1.雨の匂い
1.
「…それで、クレア。あんたはどうするつもりなの?」
親友のイザベラの言葉が、耳に痛い。
「どうって、別に考えて無いが…。」
「はあ、20歳にもなって未だに婚約してない人間なんてあんたくらいよ。適齢期過ぎて2年も経ってるのに、焦ったりもしてないの?」
同い年の幼馴染にして、同じ衰退した古の御家…つまりは古くから続く貴族の家系と、似た境遇の彼女にお小言を言われると流石にへこむ。
「焦ってはいるんだ。父にも母にも急かされるし、ただ何と言うか。何か違うなって…。」
私は、彼女の膨らんだお腹を撫でながら言う。
勿論、彼女のお腹は肥満によって膨らんでいるのでは無い。妊娠より6ヵ月を越え目に見えて膨らみは大きくなり、否応にも…そこに新たな生を感じる。
「白馬の王子様願望が、有る訳でもなし。」
「それは、そうだが。これまで家の復興だけを考えて生きてきたんだ。
…15の時に自分が矢面に立つことは諦めたけれど、それでも家の復興を諦めた訳じゃない。裏方に回って妹や父を支えていこうと、そう思って生きてきた…。」
クレアの表情に苦い笑みが浮ぶ。
「ずっと、そんなことばかり考えていたからかな…いざ自分のことを考えろと言われても、なかなかに難しいよ。」
過去、魔核の存在と魔術の関連性が明らかになった頃、王家の為に自らの身体を差し出し忠義を示した5つの貴族家があった。その内の一つが私のトゥルーヴ家、そしてイザベラの旧家であるヴァーミア家だ。
魔術とは、迫害と戦争の歴史だ。
本来、人は魔術を行使できない。魔術を行使する為に必要な魔核が体内に存在しないからだ。だからこそ初めて魔術を扱う異形の獣、魔獣が人類の前に現れた時、応戦した兵士に夥しい数の死人が出たと歴史書に記されている。
『…それは、丁度大陸の中央部国で火薬が発明された時期と重なる。極東の国にて異形の生物が発見された。その生物は四肢を持つ獣のような姿でありながら二足で立ち、頭部と背部に鎧のような何かを背負っていた。遠吠えは風を巻き起こし、爪と牙は鉄をも引き裂き、鎧は何物も通さなかった。応じた兵士300余人を殺戮せしめた彼の生物を我々人類は魔獣と呼んだ。
魔獣は、それからその姿を見せる頻度を上げていった。異形の生物の脅威は世界を震撼させた。
…全ての異形の生物には魔核が存在した。
人は、魔核を身体に取り込むことで、異形の力を自らの身体に取り入れ、また他の魔核を持つ生物を殺すことで、その力をも取り入れることが出来ることが分かった。魔を滅す為に、魔となりし者。彼らを魂を喰らう者と呼んだ。
「魔術とその歴史」より抜粋』
魂を喰らう者の存在は国の危機を救い、人々の心の内に小さな安寧を作り出した。だが、そんな平穏は魂を喰らう者が生まれた数年経った在る日に、崩れ去る。
「クレアの気持ちも分るよ。これでも昔はあんたと同じで私も家の為に必死だったから。でもね、だからと言ってあんたが犠牲にならなくちゃいけないって事でもないし、自分だけが自由に相手を選べるからって…妹に対して罪悪感に捉われるのも間違ってると思う。」
イザベラは、溜め息をついて視線を落す。
「大切なのは、あんたが幸せか、どうかでしょ?それはあんたの家族だってそう想ってると思うよ。」
「……。」
「それに、今は魔王が動き出したとか、亜人が騒いでるとか物騒じゃない。異世界人が居るっていっても、あんたの職場の警邏隊だって仕事が回ってくるかも知れないんだし、心配なんだと思うよ、色々と。」
魔獣を狩り続けた魂を喰らう者の外容は、人から外れ逸脱していく。鱗で覆われた皮膚を持つ者や頭に虫の様な触角を持つ者、顔が獣そのものになってしまっている者…。
人は己と異なる外見を持つ者を拒絶する。
彼らは次第に蔑みの目で見られるようになり、気味悪がられた。魔へ堕ちた人、人の亜種などと…侮蔑を込めて魔人や亜人と呼ばれるようになった。また、子孫にその能力が受け継がれることも、迫害を大きくする要因となった。生まれながらに人外の見た目を持つ赤子、能力を抑えられずに暴走し、傷害事件を起こしてしまう者などが、亜人達の立場の悪化に拍車を掛けた。
この頃、科学技術の発達と魔核を物に用い外部から力を発現させる魔道具の発明がなされ、技術革命の進歩は急激に早まった。人のままで魔に対抗する術を手に入れた人々は、亜人達を魔獣と合わせて魔物と呼ぶようになる。
次第に亜人達は未開の地へ追放…または不条理な理由を付けられ処刑されていった。逆に人間の外容を保ち、魔術を行使する者達は、悪を討つ人としてもて囃された。
