なにを言いたいのか察しはつくがあえて問うてやると、フェルは不満げに頬を膨らませて母国語に切り替えて抗議する。


『わざわざ解かなくてもよいのではないでしょうか?』

『それでは貴方の練習になりません』

 フェルに合わせて彼女の母国語で返してやると、彼女は突然噴き出した。

『ふふっ……ユベールの喋り方、おもしろいですね』

「……習ったのはずいぶん昔だ。ぎこちないのは仕方ないだろ」

「拗ねてるのか?」

「拗ねてない」

「それを拗ねてるって言うんだ」

 ユベールの口真似で得意気に言い放ったフェルの額を、デコピンで弾いてやった。

『いっ……痛いです! 八つ当たりなど、恥ずかしくないのですか!』

「悔しかったら、俺と口喧嘩できるくらい共通語を上手くなるんだな」

「……っ、ちくしょうめ」

「待て、そんな捨て台詞をどこで憶えた」

「メニーベリー基地の兵士が使っていた」

「……あー、なんだ。汚い言葉だから、あんまり使うんじゃないぞ」

「では、どれが正しい?」

「改めて聞かれると答えづらいな。そうだな、憶えていろ、とかになるのか……?」

「では……憶えていろ」

「そう。いや、違う……ううん、まあ、いいか。とりあえず降りろ。飯にするぞ」

「了解した」


 噛み合わないやり取りをしていたら毒気を抜かれてしまった。よくよく考えれば、ロープワークも今すぐ教える必要はない。なまじフェルの覚えがいいものだから、ユベールの方が焦っていたのかも知れない。彼女はまだ十三歳。聡明ではあるが、まだ少女なのだ。学ぶ時間はまだこれからたっぷりある。


「どうかしたのか?」

「いや……悪かったな」


 危なっかしくも一人で機体を降り、考えこむユベールを見上げるように首をかしげるフェルの頭をくしゃくしゃと撫でてやった。髪が乱れるのを嫌がって首を振る様子は年頃の少女のものでしかない。


「さあ、行くぞ。この国は飯がまずいので有名でな。辛うじて食える店を教えてやるから、場所を憶えておけ。きっといつか、俺に感謝することになるからな」

「了解した」

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