第9話 神経細胞
第9話 神経細胞
なにやらどんどんと望むものが目の前に現れるような感覚を桃九は覚えていた。生命の元の実在を第3者によって確認できるかもしれないのである。もちろん第3者とは利助のことであるが、これから自分が何を為すべきかと考えるとなにやら気の抜けた気分にもなるのであった。“たんぱく質の人工合成”元はといえば、これが目標であったのだからそこに戻ればいいようなものだが、桃九の直感がそうではないと囁いているのである。
桃九の思いを無視するようにチロは利助にアドバイスを与えているようである。
「生命の元を効果的に制御するには、繊細で強靭な精神力を必要とするわ。そうね、この先の街で出会った人の弟子になるのがいいかもしれないわ」
「円光様のことですか?」と勝智朗が言うと、
「円光様ならわしの叔父にあたるけど、果たしてあの人がうんというか……」
利助は円光に直接的な迷惑をかけたことはないが、自分では円光の名声に少し疵をつけたように思っている。俗世間では、変人奇人扱いをされているからであって、高野山に住まうようになってからも円光に会ったことはない。
「大丈夫よ。あの人ならきっと気にもしていないわ」
そういう次第でその日のうちに利助は円光に会うことになった。詳しい事情は話さずに自分の研究のために精神を鍛錬したいと願うつもりであった。
「おお、おお。利助か、久しいのう」
円光は詳しい事情も聞かずに、これから毎日自分の共をせよという。利助は自分の小屋から往復で10時間ほどの道程を毎日徒歩で通って、数時間の間ただ円光の共をしているだけであった。時々、
「どうじゃ、少しは鍛錬になっておるか?」
と円光に声をかけられる度に、
「はあ」
と生返事を返すだけであった。
一方チロは、
「利助さんはあの人に任せておけばいいわ。桃九は次のことに移りましょう」
勝智朗はチロから何かを言付かって何処かに去っていったようである。桃九は、“次のこと”に期待感が膨らむような思いであった。自分の抱える命題である“たんぱく質の人工合成”は小さなことに思えてきたのであった。
「細胞を大きく分類すると、身体細胞と神経細胞それと万能細胞になるのよ。今まで見てきたのは身体細胞ね。万能細胞の詳細は後にするとして、神経細胞を説明するわね。神経細胞は細胞分裂しないのよ。正確に言うと幼いときに大部分の神経細胞が分裂してできるのよ。そのときの神経細胞は万能細胞の機能を一部持っていて、完全な神経細胞になってしまうと細胞分裂できなくなるの。だから神経細胞が死滅すると増殖できないから老化は防げないわ。桃九は気付いたでしょうけど、神経細胞はテロメアを持っていないのよ。でも個体差はあるけど人は神経細胞を新たに産み出す幹卵器官を持っているの。これも生命の元と似たようなものよ。ここが活性化されるほど思考能力が向上するし、神経細胞の老化も遅れさすことができるのよ。桃九は多分ここが活性化されているのね」