2 まばたきの瞬間
ポトマック川河畔、西ポトマック公園の一角にその現場はあった。
赤色灯の点滅するパトカーの間から遠巻きに様子を伺うのは、ふたりの男だ。もっとも、いまひとりは男というには若すぎる。
イーデンが小耳に挟んだところによれば、若い方が発見者でサラリーマン風のスーツ姿の男が通報者であるらしい。だが、一見しただけで状況の異質さをイーデンは見てとった。サラリーマン風の男の方は挙動不審の様子でキョロキョロと周りを見渡しているのに対して、若い男の方は片手にナップサックを吊るしたまま鋭い視線で状況を観察していた。
落ち着きすぎている、とイーデンは思った。
もちろん水死体を見て冷静なままでいられる人間などそうそういるわけもないことははわっているから、サラリーマン風の男のほうの反応が至極人間らしいのかもしれない。しかし少年の方はそうではない。
別段、死体に強い関心を払うわけでもなく、かといって、警察関係者たちに警戒を示すわけでもなく、なにかの観察でもしているようにあたりに視線を巡らせている。
「話を聞かせてもらえないか」
そこまで考えてから、イーデン・エヴァーツは自分の任務を思い出した。
名前は駆けつけた制服警官からすでに聞いた。サラリーマンがナタリオ・カルドナ、少年の方がオットー・ダウディング。
その名前を口の中で繰り返してから、イーデンは「おや」と小首を傾けた。
友人のエリザベス・ベハラノのもとに一報を受けた問題の少年ではないか。
失踪癖のあるという。
「彼が携帯電話を持っていないと言うことだったから、わたしが連絡をしたんだ。わたしはそれだけなんだ」
どもりがちになる口元を震わせたナタリオ・カルドナは、死体に視線を向けてから思わずこみ上げてくるものでもあるのか、口元を押さえてから背中を丸めると嘔吐感をなんとかこらえようとして眉間を寄せる。
「発見者は君か?」
自分よりも頭一つ分以上も大きな大男に言葉を投げかけられて、オットー・ダウディングと名乗った少年は大げさな様子で肩をすくめただけだった。青いシャツにパーカーを羽織ってカーキ色のハーフパンツを身につけた、飾り気のない少年だ。
「見つけたのはわたしだが、殺しはしていない」
素っ気なくつぶやくように言ってから、視線を頭上の空にあげると数秒なにかを考えた様子だった。それからちらりとイーデンを見やって、どこかばつが悪そうに唇をへの字に曲げる。
ブラウンの髪に、ガラス玉のように透明な青い瞳が印象的だ。
「だいたい家出中なのに、後ろめたかったらわざわざ死体を見つけたことを自分からすすんで申告する必要などないし、通報者と一緒にこんなところで警察官を待っているわけもないだろう」
やけに大人びた口調で話す少年の言葉に、ナタリオ・カルドナが一瞬で血相を変えて少年のパーカーの裾に取りすがった。
「き、君はわたしを死体なんかと一緒にこんなところに取り残すつもりだったのかね?」
素っ頓狂にも聞こえるサラリーマンの情けのない声色に、今度はあからさまに少年が眉間にしわを寄せると男の手を心底嫌そうにふりほどいて後ずさった。
「男のくせに、死体程度で泣きわめくな。鬱陶しい」
やさぐれた少年の物言いとも受け取れるが、どうにも調子が狂う。
まだ成長しきっていない少年の華奢な腕は、これからの成長を感じさせる成長期特有のひどく印象的なものであることはイーデンにはすぐにわかった。
オットー・ダウディングについては、いろいろ気になるところが外見的にも多々あることに気がついてはいたが、それはとりあえず、さておいて、イーデン・エヴァーツは意識を切り替える。
「君が殺したわけじゃないというのは、とりあえず信じよう。それに、仏さんは死後一日以上はたっているようだし。君が犯人で現場に戻ってきたのではない限り、そうした可能性も低かろうからな」
「……ふん」
苦笑交じりの冗談のように告げた青年刑事に、オットーは鼻を鳴らしてから横を向く。
「詳しい話は、署で聞きたいんだが、少しだけ時間をもらえますか?」
「かまわない」
イーデンの言葉に即答したのはオットーだが、サラリーマンのほうは「えー? 仕事が山積みなのに、警察は何を考えているんだ」と苦情の声を上げる。もっとも、常識的に考えれば死体を発見したわけだから取り調べの方が優先されるのは当然の成り行きなのではあるが、ビジネスマンにしてみれば仕事の邪魔をされるわけだからそれはそれで問題なのだろう。
「わたしは、……車には乗れない」
混乱しきって早口にまくしたてるナタリオ・カルドナとは対照的に、少年の方はやはり冷静に考えてから唇を片手で覆うとそうつぶやいた。
「乗り物酔いでも?」
「……そうじゃない。ただ、家出中だと言っただろう。何日もシャワーも浴びてないし、臭うだろうからな。パトカーに変な臭いでもついたら大迷惑だろう」
とつとつと言葉を選びながら、視線をあらぬところにさまよわせた青い瞳の少年は、とりあえず逃げるつもりはないようだ。それなりに善良な市民に対しては良心的に振る舞っているつもりのイーデンのそんな態度を、女たちは勝手に誤解するのだ。
それなりにもっともらしい言葉を吐き出した少年は、それだけ告げるときびすを返してひらりと肩の上で片手を振った。
そんな少年にイーデンが出頭する警察署を明示してやれば、独特な雰囲気をただよわせる彼は無言でうなずいただけだった。
単語の第一音節に独特な強いアクセントを持つ物言いをする少年は、そうしてイーデンの視界から遠ざかる。それ以外にも、オットーから感じる違和感は山ほどあった。それこそ一言では語り尽くせない。
もしかしたら、犯罪組織やそうした違法組織に関与しているのではないかとも思われるが、それにしたところで、奇妙だと思われる点は多すぎる。えてして、こうした少年というのは本人がそうとも知らずに犯罪に関係することもままあった。
アメリカという国で、十代の子供たちほど危険に晒される人間はいないだろう。沈黙に陥りかけて、サラリーマンのわめく声によって現実に引き戻されたイーデンはそうしてからやれやれとかぶりを振ると、投げやりに通報者の男をパトカーに押し込んだ。