「正直…相手がいないことが最大の理由なんだけれど、仕事も簡単には辞められない。5年も勤めているんだ、それなりの立場に就いて責任も負っているんだよ。」
「小隊隊長サマだっけ?」
イザベラは不機嫌そうに鼻を鳴らす。
「そうだよ。これでも剣の腕には自信があるんだ。」
「あー、はいはい。知ってる知ってるから。魔術の才能が無い分を剣術で補おうとしてたことくらい…知ってる。そんな男勝りだから婚期を逃してる、とかは言わないわよ。」
「・・・イザベラ、言ってないか。」
イザベラはとぼけた顔で、クレアを見つめる。
「言ってないわよ。パーティ用のドレスどころかスカートすら、ほとんど持ってない程女子力が低いからだ、なんて口が裂けても言わないわよ。」
「いや、言っているぞ。というかだな…何故、君が私のクローゼットの中身を知っている!?」
「何年親友やってると思ってるのよ、クローゼットどころか、化粧台の後ろに隠してるアレのことも知ってるわよ。」
「…?。私の部屋に化粧台は無いぞ。」
クレアは小首を傾げ、イザベラは天を仰ぐ。
「…貴族の子女なのだから、化粧くらいはしなさいよ。あんた元は良いんだから。」
「そうか?」
言って、クレアは部屋に飾って有る鏡を覗き込む。
肩口にまで伸びた白い髪を簡単に後ろで纏めた動きやすさにのみ要点を置いた髪形、白い肌に真っ赤な瞳が良く映えている。整った容貌かどうかは分らないが、トゥルーヴ家の身体的特徴はしっかりと受け継いでいながら、魔術適正の無かった出来損ないの自分が鏡の中に居た。
「……。」
かつて魂を喰らう者として己が身体を捧げた先祖様より、代を重ねるごとにトゥルーヴ家の能力は弱まっていった。そして終に私のような全く能力を発現できない人間が生まれてしまった。
幾ら足掻いても結果は得られず、無能者に家の復興は荷が勝ち過ぎていることは明白だった。だから私は能力の発現していた妹に家督相続権を譲った。だが、妹は体が弱かった。魔術の行使には、生命エネルギー往々言う魔力を用いる。通常溢れ出ている余分な分を用いる為、身体に影響はないが体の弱い妹には、余分に使用できる魔力の絶対量が少なかった。そんな妹のことを考えると暢気に婚姻がどうのと言っていられる気分にはなれなかった。
ノックの音が響き、見知った顔が覗かれる。
「失礼します。クレアお嬢様、旦那様がお待ちです。屋敷にお戻りください。」
トゥルーヴ家の数少ない使用人の一人、メイドのリーリアが挨拶もそこそこに用件を告げる。
「父上が?使いを遣すなんて、急用か?」
「…用件は聞いておりませんが、早急に帰るようにと。ただ…お客様がみられているようです。」
少し考えてみても、まるで用件に心当たりが無い。
早々に考えても無駄という考えに達し、リーリアの立つ出口へと向う。
イザベラに見送りを断り、簡単に挨拶をしてから外へ出ると、そこには馬車が控えていた。
普段クレアは馬車など使わない。イザベラの家がそう遠くないことと兵士として鍛えている為、徒歩での移動が基本として有るからだ。つまり馬車を使う場合は限られてくる。公的な場合、例えば城への登城やパーティへの出席などか・・・。今回の場合では父が必要と判断した為であろう。
大人しく馬車に乗り込み、家路につく。リーリアは何も言うつもりは無いらしく口を閉ざしたままだ。
考えられる答えは一つ、リーリアの言っていたお客様とやらに関係しているのであろう。普段みられないような貴族とかだろうか?そんなことを考えていると途端に屋敷の前まで来ていた。
馬車から降りるついでに止まっている馬車の家紋を盗み見る。
「……えっ。」
思わず、驚きの声が漏れた。
神獣ペガサス…それは王家にしか許されない家紋。ならお客様は王族?なおさら私を呼び出す用も、そもそも古の御家といっても自ら言うのは心苦しいがトゥルーヴ家自体衰退も甚だしい貴族家系だ。そんな当家に、わざわざ王族が出向くほどの用事があるとも思えない。
困惑を隠せないまま屋敷の門を潜り、案内に従う。普段着の麻の上着に皮のズボンに帯剣というラフな服装のまま父とそのお客様とやらの待つ応接室前まで連れて来られた。
はっきり言って、女子力が低いと言われた私ですら王族どころか貴族相手にでもこんな格好で面会したりはしない、これは女子力云々というよりも貴族子女としてのマナーの問題だ。
なんて苦情をリーリアにぶつけてみるが、「そのままの服装で大丈夫ですから、どうぞお入りください。」と言われ、扉を開けられてしまう。
ギギギ…、と蝶番が軋み扉が開く。
部屋の内側が明かされ、室内にいた三人の視線が私に向いた。