第2話 桃九
第2話 桃九
藤部桃九は藤部精太郎の末弟である。幼いころから数学の天才といわれ、将来は東大へ進学して博士になるだろうと周囲のものは思っていた。確かに小学生のころには中学の数学をマスターし、高校の数学を学ぶほどであった。数学の師となったのは兄や姉たちが家に残していった教科書であり、先生と呼ぶ人はいなかった。望めば家庭教師をいくらでも雇えたのだが、生来の気質からかなにものかに縛られたり、教え込まれたりすることを酷く嫌ったのである。高校1年生の最初には学力テストなどから東大合格間違いなしとの太鼓判を押されていたが、本人は大学に行っても学ぶものなどないといって勉強を怠けるようになった。少なくとも周囲にはそうみえたのだが、本人は興味のある学問を探すことが当面の目標となっていたのであった。
桃九が高校生のころ、四男の征四郎は東北大学の助教授となっていた。征四郎も幼いころから天才といわれていたが、歳を重ねるに連れて平凡な秀才となっていった。それでも周囲からみれば非凡であり、若くして博士号を取得したのであった。専門は電子で「ロボットの駆動について」が博士論文であった。故に藤部財閥のロボット産業を導いてきたのが征四郎であった。その征四郎の評価では、桃九こそ本物の天才であるという。どのくらいの天才か征四郎には測れぬというから桃九の底は誰にもわからなかった。征四郎は桃九をよく可愛がり、望むものは何でも与えてやっていた。そのため桃九が外遊をしたいと言ったときも諸手を上げて賛成した。周囲のものはこれを桃九の堕落の始まりと思ったが、征四郎は親族をしつこいまでに説得し納得させたのであった。
「MIT(マサチュウセッツ工科大学)に行ってみないか」
MITは米国にある理系では世界屈指の大学で征四郎も3年ほど留学したことがある。知己も数人いて桃九の便をはかってくれると思ったのであった。これをしたいというものがなかったため桃九に否応はなかった。
征四郎の力をもってしても、おいそれとMITに桃九を入学させることはできないため、入学テストを受けることになった。テストの対策をしたわけではなかったが、高校生でありながら桃九は飛び級でMIT1年生と認められることとなった。桃九にとってここの大学生活が人生に大きな影響を与えることになるのだが、まだそれは先の話である。
MIT在学中にある宗教団体と関わりを持ち、宗教そのものに傾倒していった。特定の宗教を信じたというわけではなく、生と死、心や精神に興味を持つようになり、卒業後は中東に渡ることになる。この辺りから20年あまり藤部家とは音信不通となり、傭兵をやっているとか、テロ組織に加わっているとか噂が流れたが、事実は今もって桃九の口から語られたことはない。
ふらっと、征四郎の前に現れたときの桃九は精悍というより野獣のような趣であった。藤部家が失踪届けを出していなかったため戸籍はそのままであったが、桃九は本家から徒歩で5時間ほどの山中に隠遁生活をおくるようになる。
「心と命、物質を繋ぐものはなんであるのか」
これが、桃九の捜し求めるものとなった。