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空飛ぶ魔女の航空会社〈Flying Witch Aviation Company〉  作者: 天見ひつじ
第五話 魔女は去りて冬ぞ来たる
26/99

5-1

 土に触れるのが好きな子だった。


 かつてのルーシャ帝国領、今はモルウルス自治区と名を変えた土地である。夏の終わりを迎え、高原には涼やかな秋風が吹き抜けていく。ただ二人と二頭の馬、流れゆく雲にそよぐ草木が視界の果てまで続く大地にしゃがみこみ、細指で土に触れる少女の名はフェルリーヤ・ヴェールニェーバ。帝国の要たる『魔女』メルリーヤ・ヴェールニェーバの娘と目される彼女が、訪れる先々で必ず大地へ手を当てていることに気付いたのは旅を始めてから一か月ほど経ったころだろうか。


『土いじりはおもしろいか?』


 ウルリッカ・グレンスフォークの問いに、顔を上げたフェルリーヤは首をかしげる。青紫のスミレを思わせる瞳は十歳という年齢に似つかわしくない落ち着いた光を宿し、白雪の髪は旅塵にも侵されることのない輝きを保ち続けている。ウルリッカと同じ刺繍入りのブラウスにゆったりしたズボンを幅広の革ベルトで締める、騎行に適した旅装束でありながら、どことなく高貴さを感じさせる佇まいだった。


「共通語で、土いじりが好きなのですか、と尋ねました」

 練習中の共通語から、母国語であるルーシャ語に切り替えて問い直すと、フェルリーヤは理解したようにうなずいて返す。

『いや、そうではない。ただ……』

 共通語での表現に困ったのか、言葉を詰まらせてルーシャ語に切り替える。

「……お母さまはよく、こうして土に触れていらっしゃいました」

「魔女……いえ、メルリーヤ様が、ですか?」

「ええ」


 魔女メルリーヤ・ヴェールニェーバの人柄について、ウルリッカはほとんど知らない。一介の軍人に過ぎないウルリッカでは、ルーシャ帝国の女王陛下である彼女の姿を肖像画や新聞の紙面で見かけることはあっても、生身の彼女と会い、言葉を交わすなど想像もつかないことだった。そう、つい一ヶ月ほど前までは。


 メルリーヤとの面会の日からさかのぼること、さらに半月。ルーシャ帝国陸軍の駐在武官としてシャイア帝国に赴任していたウルリッカは、本国からの召還命令を受けて帰国を果たしていた。命令書には召還の理由は記されておらず、陸軍省で直属の上司に報告を済ませた彼女へ下された命令は、宮殿へ出向いて女王陛下メルリーヤ・ヴェールニェーバと面会せよという不可解なものだった。


「首都に足を踏み入れても憲兵どもに身柄を拘束されていない以上、いきなり処刑ということもあるまい。今日ばかりは伝統あるグレンスフォーク家の蒼き血を受けて生まれた我が身の幸運に感謝せねばなるまいな」


 人気のない宮殿の歩廊を進むウルリッカが皮肉気につぶやく。ウルリッカ・グレンスフォークに与えられた陸軍中佐の階級、前線に比べれば死の危険は少ない駐在武官の役職が、彼女の生家であるグレンスフォーク家に対する軍上層部の配慮の結果であることは事情に通じた者なら誰でも知っている。


 女王親衛隊に案内され、応接室に通される。親衛隊はウルリッカと同じ女性軍人のみで構成された部隊で、他国に比べて女性軍人の比率が高いルーシャ帝国軍の中でも容姿に優れた者を選抜して編成されている。軍の広告塔として華やかな任務を振られるため親衛隊になりたがる者は多いが、美しく着飾って腹を探りあう社交界に嫌気が差して軍人になったウルリッカは転属の誘いを一度ならず断っている。結果的には駐在武官としてそれに準じた任務をこなす羽目になったが、それでも見目好いお人形としての役割しか求められない親衛隊よりはマシだと彼女は考えていた。


