第16話 この世界の始まり
第16話 この世界の始まり
チロが以前住んでいた神の世界の桃の木は自家受粉ができなかった。つまり桃の実をならせるためには、他の花粉から受粉する必要があったので、主神体から送られてきた花粉を受け入れていた。とはいえ、チロは主神体の実態をよく知っているわけではなかった。主神体は1つのようでもあり、いくつもの神の集合体のようでもあった。ましてや、神の子の生誕の仕組みを知るはずは無く、ただ自分たちの花粉と神の花粉によって桃の実が結ばれるということを知っていただけであった。チロが神の子に仕えるのは7度目で、桃の実の種子が源根子の1種であることを神の子の所作やつぶやきからそれとなく知るようになった。源根子が成長すると桃の精となることも誰からとも無く教えられたが、桃の精が無の領域に投じられたのは今回が初めての出来事であった。
チロが投じられたのは、いわゆるこの世界であるが、最初は困惑が強く何を為すべきか考えることもできなかった。この世界で知っていることといえば、1つの源根子が両端に相反する極性(例えば+-)を持つ空間線を生成することと、複数の源根子の極性が全ての極性に対して空間線を生成するということだけであった。このとき、同一の極性から生成される空間線は斥力を持ち、異なる極性から生成される空間線は引力を持っていたが、このことは経験からチロは知ることになる。極性と呼ぶことはこの世界の科学の常識とは異なるようだが、現段階ではこのように認識したい。また、時間も神の子が源根子を投入する回数に依存していて回数の間のスパンには1という目盛りしか存在しなかった。つまり回数の数だけが時間に相当することになる。そもそもチロは神の世界で時間を意識したことはなく、時間の概念も経験と共に覚えていくことになる。
そのため、この世界が創造されてからどのくらいの時間が経過したのかは、あまり意味を持たないことになる。現在も神の子は源根子を投入していると思われ、実際には我々の感じている時間と源根子の投入回数の時間の2つの時間がこの世界には存在することになる。
空間線は格子状の空間を生成し、空間は座標を生み出していった。極性そのものは実体としては存在しないが、座標を持つことになりいくつもの極性の集合体があるパターンを形成するといくつかの性質を持つようになった。チロにはよくわからないが、これが極性という部分からパターン集合体となり新しい性質を持つようになる創発という現象なのかもしれない。
この世界に物質世界が構成されると同時に非物質である世界もいくつか構成されていく。それぞれの世界は高度な独立系を形成し、それぞれの世界を繋ぐ通路は稀にしか存在しなかった。チロを含めて13の桃の精は物質世界に住むことを選んだが、他の数十の桃の精は他の世界を選んだようである。
パターン集合体は電子や陽子といった物質の基本構成要素を構成していくが、チロにはそのメカニズムはわかっていない。もっともチロの「元の世界に帰りたい」という願望のためにはメカニズムの解明が必要なのかもわからないのだからチロを責めることはできない。やがて、チロは有機物を合成することに成功することとなる。また、格子状であった空間線は電子などから見ると極小であって、空間線は連続空間体と同じ意味を持つことになる。