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「本当によろしいんですか?」
「うむ。今回の発見で、石柱の立つ場所には意味があると判明したからね」
石柱遺跡の正しい見方を発見した翌日。老ジョージは今年の調査飛行の終了を宣言し、トゥール・ヴェルヌ航空会社が請け負った今回の仕事に対する報酬を、残り期間も含めて全額支払うと申し出たのだった。
「このまま無闇に周囲を飛び回るよりも、可能性の高い場所を絞りこんでから調査した方が効率よく探せるはずだ。しかし、その準備にはそれなりの時間が必要となる。その間ずっと君たちを引き留めるわけにもいかないだろう」
「では、また来年も?」
「もちろんだ。君たちでなければ今回の発見もなかったのだからね。些少ではあるが、報酬にも色を付けておいた。来年もよろしく頼むよ」
「ありがたいお言葉です。では、時期が近付いたらご連絡差し上げます」
「うむ。改めて君たちに感謝を。本当にありがとう」
別荘にも小さな研究室はあるが、石柱が存在する可能性の高い地点の洗い出し、そして今回の発見を踏まえた既存の研究結果の再検討もするとなるとフィッツジェラルド家の屋敷に戻る必要があるらしい。一刻も早く書斎に戻りたいという風情の老ジョージやジャックと別れを告げるため、四人で駅にきたところだった。
「ユベールさん、お世話になりました。それと、フェルさん」
ジャックが鞄から取り出したのは一葉の写真だった。
「急いで現像したんだ。よかったら持っていってください」
手渡された写真に視線を落とすフェル。肩越しに覗きこむと、そこには雄大なハイランドの山脈と石柱遺跡を背景に、気負いのない自然な表情で写る彼女の姿があった。近距離から石柱の様子を撮影するよう設定してあったためか、ピントも綺麗に合っている。偶然撮れたにしてはいい写真だった。
「感謝する。大事にしよう」
「ううん、こんなものしか渡せなくて、ごめんなさい」
ユベールからはフェルの表情が見えなかったが、ジャックは頬を赤く染めていた。調査が途中で切り上げられたこともあって、ジャックの片思い以上に関係は進展しなかったようだが、写真はフェルにとってもいい思い出になったことだろう。
「ジャック、そろそろ時間だ」
「はい、おじいさま。それじゃ、名残惜しいけれど……また来年会おうね」
「……ああ、また会おう」
ジャックの言葉に一瞬だけ迷う素振りを見せるフェルだったが、その迷いに気付いたのは、彼女の事情を知るユベールだけだっただろう。彼女にとって、ジャックとの関係はあくまでユベールを通してのものであり、なにげない約束すらも交わすのがためらわれるほど先行きの見えないものなのかも知れなかった。
「フェル」
そう思うと、なにか言わずにはいられなかった。
「来年も、必ずここに来るぞ」
振り返ったフェルが、黙ってユベールを見つめる。
「二人で一緒にだ。いいな?」
「……ああ、そうだな」
帽子のつばで表情を隠しながら、フェルが応える。
その声は先ほどよりも少しだけ明るく聞こえた。
「さようなら。またね、フェルさん」
「また会おう、ジャック」
「うむ。二人とも息災でな」
「ミスター・フィッツジェラルドもお元気で」
駅舎の中へ消える二人を見送り、ぺトレールの待つ湖へ向かう。ストルクに比べれば鈍重な機体だが、やはり愛機に乗ると心が浮き立つ。
「フェル、今回の仕事はどうだった?」
飛び立てば伝声管越しのやり取りになる。その前に話をしておきたかった。
「戦争をしている国というのを忘れてしまいそうになる、平和な仕事だ」
「ロイド大佐たちが気になるか?」
「いや、ジョン・フィッツジェラルドについて考えていた」
フェルの答えは、意外なものだった。ジョン・フィッツジェラルド少将は老ジョージの息子にしてジャックの父親に当たる人物だ。エングランド王国の防空という重責を担うドヴァル空軍基地の司令であり、前線の将兵に飲料水と称してビールを差し入れるなど部下への気遣いとユーモアに溢れる傑物でもあるが、先の仕事でも彼女とは挨拶を交わしただけだったからだ。
「軍人として戦う家族がいるのに、わたしには二人とも無関心に見えた」
それはユベールに対する質問というより、老ジョージやジャックと過ごす中で抱いた疑問なのだろう。二人の前では決して口にできなかったが、問わずにはいられなかったということなのかも知れない。
「フィッツジェラルド家のモットーを憶えているか?」
「『我ら高く生きる』だったな」
「そう。この言葉には、ふたつの意味がある。わかるか?」
「ハイランダーとして生きるという自負、だけではないのか?」
「もうひとつの意味。それは、誇り高く生きる、ということだ」
「誇り高く……」
「高貴なる者の義務。そこには外敵との戦いで先頭に立つことも含まれる。フィッツジェラルド家の人間は、他国との戦争になれば一族の誰かが戦うのは当然のこととして受け入れるよう教育される。ジャックだって例外じゃない」
「では?」
「そうだ。無関心だから尋ねないんじゃない。家族である以前に貴族であり、義務を果たした結果としての死は名誉となる。貴族は命を惜しんではならないんだ」
「……高貴なる者の義務、か」
眉根を寄せるフェルに、フォローの言葉をかけてやる。
「というのは建前でな。安心しろ。少将の近況については俺から伝えてある」
「そう、か」
「納得したなら、乗れ。出発するぞ」
「了解した」
老ジョージの厚意で整備士のフィテルマンに調子を見てもらえたおかげか、エンジンは一発で点火した。ストルク並みとはいかないまでもスムーズな離水を果たし、愛機ぺトレールを駆ってハイランドを後にする。
「ひとつだけ言っとくぞ、フェル」
伝声管越しに呼びかける。
「戦争中だからこそ、普段通りの日常を過ごすんだ」
「……どういう意味だ?」
「人間は余裕をなくすと視界が狭まる。視界が狭まると重要なものを見落とす。あるいは、気付いていながら無視するようになる。だから、あまり思い詰めるな。常に視界は広く、好奇心と余裕でもって事に当たれ。いいな?」
「了解した。憶えておく」
言葉が全て伝わっているとは思わない。そう長い付き合いではないが、共通語での複雑な表現に慣れていないのも手伝ってか、彼女には思ったことを心の内に秘めておく傾向がある。共通語の表現力が、母国語の思考能力に追いついていないのだ。言いたいことが満足に言えないのは、彼女にとって大きなストレスだろう。ある程度は時間が解決してくれるだろうが、それまでは気にかけてやらねばならない。
「ユベール、次はどこへ行くんだ?」
物思いにふけっていると、フェルからの質問が投げかけられる。
「調査飛行の切り上げで時間ができたからな。どうしたものか」
「次の当てはないのか?」
「ないことはないが、まだ一か月以上先だからな」
ぺトレールに適した単発の仕事がそうそう転がっているわけもなく、スケジュールは空白だった。加えて、一か月程度仕事をしなかったところで問題ないほど懐も温まっている。思えば、この状況はフェルのもたらしたものと言えなくもない。
「よし、決めた」
「どうするんだ?」
やや緊張を含んだフェルの声に、ユベールは笑って答える。
「どうもしない。次の目的地まで、のんびり旅をするぞ」
第二話「竜に捧げし高原の石華」Fin.




