第13話 極座標配置の掟
第13話 極座標配置の掟
極座標配置調査部の利助はいつも、何処かの部署に顔を覗かせていた。そして、何かを見つけ、何かを思いつくと自分の部署へと帰っていった。
「これを試して見ようじゃないか」
その部署の人々は、このいつもの言葉に慣れていたが、それは軽侮の態度ではなかった。むしろ尊敬に値する言葉で、その言葉が発端で新しい極座標配置をいくつか発見している。その極座標配置は全て観測系のものであり、操作系の極座標配置は新しく発見されていない。その理由は新しい極座標配置の実験のとき、得られるデータが観測に関するものだけだったからである。つまり、実験とは得たいデータしかみることは出来ず、例え何かが変化したとしても装置がそのデータを捉えることができなければ、気が付かないということである。これを極論すると実験とか観察は見たいものしか見えないということになる。
利助の部署は、原子核内の核子を自由に座標配置できる装備を持っていたが、それはシルバの多重仮説に則った配置だけを実験対象にしていた。その理由は2つあって、1つは多重仮説だけでも配置の組み合わせ数は数千万通りあることと、1つは、多重仮説に反する配置をしようとすると、思惑通りの配置とならなかったためである。反する配置では、核子が何かに反発するように予期せぬ移動を行った(これはシルバの多重仮説の傍証となっている)また、チロから教えられた核子の配置も多重仮説の範囲に収まっていた。
極座標配置調査部のほとんどの人員が、脈流顕微鏡の改良に携わっていた。その全員が極座標配置と脈流顕微鏡の原理の知識を持っていた。極座標配置とは、原子核内の核子の座標配置のことをいい、これは同じ陽子数を持つ元素の同素体と関係(超同素体)があった。しかし、超同素体が、自然界で作られることはなかった。自然界の物質は特定の極(空間線)の座標配置パターンにより構成されている。依って、座標配置パターンに影響を与える座標配置パターンは自然界では作られなかったのである(座標配置パターンは脈流の1種である)。
このことから人為的な超同素体の生成は、自然界(物質界)の秩序を乱す可能性を持っていた。プロキシマ・ケンタウリへ行って戻ってきたグリーン号が搭載していたエネルギー消滅砲などはこの典型で、エネルギー(質量)保存の法則を局所的に破るものであった。桃九らは、このことを知ってはいたが、深く理解はしていなかったようである。やがて桃九らは事の重大さに気が付いて、人為的な超同素体の生成を自粛することになる(この頃には、技術が進んで超同素体は遺物となっているが)。
エネルギー消滅砲は操作系の超同素体により設計されている。例えば、エネルギー消滅砲はエネルギーを空間線に分解する機能を持ち、直接的に自然界の掟を破ることになる。しかし、グリーン号はエネルギー消滅砲を搭載していたものの使用はしていない。依って、自然界の掟を直接的に破ったときの影響はわかっていないことになる。
操作系に対し観測系の超同素体は、直接的に自然界の掟を破っていないようであるが、実態は局所的に自然界に影響を与えているかもしれない。桃九と同じように利助も事の重大さに気が付いていない。そのため、新しい、超同素体は次々と発見されていくことになる。そして、そのことにより人類の技術は大きく羽ばたくのである。
尚、極座標配置調査部は名称を超同素体部とかえた。そして、一人の光学出身の技術者のアイディアにより新型の脈流顕微鏡が開発されることになる。