3 異質
「刑事さんの仕事は、死体を発見したときの状況の聴取で、わたしの個人的な詮索ではないはずだと思うが」
飾り気のない取調室に気さくな刑事に連れ込まれたブラウンの髪の少年は淡々とした表情のままでそう告げた。
もちろん、ポトマック川に流れ着いた死体に関する状況の詳細は聞いた。だが、それだけではない。警察というものは、目の前に事件が発生したからと言って、これから何かしらの事件に関与しかねない未成年者を放置していることなどできはしない。
犯罪を予防することもまた、警察官の任務である。
「君の名前はオットー・ダウディングと聞いた」
自分の名前を告げられて、オットーは黙り込んでから青い瞳をひらめかせた。まるで、エメラルドのような瞳だとイーデンは思った。
不健康に感じられるほど白い肌の少年は、額に落ちかかる髪を指先でかきあげてから小首をかしげて息を吐き出した。
「わたしの名前が、オットー・ダウディングならなんだって言うんだ?」
やけに大人びた物言い。
まるで堅い殻に閉じこもる精神病者だと、イーデンは感じたがそれを口にすることはせずに、ほとんど無表情のままで睫毛をしばたたかせる少年を観察している。
「君の捜索依頼が出ている」
「妥当なところだな」
わずかに考えてから、オットーはイーデンにそれだけ言うと腕を胸の前で組んで、じっとまっすぐに青年刑事を見詰め返した。
自分の堅い殻に閉じこもり、自分の心を守っているように見えていながら、それでも威圧する様子もなく少年はイーデンの瞳を迷うこともなく見詰め返してくる。それがあまりにも奇妙に思えてイーデンは自分の薄い唇を指先で触れてから視線を滑らせた。
「だが、こんなことで指紋も採られないだろうし、わたしが犯罪者になるわけじゃない。それにわたしは未成年だ」
――自分が犯罪を犯したわけではない。
はっきりと言い放つ少年は眉間に不快そうなしわを一筋寄せた。
「なるほど」
まっすぐな彼の瞳にはどこまでも嘘らしいものは感じさなくて、イーデンは相づちをひとつ打った。
「ところで、君は変わったアクセントをしている。幼少に外国暮らしでも?」
「わたしの個人的なことは、今回の一件とは無関係だと言ったはずだ。それに個人の事情に作為的に首を突っ込むのはプライバシーの侵害というのではないか?」
「君に対する捜索依頼が出ていると言っただろう。俺は刑事だから君の家出の事情を追求する義務がある」
「そんなもの刑事警察がやる仕事じゃない。その辺の制服警官にでも任せておけばいい」
押し問答のようなやりとりを繰り返すイーデンとオットーだったが、イーデンのしつこさにやがて屈したのはオットーの方だった。
「悪いね、俺はしつこくて有名なんだ」
「……拷問して自白させるようなまねをしないだけ、”まし”かもしれんな」
苛つく様子で腕を組み直したオットーは、まなじりを引き上げてから唇をへの字に曲げる。
「それで、何の話だった?」
イーデンの軽口にやや態度を軟化させたオットーは、やはり観察するような眼差しを納めることもなくどこか不遜な態度で相手を見つめ直した。
「君は外国暮らしをしていたのか、と聞いたんだ」
「いいや、生まれも育ちもワシントンで、海外旅行の経験もない。家はあまり裕福ではないから、そんな贅沢をさせてもらえる余裕はなかった」
「君のイントネーションはこのあたりの住民たちのものとだいぶ異なるが、それは誰かに影響を受けたのか、それともそうした話し方をする誰かが近くにいたということなのか?」
問いかけられる言葉に、オットーは言葉を選びながら簡潔に、しかし正確な言葉を彼に返した。正確すぎる物言いが、違った意味で引っかかった。アメリカの流儀でないことは確かだろう。
「物心ついた頃から、この話し方だったからな。両親は気取った話し方をするなとよく言いつけた。わたしはわたしで、あまり周りと浮くのも困ると思ったからこの話し方を直そうとしたのだが、結局徒労だった。直そうとしても直らないんだ。そんな答えで刑事さんは満足してくれるか?」
物心ついた頃からこの話し方だったということは、周りの子供たちや、家族からも相当浮いていたにちがいない。しかし、幼少の彼にはどうすることもできずに、孤立していき自分の殻に閉じこもるようになったに違いない。
それだけ言ってから胸の前で組んでいた腕をほどくと、椅子の座面に両手をつくようにして背筋を伸ばしてからなにかを考え込む様子で、不意に横を向いた。
そんなオットーの様子を観察しながら、イーデンは彼の話し方はいわゆるイギリス人の話す英語とも違うものだということをおぼろげながら感じて眉をつり上げる。
「例の死体の件だが、仮にわたしが犯人であれば、……――いや」
そこまで言って、オットーは目の前の机に両肘をついて、その手のひらで顔を覆った。震える肩がなにかをこらえている。うめくように吐き出された吐息が苦しげな色を帯びた。
「今のわたしは、人殺しなんかではない」
人を殺してはいない。
繰り返す少年は苦しい記憶を思い返すようにそうして顔を伏せた。
彼はこの言葉遣いだけでも十分に、彼を取り巻く小さな社会から浮いた存在だっただろう。いくつかの質問を繰り返しているうちに、取調室に失踪児童の捜索依頼を受けたエリザベス・ベハラノが慌ただしく入ってきた。
家出の常習犯だが、犯罪歴はない。
たとえばパンやコーラすらくすねることもしない。
「ずいぶん痩せてるのね」
椅子に座る少年にそう言ったエリザベスは、痩せた青白い肌の少年の頭頂部を見下ろした。
「貧乏旅行は慣れている。小遣いだけでなんとかできる程度でしか家出はしないことにしているんだ。そろそろ金もつきそうだったし戻ろうかとも思ったんだが、結構期間が長くなってしまったから、両親が心配して捜索願をだしているのではないかというのも想定はしていた」
至極冷静に告げたオットーは、驚いたような顔をしたエリザベスを見返すとそっと目を伏せてから、もう一度薄い唇を開いて繰り返した。
「俺は、犯罪に関係するようなことはなにもしていない。ギャングなんかと関わるだけ時間の無駄だ。そんなことをするなら、もっと勉強をする時間に充てる」
さも当たり前のように言ったオットーは、憮然とした様子で視線を流して唇を引き結んだ。
学校の成績は優秀だというのに、家出の常習犯。
家族をも認める失踪癖。
つまり、それはオットー・ダウディングが失踪するなんらかの理由があると見ていいだろう。想像するに、これからもオットーは家出を繰り返すことになるだろうが、高校生の本分でもある学業が申し分なく優秀ならば、どこに家出をしなければならない理由があるのだろう。
「家族になにか不満でもあるの?」
そこからはエリザベスが問いかけた。
「別に、そんなものはない。わたしのアクセントのことだって、今は高圧的に直せと言うわけでもないしな。成績が良ければ、別になにも言われなかった。もっとも家出を繰り返すものだから小遣いは減らされていたが」
家族には不満もない。
「それなら、これからはご両親に心配をかけないようにして、家出は自重することよ」
「善処する」
こうして取り調べを終えたオットー・ダウディングは、警察署から連絡を受けたダウディング夫妻に引き渡されることになった。
夫妻と息子のやりとりを聞いていると、なおさら少年のイントネーションの異質さが際だった。
いったい彼は何者だろう。
イーデン・エヴァーツはそう思った。