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空飛ぶ魔女の航空会社〈Flying Witch Aviation Company〉  作者: 天見ひつじ
第二話 竜に捧げし高原の石華
10/99

2-4

 豪華な調度に柔らかいベッド。ユベールからするとフィッツジェラルド家の別荘は上品すぎて落ちつかないが、フェルはよく眠れたらしい。ジャックが朝食の準備ができたと呼びにきたので続きになった隣室のドアをノックすると、すでに身支度を済ませた彼女が待ち構えていたように姿を現した。


「おはよう、フェルさん」

「おはよう、ジャック」

「朝食の準備ができたんだ。食堂へ案内するよ」

「ありがとう」


 手を差し伸べるジャックに微笑みを返し、ごく自然に手を預けてエスコートされていくフェルの姿を見ると、彼女の生まれを思い出さずにはいられない。二人の後ろを歩いていると、従者にでもなった気分がしてくる。


「諸君、おはよう。よく眠れたかね?」


 食堂には紅茶のカップを片手にくつろぐ老ジョージの姿があった。それぞれ挨拶の言葉を述べて食卓に着くと、エプロン姿の女性が紅茶を配膳してくれた。フィテルマンのようにわざわざ派遣されてきたわけではなく、この時期だけ雇われる村の女性だ。毎年のことなので、紅茶を配膳する手つきにも危なげがない。


「朝食が終わったら出発だ。しっかり腹ごしらえしたまえよ」

「はい、おじいさま」

「ええ、ミスター・フィッツジェラルド」

「了解した」


 朝食のメニューは洋ナシのコンポート、牛乳に浸したシリアル、カリカリに焼いたベーコンにしっかり火を通した完熟の目玉焼きだ。エングランド料理のお粗末さは褒められたものではないが、朝食だけは悪くない。エングランドで旨いものを食べたいのなら三食とも朝食を摂ればいい、とまで言われるほどだ。


「ときに、レディ・フェルはこのハイランドの歴史についてご存じかね?」

 ベーコンエッグを切り分けながら、老ジョージが切り出す。

「いや、よく知らない」

「興味はあるかね?」

「ああ。教えてくれ」

「おじいさま、長引くと出発が遅れます」

「うむ、では手短に。そもそも、このハイランド地方は今でこそエングランド王国の一部となっているが、古くはケルティシュの血を引くガエリグ人の土地であった。彼らはエングランド南部の山がちな土地に住み、北部の低地に住むエングル人とは互いをハイランダー、ロウランダーと呼び交わしておったのだ」

「ハイランダーとは高地に住む者、ロウランダーとは低地に住む者の意味です」

 ジャックによる補足にうなずき、老ジョージが続ける。

「そこへやってきたのが交易者であり海賊でもあったダーナ人だ。彼らはエングル人との戦争の末にロウランドを支配し、ハイランドをも侵攻した。ガエリグ人は地の利を生かしてダーナ人とその支配下に置かれたエングル人に対して抵抗を試みたが、圧倒的な武力と経済力によって切り取られ、併合されるに至ったのだよ」

「ガエリグ人はどうなったんだ?」

 フェルの問いに、老ジョージが微笑む。彼は家政婦を見て言った。

「彼女がそうだよ。この村の人々はみなガエリグ人の血を引いている」

「ジョージやジャックは?」

「我がフィッツジェラルド家は元々ダーナ系であった。初代ウィリアム・フィッツジェラルド公はハイランド地方の統治を任務として送りこまれた領主の一人だった。彼は同時代の人間にこう評されている。卑しいハイランダーの女を娶った愚かな男、誰よりも上手くハイランドを治めた賢き者、とな」

「だから、僕たちはダーナ人やガエリグ人である以前に、ハイランダーなんだ」

「『我ら高く生きる』。フィッツジェラルド家のモットーだよ」


 フィッツジェラルド家の血筋に関する話はユベールも初めて聞くものだった。固有名詞の多い複雑な話をなんとか飲みこんだフェルも、神妙な顔でうなずいている。侵略者と被侵略者の関係には、彼女も思うところがあるのだろう。重くなりかけた空気を変えるように、老ジョージが言う。


「さて。食後の紅茶をいただいたら、出かけようではないかね」


 サンドイッチと紅茶の水筒を詰めたバスケットを誰が持つかで口論になったりしつつも、八時には別荘を出ることができた。最年少ということで今日のランチの入ったバスケットを預かる権利を得たジャックがフェルと並んで意気揚々と歩を進め、その後ろをユベールと老ジョージが続く。


