第9話 富国強兵
第9話 富国強兵
これは孔明の勇み足ともいえた。列強に負けまいとする孔明のプライドだったのであろうか、孔明は西洋の文明を搾り取るように吸収していった。チロにとってはどうでいいことだったが、後に文明開化と呼ばれる孔明の方針が争いの火種を生み出し、数十年後、日本にとっては空前の対外国との大戦争をうむことになる。
日本は島国で鎖国政策にみられるように対外国との接触を極力抑えることができていた。これが独自の文明や文化をうみだし、精神の部分で他の外国の追随を許さないほどの進化を遂げていたのだ。この進化にはチロも気付かず、21世紀に桃九と出会うことによって「なるほどそうことなのかもしれない」と思うようになる。
それが海外から科学技術を導入したことによって進化は妨げられることになる。しかし、これも新しい風を入れたという意味では有益なことだったのかもしれない。科学の根幹をなす論理というものが、日本の精神の骨格を強く支配していた感性と融合することになり、世界に類をみない思考能力を有するものが、肉体構造的にも思考的にもうまれていくようになる。しかし、それはまだ先の話で明治維新以降100年以上にわたって科学主義による合理性や論理性が優位に立ち、日本には馴染みの薄い民主主義や資本主義が国家の基盤を形成するようになっていく。
日本人は勤勉であるという考え方もあるが、実は日本人のもっとも優れた資質は感性にあった。つまり何かを学ぶとき、重要なポイントを感性により掴むことができたのだ。それ故、西洋の技術を取り入れる速度は凄まじく、短い期間に列強からも脅威とみられるようになる。日本が西洋から取り入れたのは科学技術だけではなく、植民地政策という日本がやってはいけないことも取り入れてしまった。日本の勢いは凄まじく、孔明の政府に対する影響力は徐々に箍が外れていくことになる。ラーやモーセほどの能力を有していれば政府を傀儡とすることも可能であったかもしれないが、孔明には文明開化以降の政府を傀儡とすることに限界がきていた。唯一、チロとの約束で北東北には、必要以上の影響を与えないことが、精一杯の孔明の働きとなっていく。チロは成り行きを見守るばかりで介入してくることはなかった。ラーやモーセと接触するのはまだ早いと考えていたのである。
日本は、日清戦争や日露戦争で勝利をおさめ、列強の仲間入りをしたつもりになっていた。ところが、ラーやモーセからみれば「日本はこの程度の国だったのか」という評価となり、日本を支配下におくことは容易であると考えるようになる。
そうとは知らず、日本は軍事力の強化を進めるようになる。この頃には、孔明らは身をチロの元に寄せるようになっていた。チロも何か考えがあるのか、孔明らを三角山に受け入れて、空海らと同居させるようになる。
日本では蒸気機関車が走り、電話による通信網の整備が開始され、あたかも時の流れが速くなったような時代を迎えていた。日本の人類は便利さに酔いしれ、精神文化よりも物質による恩恵に価値を見出していく。大衆の望みは果てしなくなり、まさに夢見る人類と化していた。対外戦争には勝ち続け、日本中に歓喜の雄たけびが木霊していた。もっとも、それは中流階級以上の人々が中心だったのだが、日本政府はこの大衆に煽られるように破滅への道を辿っていく。