第11話 産業スパイ
第11話 産業スパイ
他のものから何かを盗み己のものとすることを生業とする輩が存在する。近年では情報を盗むことが最も高価とされている。人類が貨幣を全ての価値基準と定めてからは、ほとんどのものが貨幣に換算されるようになった。本来ならば価値基準は個々によって異なるものと思われるが、貧富の差は貨幣に換算される財産や稼ぎ出す貨幣によって決まるようである。同じようなものに知的財産が存在するが、これは形無く実際に有用で貨幣に換算できる道具として認められれば、形ある宝石よりも貨幣価値が高いとされるようである。いかに難問である数学の解法を導き出しても貨幣に換算できなければ、いくばくかの報酬と名誉が与えられるだけである。フェルマーの最終定理などが、その代表例であろう。その最終定理が有用な貨幣価値のあるものに昇華されれば、莫大な富を得られるかもしれないが、まだそれに成功したものはいない。
本来ならば知的所有物は個々が持つ世界でただ1つの無形の財産であると思われるが、貨幣などに換算できなければ、ただ個人の趣味や興味のように扱われている。それはそれで問題ないと思われるが、知とは何かと考えてみるとそれは貨幣とは別物であることは明らかである。しかし、知の正体を人類はまだ知ることができない。
桃九は、当主の藤部精太郎(88歳)に今までの経緯を報告するために総本家に向かっていたが、その背後を窺がうものが少なからず存在した。桃九に危害を加えようとしているようではなかったが、いささか不気味である。そんなことには全く気が付かない桃九であったが、気が付いている者たちがいた。桃九を窺がっていた者たちが一人、二人と姿を消していったが、桃九はおろか周囲の人々もなんら騒ぐことはなかった。
「どこのお方かな?」
拉致された者は怯えながらその言葉を聞いていた。拉致した者は精太郎が桃九につけた警護の者たちであった。リーダーは元自衛官の市井貞伍であり、警護の人数を把握している者は貞伍だけであった。桃九を何重にも陰に取り巻きながら警護しているから桃九は何も知らなかったが、万が一にも桃九が拉致されることのないようにとの精太郎の配慮であったのだ。
「言えない。死んでも言えない」
「では、死んでもらおうか」
拉致された者は怯えながらも覚悟はできているようで死を待つのみであった。それを見た貞伍は、
「今度はもっと頭のいいやつを寄こすようにとあんたの親に伝えな。桃九様はどなたとでもお会いになるはずだ。それなりの知性を持っていればな。離してやりな」
拉致された者たちは、桃九からなにかしらの情報を得ようと差し向けられたライバル企業の産業スパイであった。とはいえ、桃九から何かの情報を得ることは至難の業であり、貞伍もただ桃九が拉致されないことが、最重要任務であった。無駄な殺生をしても騒ぎになるだけであり、誰も得をしない。ライバル企業が桃九のことをどれほど重要視しているのかわからないが、桃九の身さえ無事なら任務は成功と言えた。