1 ともしび
――失踪癖?
駆け込んできた中年を当に過ぎた夫婦の青ざめた様子に、行儀も悪く事務机に腰をかけていた金髪に水色の瞳の長身の男は片方の眉尻をつり上げた。
こう言ってしまえばなんだが、自分ではそれなりに犯罪に対して鼻がきく方だ、と勝手に思っている。
「探してください、お願いします」
ブロンドがすっかりくすんでしまった、けれども決して醜いというわけでもない年相応の女はすがるように必死の思いで女性警官に取りすがる。
落ち着いてください、とお決まりの文句で夫婦をなだめる褐色の肌の女性警官は、大きな瞳が印象的な黒人系の女だった。もちろん、胸は大きく尻も見事だ。加えて、ウェストもきゅっと締まっていて見事なくびれがひどく肉感的でもある。
コーヒーの注がれた紙コップに口をつけながら、大柄な男は黙って聞くと話に両者の話に耳を傾けていた。
もちろん、盗み聞きをしているつもりはない。
夫妻が話をしているのは、女性警官だし、女性警官が話を聞いているのは夫妻であって、男はあくまでも蚊帳の外だ。混乱している当事者たちの間に割って入って話をかき回すことほど、大概ろくなことにならないと決まっている。
だいたい、外野がわめけば事件が解決するなら、警察はいらない。
憮然として考えを巡らせながら、彼は大きなため息をついてからオフィスの騒々しさに視線を天井にあげた。
そもそもティーンエイジャーの失踪など、アメリカ合衆国全土ではそれほど珍しくはない。ことさらに特別視すべきものでもなかったし、それほど代わり映えがあるわけでもない。だいたい、学年をまたいだ夏休みともなれば、大なり小なり羽目を外したがるのが十代だ。
それに、そうした多感な少年少女たちが素直に大人の言いなりになっているというのも、正直なところ気持ちが悪い。
過去の自分を重ね合わせてから、彼は大きなため息をつく。
それでもある程度、年齢を重ねれば、親たちの心情も理解できるようになるし、いくら独り身であってもそれを察しなければならないのも職業柄だ。
いわんや、彼らの息子は幼い頃からふらりと家から姿を消すことがあったのだという。子供の頃はそれほどひどくなかった。せいぜい昼日中、行方をくらませてから何事もなかった顔をして戻ってくる。
けれども気むずかしい子供だったとも夫妻は言った。
子供は四人兄弟の末っ子だったが、あまり兄弟姉妹とも関わりを持たずに家の中で静かに過ごすことが多かった。
――名前はオットーと言います。
どうか、彼を見つけてください。
母親に当たる女は何度も女性警察官にそうやって懇願した。
性格は内向的で神経質、それでいて頑固でこうと決めたら絶対に自分を曲げることはしなかったという。正義感はそれなりに強いが、子供にしては偏屈で親も手を焼くほどだったとは言うが、それでも一家にとって「彼」は自慢の末息子だった。
「妙だと思わないか、エリザベス」
「犬みたいに呼ばないでって言ってるでしょ」
調書をまとめあげた黒人系の女警官は憮然として長身の男をにらみつけてから、腰に手を当てた。
カールした黒い巻き毛を肩の下で軽く結んで、長い睫毛をしばたたかせる。
警官をやっているよりは、モデルか役者でもやっていたほうがいいんじゃないかと思えるようなびっくり美人だ。
ちなみにいわゆる制服警官で大きな瞳と愛嬌のある童顔にごまかされがちだが、彼女は街のおまわりさんとして十分なキャリアを積んでいる。一説には、私服警官としての打診もあったらしいが、どんないきさつか相変わらず街のおまわりさんを続けている。
「それで、なに」
ぶっきらぼうに言いながらつんと顎をあげたエリザベスは鼻筋の通った顔立ちに不振の色彩を募らせた。
「学校の成績は優秀で、運動神経もそこそこだ。親からの愛情も十分に注がれているなら、失踪癖がつくとも思えない」
「嘘をついているっていうの?」
誰が、とはエリザベス言わなかった。
「さてな。失踪して一週間だろ。まだその辺にいるだろう。ティーンエイジャーがそんなに大金を稼げるとは思えないし」
考えれば考えるほど奇妙だと思った。
「犯罪に巻き込まれているとも考えられるわ」
エリザベスは彼の言葉の後に続けてそう相づちを打った。
これまでの失踪は長くても一泊程度だった。それが一週間にもなるということは、それなりの問題に巻き込まれたという可能性もなきにしもあらず。
「おそらく、家庭内に問題を抱えている」
「わかってるわよ、イーデン」
すらりと均整のとれたスタイルの美女は、腰に両手を当ててから白人の大男を見詰めると、そっと豹のように目を細めてから厚い唇を慎重に開いた。
「青少年が失踪するのはだいたい家になにかしらの問題がつきもの。きっと、あの優しそうなご両親もなにか隠しているんでしょうね」
自慢の息子。
スポーツ万能で、学業も申し分なく優秀だ。
そんな自慢の息子が、どうして幼い頃から失踪を繰り返すのか。
問題がどこかに潜んでいるに違いない。
「とりあえず、この書類出したら外に出てくるわ」
黒い髪を揺らしたエリザベスは彫りの深い横顔を、友人の刑事に向けてからきびすを返すと机の上の書類を手に取った。
彼女はなにからなにまで完璧だ。もっとも今はつきあっている男もいない。数年前に、交通事故で医者の恋人を失って以来、異性との関係はどうやらぱったりと途絶えていた。
「もったいないな、ベス」
「なにがよ」
「男が放っておかないだろう」
「あら、そんなことを言うあなたがわたしの恋人にでもなってくれるっていうの?」
「……――」
「なによ、露骨に黙り込むなんてレディに失礼じゃなくって?」
「いや、その……」
なんだな。
エリザベスにやや不機嫌な視線を投げかけられて、イーデン・エヴァーツは思わず片手で口元を覆うと黙り込んで有色人種の友人を見詰めてから口ごもった。
「正直に言えば、おまえとする甘いやりとりなんて想像できなくてな」
「ご愁傷様、わたしも同じ」
じゃーね。
ひらりと手を振ってから、エリザベスはイーデンに今度こそ背中を向けた。
そんな彼女の黒髪を見送ってから、男は机に座り込んだままでじっと頭の中にくすぶる単語を検分した。
――自慢の息子。
けれどもその言葉ほど、奇妙に感じられるものはない。
「おい、イーデン」
名前を呼ばれて顔を上げた。
「殺しだ。ポトマック川で死体が上がった」
手短に告げられて長身の青年はゆるくかぶりを振ると立ち上がった。
かつて、その街は殺人首都と呼ばれた街――アメリカ合衆国、ワシントン.D.C。