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空飛ぶ魔女の航空会社〈Flying Witch Aviation Company〉  作者: 天見ひつじ
第五話 魔女は去りて冬ぞ来たる
28/99

5-3

 ルーシャ帝国南端の都市カザンスクは、遊牧民族を監視するために建設された城塞都市に端を発する。その後、遊牧民族の住むモルウルス地方がルーシャに編入されたことで国境を守る城塞都市としての性格は薄れたものの、先の戦争でシャイア帝国と講和を結ぶ際にモルウルス地方をモルウルス民族の自治区とする条文が入れられたため、地理的要衝として軍事的な価値が再び高まっている都市でもある。


 ウルリッカの生家、グレンスフォーク辺境伯家は代々モルウルス地方を領有していたため、モルウルス自治区の独立により領地の大部分を失った。先代当主にして父であるエドヴァルドはすでに亡く、歳の離れた兄エリアスも先の戦争で戦死したため、現在はもう一人の兄であるユレルがカザンスク総督としてグレンスフォーク家に残されたわずかな領地の管理をしている。


 鉄道は市街地を抜け、かつての城壁に設けられたトンネルを潜って都市の中心部へと滑りこんでいく。街に降り立てば、懐かしくもどこか緊張を孕んだ空気がウルリッカの頬をなでる。生まれ故郷ではあるが、この街で過ごした時間はそう長くない。幼少期は母と共に首都モルコヴァで過ごし、父に連れられモルウルスの草原の海で過ごした後、兄に憧れてそのまま士官学校に入ったからだ。


「フェル? いきますよ」

「はい」


 重厚な石造の壁面に真剣な表情で手のひらを当てていたフェルが、小走りに駆け寄ってくる。向かう先はエドヴァルドがひいきにしていた服飾店だ。華美な礼服やドレスなど影も形もなく、騎行に適した遊牧民族の伝統衣装や馬周りの小物を取り揃えているので、旅支度を整えるのに重宝する。


「親父さん、久しぶりだね」

「……なんと、ウルリッカか。どこぞの男と娘をこさえて軍を追い出されたか?」

「ひどいな。知り合いの娘さんを預かってるだけさ」


 陽に灼け、深いしわを刻んだ顔に小さな丸眼鏡をかけ、ゆったりと水煙草を吸う店主が顔を歪めるようにして笑う。カザンスクの顔役である彼に頼めば、物資でも情報でも大抵のものは調達してくれる。彼は品定めするような視線をフェルに注いだ後、納得したようにうなずいてウルリッカに言う。


「で、なにが要り用だ?」

「私と彼女に合う旅装を一式。馬も二頭、丈夫なやつが欲しい」

「馬ならお前さんの家の厩舎で見繕えばよかろう」

「父ならともかく、今はユレルの財産だ。勝手に拝借するわけにはいかないさ」

「グレンスフォークのはねっ返りが、言うようになったものだ」

「ふふ。勘弁してくれよ、親父さん」


 草原の海で貨幣が果たす役割は限定的だ。準備は入念に、なおかつ野盗の気を惹かないありふれた装いがいい。刺繍入りのブラウスとゆったりしたズボンを幅の広い革ベルトで引き締め、店に預けてあった反りの強いサーベルと『ホウキの柄』を意味するブルームハンドルの自動拳銃を腰に下げる。日々の糧を手に入れるための短弓と矢筒も手入れは行き届いており、矢羽は綺麗に切り揃えられている。


「着方はわかりますか、フェル」

「……服がざらざらします」

「すぐに慣れます」


 織りの粗い布地が懐かしさを呼び起こす。少女の肌には少々優しくない肌触りだが、これぐらいで音を上げていては始まらない。弓を射る邪魔にならないよう、赤毛を後ろでくくって垂らす。フェルリーヤはと見れば、悪戦苦闘しつつもウルリッカと同じ刺繍入りのブラウス、ズボンに幅広のベルトを身に着けていた。武器を持たせるかどうかは迷ったが、練習用の短弓だけ持たせてやることにした。


