第8話 必然の確率
第8話 必然の確率
シュレーディンガー方程式によると原子核の正電荷が電子に影響を与えるとされている。しかしながら、シュレーディンガー方程式は量子力学の基礎方程式である。そして、筆者は量子力学を全く理解していない。
20世紀初頭アインシュタイン博士は、不確定性原理への反論として「神は賽を投げない」と手紙を送ったそうである。アインシュタイン博士が確率論をどう捉えていたか知る由も無いが、筆者は『純粋な確率』と『必然の確率』の存在を主張したい。これは『不知の創発』と『本質の創発』に似ていて対象物を超ミクロの因子の段階まで分解できたとき(この物語では空間線にあたる)、『純粋な確率』は姿を現すと思っている。『必然の確率』とは、因子(確率対象要素)に不純物が混じっていたり不適当な因子を扱ったりするとき確率は偏りを持ち、その妥当性を疑う説明ができるならば、その確率は意味を失う可能性がある。例えば回帰分析を行うとき、最初から相関性ありきで因子を選択すると、意図したものが相関性ありと結果が出るのは当然なのである。筆者はこれらを総称して『必然の確率』と呼びたいと思っている。
この世界は様々な要素が絡み合って実に複雑である。この物語では、その絡み合いを「組み合わせ」として捉えていきたいと思っている。組み合わせ数は、要素の種別数と要素が何個連なるかで概略の組み合わせ数が求められる。要素の種別数と連なる個数が決定されれば正確な組み合わせ数が求められるが、それらを決定することは現代の技術では不可能であるように思える。定義によって要素の種別数を決定することはできるが、定義が自然界の事象全てであることを証明することは不可能である。例えば、たんぱく質の一次構造を考えるとき、要素の種別数はアミノ酸20種類となる。しかし、これは「人体を構成するアミノ酸」という条件下の種別数である。
確率を考えるとき、条件が必ず存在する。このとき、確率の結果と条件が完全に独立しているのかが問題となるが、この世界には完全独立系は存在しない。即ち、確率は条件の影響を受けるのであり、『純粋な確率』を求めるためには無条件下という条件が必須となる。
と、思いつくまま述べてしまったが、上述の内容には齟齬や矛盾、手落ちが存在することは承知のことである。拠って『純粋な確率』『必然の確率』はこの物語の宿題の1つとなる。
筆者は量子力学を確率の論理であると認識している。この物語では『純粋な確率』以外の確率は登場しない。その理由もあってシュレーディンガー方程式を扱わないのである(興味はあるが)。方程式とはいわゆる関数である。関数も組み合わせや集合の1要素として扱うかもしれないが、関数だけでは組み合わせや集合の表記(説明)は不可能であると思っているのである。
尚、この物語では予測の精度を確率ではなく、可能性(率)として扱いたい。すると、可能性(率)は大きな誤差を伴うものと思われる。