第11話 チェイサー基
第11話 チェイサー基
チロが去った後、桃九がマ・ムー島とイ・ムー島の研究者たちに指示したことがある。構造生物・高分子化合物・生体医学・人体たんぱく質・微生物などの研究部署に指示した内容は、既存の科学技術によって既存の自然物質から桃九が求めるパーツを生成することであった。パーツに限っての生成を指示した理由は、24番目のアミノ酸の存在を知られたくないからであり、今回桃九が生成しようとしている対U-1型ウイルスの対抗物質はその応用により人類への化学兵器ともなり得る可能性を持っているからであった。
チロルからの知識を吸収した桃九は『チェイサー基』の生成に取り掛かっていた。チェイサー基とは、対象がどのような高分子化合物でも、その結合部となる基を探し出す、いわば対象基の追跡物質である。24番目のアミノ酸から合成した超攻撃型免疫酵素にこのチェイサー基を取り付け、冥王星に投下するというのが作戦である。
思惑は、U-1型ウイルスと結合した超攻撃型免疫酵素はU-1型ウイルスの持つ遺伝子やたんぱく質、酵素を攻撃し死滅させることである。この酵素を組み立てるパーツを各部署に依頼していたのは、桃九に残された時間が少なかったためと思われる。
超攻撃型免疫酵素の試作型が合成され、コード名をT-1と名付けた。これは利助の習慣で試作=トライからきたTで1は単に1番目の試作品という意味である。まずHIVで試したところ、大量のHIVであっても1瞬で死滅させた。次に、かつて地球上で猛威をふるったエボラ出血熱ウイルスで試験を行ったところ、確かにエボラ出血熱ウイルスは急激に減少したのだが、一定時間を過ぎるとまた増殖していった。細胞核内のDNAを完全に死滅させることができなかったことが原因と考えられた。
イ・ムー島では高出力のイオン顕微鏡が桃九の指示により急ピッチで建設された。イオン顕微鏡は電子顕微鏡より拡大率が高く、T-1とエボラ出血熱ウイルスの反応を微細に観察できると考えられていた。観察の結果、エボラ出血熱ウイルスのDNAの防御力が強く、T-1が結合できないことがわかった。DNAに防御力が備わっていることも新発見であったが、今はそれどころではない。
超攻撃型免疫酵素のチェイサー基を3基に増やすことで問題に対処しようとした。エボラ出血熱ウイルスはこの対処で死滅させることができたが、今度はHIVが思わぬ振る舞いをするようになった。観察の結果、チェイサー基の1基がHIVに結合し働き出したとき、残りの2基がいたずらをしているようなのである。問題はどのようないたずらをしているかであった。
基本的にアミノ酸同士の結合は炭素-窒素結合である。DNAはヌクレオシド(ここではアデニンなどの核酸構成塩基とする)がリン酸基と結合したヌクレオチドがさらに炭素-リン酸結合したものである。いたずらは、残った2つの基が死滅途中でできた浮遊残基と結合し孤立電子対を発生させたものであった。この孤立電子対が1基目の結合に水素結合して1基目の結合の邪魔をしているのである。
対処に苦慮する桃九であった。条件を設定して3つの基を結合させることは不可能に思えた。ここで思い出したのが、チロルから得た知識で理解が中途半端だったプログラム基の存在であった。名前からすると、もしかして基に条件をプログラムできるかもしれないと考えたのである。