「貴方がウルリッカ・グレンスフォークですか?」

「え?」


 応接室には自分しかいないと思っていたウルリッカは、突然かけられた声に思わずソファから立ち上がって周囲を見回してしまう。宮殿には似つかわしくない幼い声音の持ち主は、最初からこの部屋にいたのだろうか。視界に収めてもなお存在の希薄さを感じさせる、淡雪のように白い少女だった。


「君は……いや、失礼。誰もいないと思っていたから、いきなり声をかけられて驚いてしまったよ。そう、私の名はウルリッカ・グレンスフォークだ。君とはどこかで会ったことがあったかな? よかったら名前を教えてもらえないかな」

「……フェルリーヤ」


 さらさらと光に透ける雪白の髪、スミレの青紫を映し取ったような瞳。白を基調とした装いに負けぬほど白い肌と端正な顔立ちは少女に特有の壊れやすさを感じさせ、現実味に欠けた美しさを彼女に与えていた。年の頃は十歳前後だろうか。大人を相手にしても物怖じしない、淡々とした様子から大人びた印象を受ける。


「フェルリーヤ。響きのいい、とてもよい名だ。君は、なぜここに?」

「お母さまに、貴方とお話をするようにと言われました」

「お母上? この宮殿にいらっしゃるのか?」


 フェルリーヤがこくりとうなずく。どこかの貴族の子供らしい。相手をしてやりたい気持ちはあるが、魔女との面会を控えた状況で割ける時間はそう多くなかった。五分ほど話してやったら、親衛隊を呼んで彼女たちに預けようと決める。


「フェルリーヤ、君はどこから来たんだ?」

「わたしの部屋から」

「では、生まれ故郷はどこかな? 今はどこに住んでいるんだい?」

「生まれた場所……? わたしは、ここにずっと住んでるの」

「……宮殿に?」


 フェルリーヤの返答は予想外のものだった。そして、その言葉が持つ意味を考える前に応接室の扉が開き、新たな人物の到来を告げていた。幼いころから社交界に慣れ親しんできたウルリッカをして、物理的な圧力すら錯覚させる強烈な存在感。駐在武官として、国家の要職にある人間と出会う機会が多いと、たまにこうした人物に出くわすことがある。振り返れば、帝国を統べる黒き魔女がそこにいた。


「はじめまして、ウルリッカ・グレンスフォーク陸軍中尉。わたくしはメルリーヤ・ヴェールニェーバ。余人はわたくしをルーシャ帝国の女王陛下、もしくは魔女と呼びます。貴方はわたくしをどんな風に呼んでくれるのかしら?」


 万年雪のごとき深い白髪を引き立てる、喪服を思わせる漆黒のドレスとヴェール。薄墨の紗からは輝きを湛えた青紫の瞳がこちらを射抜く。気取らず、気負わない態度は親しみやすさを相手に感じさせるが、こういう人物にこそ気を許してはならないのだとウルリッカは知っている。その表面的な在りようが真実であると誤解すると、言わなくてもいいこと、言ってはならなかったことを口にする羽目になる。


「……女王陛下。お目にかかれて光栄です」

 ウルリッカの硬い口調に、メルリーヤはくすくすと笑う。

「どうぞ、おかけになって。飲み物はなにがお好きかしら?」


 ソファを勧められ、対面に腰かける。フェルリーヤはと見れば、ごく当たり前のようにメルリーヤの座るソファの横に立ち、背もたれに手をかけていた。その表情には晴れやかさと緊張が見て取れる。彼女の口にした『お母さま』こそ魔女メルリーヤなのだと、嫌でも理解させられるほど似通った容姿の親子だった。


「士官学校で貴方が執筆した論文を読みました。タイトルは『魔法的防衛力の一時的喪失状況における国境防衛に関する論考』だったかしら。魔法に頼らない国防という、他国では当たり前のものを忘却の彼方へ追いやったこの国で、貴方のような発想を持つ軍人がいるとはおもしろい。貴方はとてもユニークです」

