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空飛ぶ魔女の航空会社〈Flying Witch Aviation Company〉  作者: 天見ひつじ
第四話 砂漠の王は湖宮に望む
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4-4

 エルリヒを引き連れて廊下へ足を踏み出すと、宮殿と呼ぶにふさわしい天井の高さ、繊細で幾何学的な壁面装飾に目を奪われる。スリット状に設けられた窓は見上げるほどに高く、晴れた日であれば回廊に美しい陰影を投げかけるのだろう。降り続ける雨音が、青を基調とする装飾と相まって静謐な雰囲気を作り出している。


「最上階は王族のエリアだ。ユベールがいるとすれば、下の階だろうな」

 エルリヒのアドバイスに従って、階段を下りる。

「居場所に心当たりは?」

「さてね。俺はあくまで案内役でしかないからな」

 助言はしても、手助けはしないということだろう。

「一階や、外にいる可能性は?」

「頭を冷やせとは言ったが、この天気で水泳もないだろう。宮殿を出るなら船に乗る必要があるが、渡し守である俺がいなけりゃ船は出せない。やつは宮殿の中だ」

「歩いて宮殿を出る術はないのか?」

「ユベールが水面を歩けるのでない限りはな」


 エルリヒの言葉から推察すると、ここは湖に浮かぶ宮殿らしい。ならば、ペトレールもここにあるはず。ユベールは飛行機のそばにいるのではないかと思いつく。


「ペトレールはどこだ?」

「ユベールの飛行機かい? 陛下の専用機と一緒に格納してあるが、整備塔も船を出さなきゃ行けない場所にある。いるとすれば客室だと思ったんだが、いないな」

 客室を覗くが、確かに荷物だけでユベールの姿はない。

「下から順に探そう」

「仰せのままに」


 エルリヒの言葉によれば、この階には客室と使用人のための部屋があるらしい。ひとつひとつの部屋は小さく、施された装飾は最上階より簡素なものになってはいるが、それでも見事なものだった。統一感を持たせつつも変化に富んで目を飽きさせない造形の美を楽しみつつ廊下を歩んでいると、ひとつの事実に気付く。


「外に向いた部屋はないのだな」

「いいところに気が付いたな、お嬢ちゃん」


 宮殿の外周は四角形の回廊になっているらしく、部屋は全て中庭に面していた。普通は景色を眺めるために外側に部屋を作るものだが、この国では風景といっても全てが砂漠であることが影響しているのかも知れない。今は雨のおかげで涼しくなっているが、日光を遮って砂漠の暑熱を過ごしやすくするための工夫でもあるのだろう。日の光を少しでも屋内に取りこもうと天窓やステンドグラスに工夫を凝らすルーシャの建築とは真逆の発想だった。


「今でこそ雨期の離宮として飾り立てられてはいるが、この宮殿の始まりは五百年前、当時の王が水上城塞として造営したことに始まる」

「ジョーサイ?」

「城、砦。わかるかい?」

「わかった。なるほど、そういうことか」


 高く細いスリット状の窓は、敵の視線と侵入を防ぎ、なおかつ矢狭間としての機能を果たすためのものなのだろう。指先で壁に触れると、建物全体が魔力を宿しているのが感じ取れた。歴史ある建造物である証だ。


「美しい宮殿だろう?」

「そうだな」

「その割には、反応が薄いな。外からの様子を見てないんじゃ仕方ないが」

「外から?」

「砂漠に現れる水の離宮。雨期になると、外観だけでも一目見ようってサウティカを訪れる観光客や写真家が結構多いんだぜ」

「中には入れないのか?」

「王族の離宮だからな。ユベールとお嬢ちゃんはあくまで特例なんだぜ」

「そうか」

「やれやれ、物事に動じないのは、流石に生まれが生まれだからか? どうにも説明しがいのないお嬢ちゃんだぜ」

 生まれについて言及され、不審の視線を向けるとエルリヒが肩をすくめる。

「お、当たりかい? 仕事柄、各国の王族ともそれなりに接するもんでね。立ち居振る舞いや目の配り方、召使いへの態度でなんとなく分かるんだよな」

 ユベールから漏れたわけではないと分かり、ため息をひとつ吐いて視線を戻す。

「安心しな、お嬢ちゃんの生まれや、ユベールと一緒にいる理由を詮索するつもりはないさ。ただまあ、突破口になるならそのあたりだろうな」

「それはどういう……」


 エルリヒの顔を見て口を開こうとしたところで、彼が口元に指を立てているのに気づく。二人はちょうど下階へ続く階段を半分ほど降りたところだった。


「……ユベール」

 回廊の先に、柱に体重を預けて水面を眺める相棒の姿があった。

「さ、行けよ。二人で話してくるといい」

 こちらに気付いていない彼に聞こえないよう、エルリヒがささやく。

「戒律はいいのか?」

 フェルの言葉に、エルリヒが肩をすくめる。

「余人の目はなくとも、神はいかなる時も我らのそばにあり」


 エルリヒは格言めいたことを口にすると、フェルの肩を軽く叩いて去っていく。理解するのに時間を要したが、要するに誰も見ていなければ構わない、ということらしい。ずいぶん柔軟な戒律もあったものだ、と軽く噴き出す。緊張が解け、少しだけ軽くなった心とともに足を進める。


