第3話 仮説の始動
第3話 仮説の始動
科学の本流ともいうべき論文を全て読み漁った桃九であったが、それは桃九の捜し物を充たすものではなかった。MIT時代に出会った“複雑系”という書物とその研究者との交流が桃九の胸をざわめかせたのは遠い過去に思えるのであった。手の届くところに何かが存在すると感じてから10年以上の歳月を経て数学の最大級の難問の解法を1つ得たのであったが、喜びは「解けた」と思った一瞬だけで、その解法だけでは役に立つどころか、この世界になんら影響を与えることもできないと知ったときの落胆は己の破滅と同義と感じたものであった。
それからの10年は自暴自棄との戦いと名の知れた賢者に救いを求める旅の繰り返しであった。確かに賢者たちからは癒しをもらうことはできたのだが、己が求めるものを振り返ってみるとさらなる奈落へと落ちていくようであった。命を燃やすような行いだけが己の狂気を振り払い、一時の平安を取り戻すのだが、それも長くは続かずまた命を削る職を捜し求めるのであった。
何がきっかけだったのか覚えていないが、ふと思いついたのが1つの仮説であった。そのころの桃九には真実や真理は必要なく、ただ縋るものが欲しかっただけであった。思いついた仮説に縋ってみようと思いとことん仮説を追及してみたのは、この仮説が破綻したときが己の寿命の尽きるときだと感じていたからであった。
宇宙の創造と己を結びつける仮説は、時として快楽を与え、時として耐え難い苦痛を与えた。そうこうしているうちに桃九は1つのことに気が付いた。全てを論理で考えることは無理無謀なことであって苦痛を伴う原因ともなり、行き詰ったときには己の感性に問うことが問題の打開策として有効であり、安らぎも得られるという1つの目覚めを得たのであった。
征四郎の前に現れたときの桃九は、1つの仮説を論理と感性によるイメージで構築していたが、足りないものがいくつか存在することも知っていた。しかし、このときの桃九に挫折や破滅は無縁のものとなっていた。即ち1つの信仰に目覚めていたのであった。己が信じる仮説が信仰の源であり、先ずは己と同じくらいのレベルで生物学に精通したものを探すことを藤部本家に依頼するために帰ってきたのであった。
「大兄、頼む。見返りは不死とはいかないが不老は約束できる」
征四郎も同席して精太郎を説得した。
精太郎は半信半疑よりかなり前向きな立場をとるようになったが、
「わしはよいとしよう。だが親族を納得させんと、ことの途中で思わぬ障害がでぬとも限らん。ここは御堂の神託を得ることにしよう」
御堂神社はアラハバキの神を祀る藤部家の主神格である。代々の神主は直系の男子が努めるが、実質的には直系の女子である巫女が神託をくだす。
「優、頼めるか」
優は先頃祖母から巫女の座を受け継いだばかりであるが、祖母にいわせると数百年に一人の素養を持った巫女であるらしい。巫女の素養は当代の巫女が見定めるが、優の母親は素養が薄かったようだ。
「大吉也」
こうして、近未来モデル都市プロジェクトは発足したのであるが、真のプロジェクトの目的を知るものは極限られたものだけであった。