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ぺトレールが停泊する入り江のすぐ側にある岬、その突端にリイッタはいた。腰を下ろし、包帯を巻いた足をぶらぶらさせる姿は危うさを感じさせる。彼女を驚かせないよう、わざと足音を立てて歩み寄っていく。
「探しましたよ、リイッタさん」
「その割には早かったわ。ロレンスに居場所を聞いたのね」
「お見通しですか」
こちらを見もしないリイッタと、三歩の距離を空けて立ち止まる。
「……ごめんなさい。ロレンスの前では冷静でいられなかった」
「信頼なさっているんですね」
「信頼? ……そうね、そうなのかも。私の教師になってくれたのはあの人だから」
プレンシア家が教師を招聘したのは五年前だと言っていた。それまでは島に定住する外国人はロレンスひとりだったのかも知れない。リイッタが子供のころからの付き合いであれば、二十年来の付き合いということになる。ゆっくりと立ち上がり、気持ちを切り替えるように深呼吸をしたリイッタが続ける。
「ねえ、ユベールさん。私と島の人たちを見比べて、気付いたことはない?」
「……気付いたこと、ですか」
気付いたことは、確かにあった。しかし、それを口にしていいかどうか迷う。
「フェルちゃんはどう? 違いに気付かなかった?」
「肌の色と、瞳の色が違う」
気負いのない様子で淡々と告げるフェル。その答えにリイッタが笑みを深める。
「そう。見ての通り、私は淡い褐色の肌と蒼い瞳だけど、島の人たちはもっと濃い、茶褐色の肌と瞳を持っている。ついでに言えば、プレンシア家がそういう家系ってわけでもないわ。この肌と瞳の色は、私だけのもの」
それはつまり、リイッタがハーフであることを意味する。おそらく両親のどちらかが白い肌と蒼い瞳を持つ人種だったのだろう。ハーフの場合、髪や瞳については濃い色の形質を受け継ぐことが多いが、蒼い瞳となることもある。
「ユベールさんが察した通り、私の父は外国人です。母は私と同じ巫女でしたから、生まれた当時はプレンシア家の中でも大きな問題になったと伝え聞いています。次代の巫女は、当代の巫女が生んだ長女がなると決められているからです」
祭儀を主導する巫女の役割が重い責任を伴うものだということは、ユベールにも理解できる。閉鎖的で保守的な気質のブレイズランドでリイッタが巫女を務めるようになるまで、相当な苦労があっただろうことは想像に難くない。
「当主の決定で次代の巫女は私と決められましたが、両親の結婚は叶いませんでした。母は、義父との結婚を承諾するのと引き換えに、私の存在を認めさせたのだと聞きます。だから、私は本当の父親の名前を知らされていません」
血統を重視する人間はいつの時代、どこの国にもいる。特定の一族による統治が続くような国では特に顕著だ。このブレイズランドにおける宗教の象徴的な存在である巫女に外国人の血が入ることに嫌悪感を覚える者も多いのだろう。
「リイッタは、巫女になりたくなかったのか?」
直接的な質問を投げかけるフェルに、リイッタが苦笑で応じる。
「ううん。ハーフに巫女が務まるのかという疑念の目が集まれば集まるほど、絶対に私が巫女になってやるって決意はかえって強くなったわ。母はもちろん、義父も応援してくれたしね。ロレンスから教育を受けられたのも、大学へ行けたのも、自分自身が大学で学んだ経験を持つ義父が一族にかけあってくれたからこそよ」
リイッタの口調からは、義父への強い尊敬の念が伝わってくる。
「義父は母との間に子供を設けないことで、後継者問題に終止符を打ちました。そして一昨年、祭儀の後に母が急死したのを受けて、私は巫女になりました」
「それは……色々と大変だったのでは?」
「ええ。本当に務めを果たせるのかという疑念と好奇の視線に晒されたわ。相当な重圧を感じたし、義父は巫女など継がずに自由に生きろとまで言ってくれた。けど、ロレンスに言われたの。巫女になって、その上で自由に生きればいい、って」
「巫女として、自由に……」
フェルが繰り返すと、リイッタがうなずく。
「簡単に言ってくれるわよね。けど、その通りだと思った。そもそも、巫女は私しかいないのだもの。島の人たちは、たとえプレンシア家の当主であっても、最終的には私の意見を尊重せざるを得ない。そう思い定めたら、気が楽になったわ」
巫女の立場を盾にとって自分の意志を通す。口で言うのは簡単でも、遥かに年上で経験豊富な大人たちを相手に実行するのは並大抵のことではない。加えて、たったひとりの後継者であるリイッタに巫女を継がなくてもいいと言ってのける義父も相当に度胸がある人物と言えるだろう。血は繋がっていなくとも、義父の気質はリイッタに受け継がれていることがうかがい知れる。
「大学を中退する気はなかった。休学を取って、半年で巫女としての務めを身体と頭に叩きこんだ。これでも勉強は得意だから、難しくはなかったわ」
「そんなことはないはずだ」
思うところがあったのか、フェルが強い否定の言葉を放つ。
「……そうね。ありがとう、フェルちゃん。うん、正直すごく大変だったわ。けど、無事に祭儀をやり遂げたときの反対派の顔を見れただけでも、巫女になる価値はあったと思う。義父やロレンスが喜んでくれたのはもちろん、島の人たちも、蒼い瞳は神秘の力が宿った印だ、なんて手のひらを返すんだから現金なものよね」
「それはリイッタが巫女として正しく務めを果たしたからだ。でなければ、誰にも認められはしない。リイッタはそれを誇りに思うべきだと、わたしは思う」
「そうかな? うん、そうなのかも」
いつになく熱心に言葉を重ねるフェル。それは冬枯れの魔女としてルーシャを守り切れなかった経験と、リイッタの置かれた立場を重ね合わせて出た言葉だったのだろうか。巫女としてのリイッタを称賛する言葉は、魔女としての責務を果たせなかった自責の言葉でもあるように、ユベールには聞こえた。
「さあ、いつまでも拗ねてても仕方ないわね」
ぱちりと両頬を叩いて、リイッタが言う。
「この足で登山はできない。だったらどうするかを考えましょう」
「考えはあるのか?」
「ええ、一人で考えるためにここへ来たのだもの。けど、やっぱり一人じゃどうしようもないみたい」
「なら、一緒に考えよう」
「いいえ、アイデアはもうあるの。けど、実現するために貴方たちの助けがいる」
「わたしたちに手伝えることなら」
「待て、フェル! 安請け合いをするな」
即答するフェルを制止すると、リイッタはユベールに視線を向ける。
「ユベールさんの懸念はもっともです。私としても普段と違うことをやる以上、失敗は許されません。できないことをできると言ってもらっても困ります。ですから、私の提案と提示できる報酬を聞いて、それから判断して下さい」
「……ユベール」
「……わかった、そんな目で見るな。話ぐらいは聞くよ」
休暇を取るつもりが、結局は仕事になってしまいそうだった。そもそも休暇を取れるようになったのもフェルのおかげであることを考えれば、巡り合わせという他にない。手近な岩に腰を下ろし、リイッタのアイデアに耳を傾けることにした。