「ユベール」

「……フェルか」


 外壁はなく、天井から吊るされた絹織物と柱で外からの視線を遮る回廊にユベールはいた。中庭に視線をやると、雨粒に乱れる水面を通して無数の柱が建物を支えているのがわかる。中庭の中央にある島には船で行くしかないらしく、回廊の一部は船着き場の機能を持たされていることにも気付く。柱にもたれるユベールのそばまで歩いていくと、カヌーが二艘、並んで係留されているのが見えた。


「話をしよう、ユベール」

「……そうだな」

 柱にもたれる彼の隣で、フェルも冷たい大理石の柱に身体を預ける。

「ユベールは、どうしてわたしがアルエルディアと結婚してもいいと思うんだ?」

 直截な問いかけに、少し考えてからユベールが答える。

「飛行機乗りってのは、命を失う危険もある仕事だ。だから、フェルを航法士として雇ったときも、そう長くやらせるつもりはなかった。借金ってのも、責任感の強いお前さんが妙な罪悪感を抱かないように言っただけで、落ち着き先が見つかったら、ちょうどそこで返済が終わったことにしてやればいいと思ってた」

「ユベールにとって、わたしは重荷だったか?」

「初めはな。だが、すぐにそうじゃなくなった。ケルティシュでトラブルに巻きこまれたときの機転、ハイランドで見せた鋭い洞察。仕事の呑みこみの早さ、取り組み方の熱心さを見ても、航法士としての素質は計り知れない。お前さんが……フェル・ヴェルヌが相棒でいてくれるなら、俺はずいぶん助かる」

「だったら……」

「だが、お前にはもうひとつの名がある。フェルリーヤ・ヴェールニェーバ。冬枯れの白き魔女、ルーシャの正当な統治者であるフェルに、このまま航法士を続けさせていいのか? お前さんが倒れる姿を見て、そう考えちまったんだ」

 フェルの返事を待たず、ユベールが続ける。

「ルーシャは現在、シャイア帝国の保護下に置かれ、実質的な植民地として収奪を受けている。もしフェルがその状況を変えたいと願うなら、アル陛下との結婚は悪くない選択肢だ。フェルの持つ正当な血筋と、アル陛下の石油を背景とする豊富な資金、国際政治における発言力が合わされば、現状に一石を投じられる」

「ルーシャを……?」

「恐ろしく困難な道だ。だが可能性がないわけじゃない。だからこそ、その判断に俺への遠慮を挟んで欲しくなかった。部屋を追い出されてからずっと考えてたんだが、俺の心情としてはそんなところだ。さっきは言葉が足らず、すまなかった」


 ユベールが頭を下げる。フェルは小さく首を振って、気にしていないことを示した。それよりも、彼の述べた言葉が頭の中を駆け巡っていた。ルーシャの奪還。祖国を滅ぼした自分にその資格はないと、あえて考えないようにしていた可能性を提示されて、心が揺れ動いた。そんな自分の心の動きにこそ、動揺した。


「わたし、は……」


 祖国を取り戻したい。そう口にすれば、ユベールはフェルの下した判断を尊重してくれるだろう。しかし、それは多くの血を流す道でもあると、今のフェルにはわかる。自らの取るべき道について確信の持てない自分が下していい判断だとは、とても思えなかった。少なくとも、今はまだ。


「わたしは……フェル・ヴェルヌとして、ユベールの相棒でありたい」


 状況に迫られての選択ではない。どちらが正しいかという答えはない。思えばこれが初めてかも知れない、自由意思による選択は酷く恐ろしかった。震えそうになる手を握りしめ、それでいいのかと問うユベールの視線を、まっすぐ受け止める。


『フェルリーヤ・ヴェールニェーバ。冬枯れの魔女、白き空のフェルリーヤは、かつて魔法を正しく扱うことに失敗して、祖国を失った。わたしは、その過ちを繰り返さない。けれど、それは魔法の存在から目を背けることを意味しない』


 一度は封印すると決めた魔法の力。そんなフェルの傍らにいてくれたのが、ユベールであったことに感謝する。彼と、彼と一緒に旅をする中で出会った人々がいなければ、彼女は再び戦乱を巻き起こす存在となっていてもおかしくなかった。


『トゥール・ヴェルヌ航空会社の航法士にして、魔女。それがわたし、フェル・ヴェルヌとしてここにいるわたしが、そう在りたいと願う姿。わたしは、貴方の……ユベール=ラ・トゥールの相棒としてふさわしくあることを、ここに誓うわ』

 差し出した手を、彼女の相棒が握り返す。

「了解だ。こちらこそ、よろしく頼む。頼りにしてるぜ、相棒」

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