第10話 集合とコンピュータ
第10話 集合とコンピュータ
飛び立ってから3ヶ月のグリーンの艦内は、そろそろ環境に皆が慣れ始めた頃だった。搭乗員数867人で航行するグリーンの艦内には十分過ぎるほどの娯楽施設が、用意されていた。これは往復で最低2年間の搭乗生活をすごす搭乗員への配慮で、できるだけ余計なストレスを減らそうという思惑があったのである。
アインの助手であるリーも搭乗しているが、これは脈流通信機Ι型のテストと調整のためであった。現在、開発している脈流通信機Ⅱ型にΙ型の不備な点を改良してとりいれようという考えである。尚、Ⅱ型はΙ型と異なるアルゴリズムで開発されている。
現時点(2045年)と2015年を比べて、コンピュータの性能の画期的な進歩はない。確かにハードの面では数兆倍のCPU速度となっていたが、現在の技術の延長では先が見えていた。ハードの面ではバイオ技術の導入などで並列CPUをいくらでも繋げることができたが、その複数のCPUの入出力の制御に負荷がかかり、そろそろこの方式も限界かと思われていた。数学の分野で集合論の人気が高まり、未だ発展途上であるが、技術導入できるレベルになっていた。これを受けてソフトの面では多価関数式のプログラム言語が主流となりつつある。2015年には不可能だった大量計算数の処理も対数レベルまで下げることができたが、それでも処理しきれない問題(数量的に)があった。集合論の最大の課題は、式の表記法であった。表記法が乱立し統一性が全くなかったのは、どれも一長一短で皆が納得できるものが存在しなかったためである。
2015年までは、科学を語るにおいて関数は必須の手段であった。基本的な表記法は左辺と右辺に分かれて両辺が同じ値をとる方式であった。この頃の集合論は、簡単な演算式しか持っておらず、集合は同じ種別の要素の集まりとされていた。
2045年の集合論は、集合体という概念を持ち、複数の集合を1つの集合として扱うのが基本である。また、異種同値集合という概念を取り入れ、一方の集合が決定されれば、もう一方の集合も一意に決定されるものをそう呼んだ(但し逆方向も真とする)。例えば、完全グラフのノード集合とエッジ集合がこれに相当する。この集合論で2015年当時の関数を表現すれば、左辺が一つの集合体であり右辺も一つの集合体である。そして、左辺と右辺は異種同値集合となる。数学者のあるグループは関数を踏襲し、集合体を変数として扱う試みをしている。また、あるグループはアルゴリズムのツリー構造を取り入れて表記法を考えている。このようなグループが多く、集合論の表記法に統一性がなかったのである。
アインはパルスから脈の基本を学び、何が問題か知っていたが解決する術を持っていなかった。但し、問題の全てを知っているのではなくアインが問題だと思うことを知っているという意味である。そして、その問題の専門家は桃九であった。
「桃九さん、パルスからこのように教えられたのですが、最短で目的地に到達する手段を教えて貰えませんか」
「それは難しいというより、全てが最短になってしまうのです。つまり、脈には条件というものが存在しなく全てが無条件の存在なのです。我々の住む世界に無条件の物質も生物も存在しません。必ず何かの制約(条件)を持っているのです。脈の最短路をみつけるためには脈の条件を知らなければなりません」
つまり、脈流通信機Ⅱ型の開発は頓挫しかけているということである。Ι型はただ力技で通信しているだけで、通信速度が速いのは脈の持つ性質のおかげでしかなかった。