 紅茶が配膳され、給仕が退室するのを待ってメルリーヤが切り出す。

「恐縮です。まだ士官ですらなかった小娘の描いた机上の空論を女王陛下のお目にかけるとは、汗顔の至りと言うほかなく」

「謙遜しなくともいいのよ、ウルリッカ。貴方は自分の考えが間違っているだなんて、これっぽっちも思っていないのでしょう? 貴方はそういう目をしています。でしたら、胸を張ってわたくしの顔を見てくださいな」


 動揺を態度に表すことこそしなかったが、ウルリッカは内心に冷や汗をかいていた。執筆当時は上手く隠せたつもりでいたが、今見れば魔女に頼り切りの国家防衛を是とする元老院に対する軽蔑が行間からにじみ出ているような代物だ。彼女がグレンスフォーク家の人間でなければ、国家反逆罪の濡れ衣を着せられていてもおかしくない内容だったとの自覚がある。どのような経緯で論文が魔女の手に渡ったのかは不明だが、この瞬間、ウルリッカの軍人としてのキャリア、そして生死はメルリーヤが論文をどう受け取ったのかにかかっていた。


「とても興味深い内容でした」

 顔を上げ、視界に入れたメルリーヤの表情には穏やかな共感があった。

「国家の礎たる国土の防衛を、たった一人の魔女に頼り切りにしている元老院の怠惰さを指弾し、暗殺や病死などの不慮の事態で魔女を失えばルーシャは諸外国に国土を侵されるという現実を丁寧にシミュレートした上で、魔法に頼らない防衛戦力の段階的な整備と構築について論じる。一介の士官候補生が書いたとは思えないほど見事な内容でした。わたくしは貴方の分析について全面的に同意いたします」

「畏れ多いお言葉です、女王陛下」

「……ねえ、ウルリッカ」

 一際くだけた調子で、メルリーヤが続ける。

「わたくしの魔法にかけて、この応接室での会話に聞き耳を立てている者は一人もいないと保証するわ。ああ、フェルはいるけれど、この子は気にしないで」

「は、はあ……」

 話の矛先がどこに向かうか読めず、間の抜けた返事を発してしまう。

「どうか、わたくしのことは女王陛下などと堅苦しい呼び方はせず、ただメルリーヤと。そして。貴方をこの国の在りように疑問を抱く同志と見こんでお願いしたいことがあるのです。聞いていただけますか?」

 頭を下げるメルリーヤに困惑するウルリッカ。

「その……メルリーヤ様。そのような……どうか頭を上げてください」

「メルリーヤ様、ですか。ええ、仕方ありませんね。すぐ信用していただけるとは思っていませんもの。むしろ、その方が信用が置けるというもの」


 肩をすくめるメルリーヤの真意が測れない。ウルリッカの失言を誘う演技としては手がこみ過ぎているが、メルリーヤと言葉を交わすのが初めてである以上、彼女がこうした趣向を好む文字通りの魔女である可能性は捨てきれなかった。


「お話をしましょう、ウルリッカ。わたくしは貴方を理解したい」

「私でよければ、話し相手を務めさせていただきます」


 魔女メルリーヤが歴史の表舞台に姿を現したのは十五年前、シャイア帝国の宣戦布告により国境で戦端が開かれてから数日後のことだった。圧倒的な物量差を活かして国境の要塞を迂回、別方面から国土の奥深くまで侵攻を果たしたシャイア帝国軍は、たった一人の魔女によって全滅の憂き目に遭い、国境まで敗走。ルーシャ帝国軍に立て直しの時間を与えることとなり、そのまま戦線は膠着したのだった。


