第4話 2つの創発
第4話 2つの創発
シルバが多重仮説の立証のための観察をした翌日、桃九がシルバの研究室を訪れた。桃九はチロの思惑を抱いて、シルバの研究内容を異なる方向へと導くつもりだったのである。
「やぁ、仮説が上手く立証できなかったと聞いたけど」
「はい。全くの失敗でした」
「そこで、相談があるのだけど。形状性質論のことは知っているよね」
「もちろんです」
形状性質論とは、桃九が提唱している理論のことである。極座標配置と関連があると思われているが、現段階ではそれを証明することはできない。形状性質論は2つの主張を持っている。1つは形状(主として多角形の頂点の配置のことである。ここが極座標配置と関連があると思われている部分である)だけで情報を持つことができ、プログラムも可能であるという主張である。1つは対象図形を完全グラフとしたとき、凸図形(外周)を構成する頂点を頂点集合から分離させ別な集合とし、残った内側の頂点だけの集合を作る。そのとき、内側の頂点は入れ子次数を持ち、次数が高いほどその図形は複雑性が大きいという主張である。ところが完成した図形から入れ子次数を導き出すことは、組み合わせの数量が膨大で困難なのである。ここが形状性質論の弱点となっている。
「元素が原子核内の陽子1個の違いで、性質が大きく異なることは知っているよね」
「もちろんですとも。この部の看板ですから。しかし、わたしは化学について深く理解していないのです」
「それは問題ない。利助さんのところから化学者を一人転属させることにしたよ。やって欲しいことは核子の構成と元素の性質の関連性の調査だ」
転属してくるのはアサリという、つい最近人類代表に昇格した化学者であった。アサリは幼いころから「これは何でできているの?」というのが常套句で周囲の大人を困らせていた。例えば、コップを見て「これは何でできているの?」と聞くと「ガラスだよ」という返事が返ってくる。すると「ガラスは何でできているの?」ととめどなく聞いてくる子供であった。このアサリは高校の化学の授業を契機に「この世界を知るためには化学しかない」と思うようになり化学者となったのである。
そもそもこの部の創設をもちかけたのはチロであった。創発現象の研究に適していると閃いた理由は、チロには元素の由来がわかっていたからである(しかし、チロの方針から人類にチロの知識を教えることは稀である)。そして、元素を構成している全ての脈のサブユニットをひっくりかえしても元素の性質は現れなかった。これでチロは創発現象だと確証を得たのであった。
桃九もその研究を推進することには賛成だったが、チロの考える創発現象は2つの部分から構成されていると思っていた。1つは、因子の組み合わせの数が膨大であることが原因で現象を把握できない部分である。つまり、人類の未熟さによる現象の不理解といえる。これを『不知の創発』と呼ぶことにした。そして、この不知の創発を除いて残ったものが本物の創発現象であると考えている。これを『本質の創発』と呼ぶことにした。
いずれにしろ、シルバとアサリは紆余曲折の研究の道を歩くことになる。