第10話 太平洋戦争
第10話 太平洋戦争
孔明らの傀儡であった日本政府は、孔明の影響を受けることがなくなったため、糸の切れた凧のように暴走を始めた。際立った指導者もおらず、大衆に煽られるように政策が進められるようになる。一見民意を反映した善政のようにも見えるが、実態は欲しいものをねだる子供のような国になっていった。隣国を植民地にしたいと望み、我も列強の1つであると思い違いをするようになっていったのである。ついには米国と戦闘状態に入ることになるが、戦況が圧倒的に優位なときにはさほど気にならなかった徴兵制度も戦況が著しく悪化するにつれて、悲しみの対象となっていく。赤い紙が届くということは大切な人を失うに等しく、日本の人類は自分たちの過ちに気が付き始めたのであった。
結果、太平洋戦争は無条件降伏というかたちで幕を閉じるが、このときチロは初めてラーと接触している。驚いたのはラーで、まさかチロが日本を支配しているとは思わなかったのだ。せっかく戦争に勝って日本を支配できると思っていたラーは落胆したが、チロは、
「日本を支配しているのはわたしではありませんが、ラーが日本を完全に支配することは許しません。但し、モーセとチンギス・ハンを日本に干渉させないという条件ならば、ラーが日本を緩く支配することを認めましょう」
ラーは緩い支配とはどういうことかと悩んだが、少なくとも日本を支配する権利を得たと考えることにした。モーセとチンギス・ハンにはチロが介入していることを伝え、チロが日本にいるかぎり特別な国となっていく。ラーが支配権を得たとしてもチロの不興をかうことはできない。緩い支配とはそういうことかと一人納得するラーであった。
チロの力をもってすれば太平洋戦争で日本が勝利をおさめることは容易であったが、チロはそうはしなかった。チロが日本の人類に求めたのは物質よりも精神を重んじる性質であったからで、物質のことであればチロはどの人類よりも知識が豊富なのである。チロが知りたかったのは、桃の精が分割した精神の現在の性質であったのだ。
部分が集まり全体となるときに創発現象を起こすことは知っていた。これを集合的創発と呼ぶとして、精神分割や細胞分裂によって起こる現象を分割的創発と呼ぶことにしたが、これは集合的創発よりも不明な部分が多い。つまり、集合的創発も不明な点が多いが、分割的創発はそれ以上だということである。それの披験体として日本の人類が有望であると考えたチロは、物質文化に傾倒していく日本の人類を精神文化へと戻すために戦争に勝利を与えなかったのである。
戦後、日本の人類の復興は凄まじく速くチロの思惑とは離れたかたちとなっていく。唯一、残ったのは根性論であり、この根性と呼ぶ精神力が復興を早めたともいえた。もちろん、ラーの傀儡である米国政府の影響も多かった。
根性論(精神論)とは、物質的な劣勢を精神の力で跳ね返せるとする論であるが、そもそも根性とは仏教用語である機根を由来とする言葉で、「その人間が持って生まれた性質」を意味するようである。チロと仏教とは直接的な関係はないが、この章も終わりに近づき纏めの段階となっているため、次章への展開を考えている途中で、筆者の若いころを思い出し、根性について触れてみたくなっただけであった。