第3話 大和朝廷
第3話 大和朝廷
チロにとって以外だったのは、倭の国に興味を示すのは魏国だと思っていたのが、蜀国が引っかかったことであった。このときのチロはどちらでも大差ないと思っていたが、現代の日本と中国の関係を見ると、むしろ蜀国が釣れて良かったのかもしれないと思っている。このときから現代まで陰で日本を支配するのは孔明たちとなり、チロらは隠れた存在とならなければならなかった。しかし、それはこの時代でも同じで、首都つまり本拠は白神山系の奥地にあり、勢力範囲は八幡平や出羽の山々であった。主要な産業は狩猟であり、副業として山岳に畑をこしらえていた。決して目立つ平野部には稲作などの耕地を持つことは無かった。
倭の国の使者が魏の使者を伴ってきたとき、案内役は北に南に進路を変えて、副首都である八幡平に案内している。彼らは北海道を1周もしてきて、魏の使者はあまりの遠さに測量がいい加減になっていた。果たして、その情報を孔明は掴んだのである。
チロの次なる策は朝鮮半島に近い出雲に大国主を派遣することであった。その地はチロらの勢力範囲ではなかったが、普通の人類は生活していた。チロが大国主に与えた命令はできるなら戦闘をせずに降伏し、大国主は何食わぬ顔で本拠地に戻るというものであった。また、関西以南の各地に超人類の幾人かを派遣して意地悪な罠をはるというものであった。元々、負けることが前提の戦闘であるから被害は少なく、敵には苦戦の末占領を果たしたと思わせればよかった。
チロは敵がどこまで東進してくるのか予測できなかったが、孔明は自分が得た地図が真っ赤なにせものであることと、長期の戦闘で兵が疲弊していること、自分らが住まうに足りる領土を得たこともあって大和に政権を樹立して領土の安定化の作業に移ったようであった。これが大和朝廷の基盤となる。孔明らは、4人が代わる代わる親となり子となり孫となり政権を支えていった。さすがに全員が不老で何百年も生きていると巷の人々に怪しまれる恐れがある。孔明が聖徳太子と名乗ったとき、隋に「日出づる処の天子……」と国書を送った。慌てたのは孔明で、書簡を記述した文官が誤って孔明の言葉を書き写してしまったのだ。これではまるで中国を挑発しているようなものである。それ故、孔明たちは国政の表舞台から姿を消すことになる。
「のう、孔明これからどうする?」と劉備が尋ねると、
「富だな。これからは富を貯蓄することにしよう。国土の大きさや国力では中国に太刀打ちできん」
と、飛鳥時代には鉱山脈の発見に努め、奈良時代に入ると荘園整備をするようになっていった。政権から直接退いたといっても権力者を陰で操っているのは孔明たちである。その方針が現代にも受け継がれて、孔明らは財界を支配するようになっていく。
ところが、美濃以北に勢力を拡げようとしても上手くいかなかった。もちろんチロが邪魔をしているのであるが、孔明たちは気が付かない。よって孔明たちは実力行使に出るようになるが、それは次話としたい。