 それから一年後、シャイア帝国は戦線を押し進めては魔女に押し返され、その度に甚大な被害をこうむるという泥沼のような戦いを続け、ついには休戦条約を結ぶこととなったのだった。ルーシャ帝国はこの戦争を祖国防衛戦争と位置づけ、魔女の存在を大いに国際社会へ喧伝。同時に元老院は無策と放蕩により敵国の侵攻を招いたとして玉座を追われた皇帝の代わりに、魔女メルリーヤを女帝とした。


「ウルリッカは、次の戦争の主役はどんな兵器になると考えていますか?」

 切り出された話題は、前置きもなしの唐突なものだった。

「それは……飛行機でありましょう。先の戦争では偵察や小競り合いにしか用いられませんでしたが、その可能性は計り知れません。戦後もシャイアやアルメアを始めとする列強では熾烈な開発競争が進み、エアレースの名を借りた代理戦争が繰り広げられています。然るに我が国では魔法による反転攻勢を行うまでの遅滞戦術を目的とした陸軍戦力の整備のみが重視され……」

 これ以上は元老院の批判になると気付いたウルリッカに、メルリーヤが促す。

「続けてちょうだい」

「……航空戦力は軽視、ないし既存の陸海軍に付帯する存在としてしか認識されていません。諸外国では材料研究の成果により航空機の大型化と積載量の増加も進んでいますが、平時は輸送機として運用されるそれらの飛行機が爆弾を積んで領土の奥深くまで直接侵攻をかけてきた場合、我が方には対抗する手段がありません」

 ここまで口にすれば、腹をくくるしかない。多少投げやりな気分で続ける。

「恐れながら、記録に残るメルリーヤ様の魔法は津波や地震、地割れに雪崩といった種類のものしか記録されておらず、空を飛ぶ航空機に直接的な打撃を与えうる魔法は確認されていません。もし魔法で飛行機を撃墜できないとなれば、シャイアは大規模な航空攻撃の実施をルーシャ攻略の端緒とすることでしょう」


 ルーシャ帝国にとって、魔法とは敵国に対して示威すべきものであると同時に、安全保障上の重大な機密でもある。公開されている情報も限られたものであり、過去にどこでどのような魔法が行使され、実際にどれほどの効果を発揮したのかは元老院や軍上層部の限られた人間しか知りえない。ウルリッカは個人的な伝手である程度まで調査したが、調査結果は自らの記憶にしか残していない。


「もちろん、魔法について私の知り得たことが全てであるとは思っていません。メルリーヤ様の魔法が飛行機を撃墜し得るのなら、開戦までそれを隠しておくのが最善であることも理解しています。その上で、お尋ねします」

 これを逃せば機会はない。その想いが、ウルリッカに問いを口にさせていた。

「メルリーヤ様の魔法は、蒼空をすら支配し得るのでしょうか?」


 応接室に沈黙が落ちる。答えによっては、あるいはその問いに思い至った時点で拘束され、二度と日の目を拝めなくなる可能性すらある問いだった。しばしの瞑目を経て、メルリーヤは静かに首を振って告げた。


「いいえ。わたくしの魔法は空に届きません。ウルリッカ、貴方の懸念は正鵠を射ている。ルーシャの空を、魔法で護ることは叶いません」


 魔女メルリーヤの、女王陛下の言葉に、ウルリッカはうなずくことしかできなかった。魔法は空へ届かない。それはいずれルーシャの国土に眠る豊富な燃料資源と鉱物資源を狙うシャイアも知るところとなるだろう。戦争の火蓋は再び切って落とされ、ルーシャの諸都市は火の海に沈むことになる。


「では、私に頼みたいことというのは……?」


 陸海軍に次ぐ第三の軍、空軍の創設。論文の中で可能性として触れるに留めたそれの立ち上げに関われるかも知れない、という予感に胸が高鳴る。


「はい。もうお察しの通り、フェルリーヤはわたくしの娘です」

 そして、メルリーヤはこう続けたのだった。

「ウルリッカ。貴方には、彼女と一緒に旅をして欲しいのです」

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