ご予約品~弟に贈る柔らかおやつ~
これは今から少しだけ先の話───。
朝の仕込みの最中の出来事だ。
穏やかな小鳥の鳴き声を聞きながらオーブンにキッシュパイを入れた所で、珍しく電話が事務所に鳴り響いた。急いでタイマーをしてから、腰巻の赤いエプロンで手を拭い 受話器を持つ。すると、向こうからは たどたどしい女の子の声が耳に届いた。
「もしもし、すずらんさんですか。
「そうです。ご用件はなんですか?」
「あの、赤ちゃんのために、赤ちゃんでも食べられるお菓子を作ってあげてください!」
元気よく告げられたお菓子名に私はくすりと笑みが零れた。可愛らしいご予約に了承の意を言うと、受話器の奥からまた元気な声でお礼を言われて、何だか心が温かくなる気がした。
もしもし、と次に大人の男の人の声が耳に届く。きっと彼女の父親だ。
メモ帳に約束の時間と物を書き出して確認をとると彼は弱々しく謝礼を述べた。
「いえ、ご注文ありがとうございます。赤ちゃんのために頑張るとお伝えください。」
あの小さな女の子の事を思いながらそう告げると、彼は嬉しそうな声で電話を切った。
オープンテラスのほんのり紅葉した木の葉が目に入る。あの子が来たのは、あれがまだあの木が柔らかな桃色の花びらをつけていた頃のことだったなぁ、そう思い返していると懐かしい気持ちになった。米粉とお湯を混ぜた生地を練って、小さくハミングしながらあの時のことを思い出した。
* * *
あれはまだ桜の花びらが 真っ白なテラスの椅子と机を可愛らしいピンク色で染めてた時期のことだ。突然、着物姿の女の子がうちにやって来たのだ。
お昼寝している間に消えたお母さんを探して、私の所まで来てくれたさくらんぼパイが大好きなすみれちゃん。結果、お母さんは出産の為に病院へ向かっただけで数日後すぐに、元気な男の子、龍太郎くんを抱いて帰ってきてくれたのだが。
あれから半年が経って、赤ちゃんは皆に愛されてすくすく成長している。すみれちゃんもお姉ちゃんらしく弟の面倒を見てくれて助かる、と呉服屋の奥さんは嬉しそうに言っていた。すみれちゃんの成長にも嬉しく思いながら、私は出来た生地をを蒸し器に入れて一人で笑みを零した。中に少しだけ溶かした粉ミルクを入れて2、3日乾燥させたら、柔らかな味わいの米粉せんべいの完成。
空き時間にお家でも作れるようにレシピを書いて、乾燥した米粉せんべいと一緒に箱に入れたら準備万端だ。
後はじきに取りに来るすみれちゃんを待つだけ。
カラン、開店と共に涼やかなベルの音が洋菓子店に鳴り響く。いらっしゃいませ、笑顔でお決まりの挨拶をすると目の前には緊張した面持ちのすみれちゃんが、お気に入りの藍地に大きな百合が咲いた着物を来て立っていた。
赤ちゃんのお菓子ですか、と尋ねると大きく頷いてくれた。首から下げたがま口のお財布からお金を出して私の手のひらに置く。偉いね、そう言うとすみれちゃんは恥ずかしそうに俯いて笑った。それからその小さな手に箱詰めした米粉せんべいの余りを乗せてあげると、彼女は私を見て首を傾げる。
赤ちゃんでも食べられるおせんべいよ。目線を合わせて教えてあげると、すみれちゃんはぱくっと手のひらのものを口に入れた。ぱっと花が咲いたような笑顔に私も釣られて微笑む。
「お姉ちゃん、ありがとう!これなら龍くんも食べられるんだね!」
大きく頷いてみせると、彼女は大きく手を振ってからから、嬉しそうに家に向かって駆けていいった。その後ろ姿はか弱げな半年前よりたくましくて何だかかっこよかった。
すみれちゃん大きくなったね、心の中で成長した彼女の背中に語りかける。
振り返って手を振った彼女に手を振り返してから、私はお店に戻って鉢植えに水やりをした。