 不測の事態に備え、ユレルには手紙を届けてもらうように頼んだ。街の外で二頭の馬を引き取り、そのまま旅立つ。つややかにきらめくクリーム色の毛色を持つモルウルス種は速度と持久力に優れ、粗食と渇きにも強い。気難しいが、懐いた人間には忠実に従う性格でもあり、旅の相棒とするにはおもしろい馬だ。


「馬を御する必要はありません。ただ落とされないようにしてください」

「はい」

「恐れずに、堂々と。しかし力で従わせようとしてはいけません」

「はい」


 馬との関係は初めが肝心だ。ここでなめられてしまうと、賢い馬は認識を容易に改めようとしない。フェルリーヤの態度は、まずは合格と言っていい。鞍と鐙に上手く体重を分散し、手綱は緩く握る。馬は自然と先を行くウルリッカの馬を追い、緩やかに歩を進めている。初めてにしては上出来だ。


「10キロ先に村があります。今日はそこまで行きましょう」

「たった10キロ? まだ陽は高いわ」

「では、着いてからもう一度問います」

「……?」


 並足で一時間半。村に到着するまで、ウルリッカは一度も後ろを振り返らなかった。ただ鞍にまたがっているだけではあるが、乗馬の初心者であればそれなりに消耗する。しかし、フェルリーヤは音を上げることなくついてきた。


「次の集落までは100キロほどあります。進みますか、フェル?」

「……いいえ」

「わかりました。では、この村で宿を取りましょう」

「ふとももの内側が痛いです……」

「今なら引き返せますよ?」


 ウルリッカの問いに、勢いよく首を振るフェルリーヤ。教えを守り、無理をせず、不調であれば報告する素直さは昔のウルリッカにはなかったものだ。一人では降りられない様子なので、抱え上げるようにして馬から降ろしてやる。


「大事なのは、どれだけ辛くとも自身と周囲の変化に気を配り続けることです。遠慮せず、どんなことでも口にするとよいでしょう。相手も知っているはず、気付いているはずと考えるのは甘えに他なりません」


 母アレクシアにしつけられていたウルリッカは、慣れない乗馬で内ももから血を流してもなお弱音が吐けなかった。エドヴァルドは彼女が鞍上に登れなくなるまで黙って旅を続けた。それからようやく、痛みと孤独に泣く彼女に対して他者に助けを求める術を教え、傷の手当てをしてくれたのだった。


「さて、今夜の宿を探しましょう」

「宿屋はどこなのでしょう」

 村に視線を走らせるフェルリーヤに首を振って示す。

「これからの旅では宿泊を専門とする施設はないものと思ってください。ではどうするのか? やり方は色々ありますが、交渉が求められます」

「わたしの言葉は通じるのかしら……」

「場所によりますが、ルーシャ語を話せるのはひとつの集落につき一人いればいい方でしょう。モルウルス語はこれから少しずつ憶えていただきます」


 遊牧民族は客人を歓待する慣習を持つが、この村のように街が近い場所では貨幣の価値が相対的に高いため対価を求められることも多い。そうした差異や交渉の機微についても、おいおい教えていけばよいだろう。馬に与える水と乾草も含めて相場よりやや多めの金額を提示すると、村人は快く納屋を貸してくれた。馬にくくりつけてある毛皮の寝袋を使えば一夜の宿としては十分に過ぎる。


「なにをしているのですか?」

「ここまでの旅路を記録しています」


 ウルリッカが手帳に書きつけているのは、ここまでの旅路の詳細な記録だ。これから向かう先を考えればあまりに詳細な記録は危うくもあるが、メルリーヤからの厳命であれば仕方がなかった。娘の旅路を知りたいとはごく普通の母らしい願いであり、魔女にしては微笑ましいと言えなくもない。


「ウルリッカ、散歩をしてきてもいいですか?」

「構いませんよ。村人の邪魔はしないように」

「わかっています」


 軽く頬をふくらませて返事をするフェルリーヤは掛け値なくかわいらしい。カザンスク総督であるユレルは定期的に巡察隊を出して野盗の類を討伐させているので、村から離れなければ危険もないだろうと判断する。柵に囲われた家畜や畑の土など、ウルリッカからすればなんでもない光景も彼女の眼には珍しく映るのか、いちいち手で触れて回っているのを確認して、再び手帳に視線を落とした。

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