「こっちだよ、フェルさん」

「どこへ行くんだ?」

 分かれ道で格納庫の方へ曲がろうとしたフェルが、ジャックに呼び止められる。

「見てもらいたいものがあるんだ。おじいさま、少しだけいいでしょうか?」

「うむ、よかろう」


 ジャックが先導して向かった先は湖のそば、さらさらと風に揺れる草原の広がる、フィッツジェラルド家の私有地だ。普段は牧草地として村人に貸し出されている草原の中央には、半径20メートルほどの範囲に、光沢のある黒い石柱が林立している。高いものはユベールの腰まであるが、低いものはフェルの足首までしかなく、途中から折れたと思われる半端な高さと歪な断面の石柱も多かった。


「これは……?」

「フェルさんはなんだと思う?」

「建物の跡だろうか」

「うーん、どうだろうね?」

 ジャックと老ジョージはもちろん、ユベールもその答えは知っている。

「……ジャックは知っているんだろう?」

「鋭いね、フェルさん。でも、せっかくだから考えてみてよ」

「了解した」

「質問なら答えるから、なんでも聞いてね」


 ジャックの言葉に黙ってうなずき、石柱の間を歩き始めるフェル。ジャックはその後ろを子犬のようについて歩いている。石柱の形状は様々で、ものによっては石柱というより巨大な石板と称した方がふさわしいものもある。同じ形状のものはほとんど見当たらず、壊れているものを除けば上面は綺麗に磨かれた断面になっている。


 フェルは石柱をひとつひとつ見て回っているが、個別に見ているだけではその本質は見えてこない。しばらく時間がかかりそうだと判断して、ユベールは煙草をくわえてマッチを擦った。空気の澄んだ場所で吸う煙草は格別だ。


「火をどうぞ」

「すまんね」


 老ジョージも煙草を取り出したので、彼の煙草に火をつけたマッチの残り火で、指を火傷しそうになりながら火をつける。


「紙巻きに変えたんですね、ミスター・フィッツジェラルド」

 去年はパイプで吸っていたことを思い返して尋ねる。

「出先ではこれが便利でね。味は劣るが、手軽で悪くない」

「同感です」


 視線の先では、丹念に石柱を調べていたフェルがふと思いついたように立ち上がり、いったん距離を取って全体像を確認している。ジャックは相変わらず、フェルの後ろをにこにこしながらついて歩いている。なんとも微笑ましい光景だ。


「やはり聡明なレディだね」

「ええ、そう思います。……フェル! 肩車でもしてやろうか?」

「……大丈夫だ」

 つま先立ちで石柱群を眺める彼女に声をかけるが、笑って断られてしまった。

「フェルさん、なにか気付きましたか?」

 説明したい風情のジャックに、フェルが答える。

「石の柱ひとつひとつではなく、全部の柱でひとつなのだな」

「そう! すごいよフェルさん!」

「しかし、ときどき壊れているのでモチーフがわからない」

「それはね、これだよ」


 ジャックがしゃがんで手折ったのは、一輪のシスルの花だ。赤や紫の花弁を持つ、ハイランド地方を象徴する花で、茎には鋭い棘を持つ。石柱群は上空から見ると、シスルを意匠化した紋章を象ってあるのだ。


「シスルって名前の花なんだ」

「かわいい花だ」

「そう。棘があるから気をつけて……っ!」


 手折ったシスルを手渡そうとしたジャックが顔をしかめる。棘が指に刺さったらしく、鮮やかな赤が茎を伝い、フェルの手を汚す。


「大丈夫か?」

「あはは。これくらい平気だよ……って、ちょっと、フェルさん?」

 ジャックの手を取ったフェルが、血の滴る人差し指を躊躇なく口に含む。

「あ、あの……フェルさん、汚いよ……」

「わたしも指を切ったときは、こうしてもらっていた」

 口腔に溜まった血を吐き捨てながら、フェルが言う。

「えっと、そうなんだ……ありがとう……」


 ジャックの頬は真っ赤に染まり、フェルの顔を正視できない有り様だった。一方のフェルは全くの親切心からそうしているらしく、淡々とした態度を崩していない。ジャックは気が動転しているのか、指をくわえられたまま説明を再開する。


「そ、それでね。シスルの花にはおもしろい逸話があって。ダーナ人がハイランドのとある街に夜襲をかけようとしたとき、足音を消そうと裸足で忍び寄っていた彼らはシスルの棘を踏んで、うっかり声を上げてしまったんだ。おかげで街の人たちはダーナ人の接近に気付いて、反撃することができたんだって。だから、シスルはハイランドを象徴する花とされているんだ」

 ジャックの指から唇を放し、フェルが応える。

「だから、石の柱で?」

「そうなのかも知れないね。文献が残ってないから正確なことはわからないけど、このシスルの花がハイランドの人々に今でも愛されているのは確かだよ」

「ハイランドの象徴、か」


 魔女の治める国。おとぎ話のような現実、その象徴だった少女がシスルの花を愛でる。ジャックでなくとも、魅入られてしまいそうに美しい光景だった。

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