第5話 非物質化酵素
第5話 非物質化酵素
利助によって核反応ウイルスのDNA分析が終わった。それは核反応ウイルスのゲノム(遺伝情報)が明らかになったことを意味した。このウイルスは、地球上の生物のDNAとほとんど同じ構造を持っていて、擬似アミノ酸の種類17個から3つのアミノ酸を選択したコドンコードを持っていた。そのコードによって、たんぱく質や酵素などを生成するようであった。しかし、発現していないDNAや捨てられたDNAもゲノムに存在するため、目的とする電子-陽電子の配置転換酵素の特定に多くの時間を必要としたので、ムーの生物関係の科学者の多くが手分けして、発現しているDNAの特定に時間を費やしていた。
もう1つのチームが存在し、そのチームはすでに明らかになっている電子-陽電子の配置転換酵素そのものから機序解明のアプローチを行っていた。最初の実験はヘリウム(He)の原子核にその酵素を投与することであった。しかし、反応の兆しすら見えなかった。考えられることは、その酵素が複合酵素群の一部に過ぎない可能性であった。複合酵素群は、複数の酵素あるいはたんぱく質の集合的作用によって、酵素としての能力を発揮する。人類は補酵素などでこれを見ている。
その複合酵素群を核反応酵素セットと呼ぶことにした。問題になるのが何個の要素で1セットとなるかであった。このセットの構成要素数をNとしておきたい。次にセットの仲間(酵素などの要素)の特定である。この仲間の数をMとする。すると、反応の機序には投与する酵素の順番が影響してくるからMのN乗通りの投与手順が存在することになる。例えばN=5、M=5のとき、3125通りの投与手順が存在することになるから全ての実験が終わる日時を予測できない(くらい長期間を要する)。ウイルスは、その中の正しい1つの投与手順を知っているから素早く反応を起こすことができることになる。しかし、運がよければ数回の実験で済むかもしれないし、N=M=4以下であれば、力ずくで実験できるかもしれない。
(このように計算してみると現実的ではない手法が多々存在するが、現在の人類は運のよさか根気強さで現代の文明を築き上げてきた。しかし、これからの発展には大量かつ複雑なデータを処理する技術が必須と思われる。)
利助らが用いる手法は因子と思われる酵素を特定して、それを繋ぎ合せるという従来型のものであった。
因子と思われる酵素の特定が終わり、もう1つのチームは酵素を関連付けずに核反応ウイルスの反応手順だけを調べていた。特定された酵素は3つに過ぎず、実験はすぐ成功するかと思われていたが、電子-陽電子の配置転換の箇所にくると反応はとまってしまうのであった。3つの酵素の投与手順は3の3乗であるから27通りしか存在しない。これにウイルスの反応手順から得た条件を加えると可能性の高い手順は数通りしか残らなかった。その手順全ての実験を行ったが、上手くいかなかったため、27通り全ての実験を行うはめになった。それでも上手く反応は起こらなかった。
DNAが発現しているか否かを特定するのは比較的簡単にできる。DNAがRNAに転写されるときDNAにはプロモータなどの上流部が存在する。核融合反応でいえば起爆装置のようなものである。この上流部が活性化されているか否かでDNAの発現を調べることが出来るのである。
利助は特定した3つの酵素の他に漏れがないか調べていた。思い当たることはなかったが、気になるDNAが1つ存在した。それはコドン表に照らし合わせると意味不明の配列を吐き出し、おそらく進化の過程で捨て去られたものだと思っていた。ところが、これのプロモータが活性化しているのである。利助は意味不明のアミノ酸配列を生成し、やがて免疫機構によって駆除される運命にあるDNAだと思っていた。しかし、いくら調べてもこのDNA以外に反応に関与すると思われるDNAは見つからない。
「ダメもと」という気分である利助は、そのDNAを3つの酵素と組み合わせて実験を開始した。すると、反応はスムーズに完了し、思わぬ結果となったのである。その理由を考えてみてもそのときの利助にはさっぱりわからなかったと言っている。