貧乏な僕とボンボンの社長
前略 株式会社黒光鉄工所、社長、黒光達夫様。この度は、私事で長期に亘って休職することとなってしまった挙句、そのまま退職する事となり、関係者各位に多大なるご迷惑をお掛けし、その点に関しては本当に心から申し訳なく思っています。
しかしまあ何と言いますか、正直な話、今こうやって組織のしがらみから解放され、晴れて自由の身になってみると、本当に清々しいものですね。
そこで私はこの機会に、今まで立場的に言えなかったこと等々を、腹を割って、思い付く限りを全て洗いざらい、社長に聞いてもらおうではないかと思い立ち、筆を執った次第なんですけれども、まあしかし勢い込んでみたところで、余りにも言いたい事が山のように、文字通り山積しておりまして、選択肢が多すぎるのも誠に困りものではありますが、ここは素直に、思い付くごとに述べていこうと思います。
実は前からずっと引っ掛かっている事がありまして、なんて言ったらいいでしょう、まあつまりは年齢のことです。ちょうど今から一年半ほど前になりますか、当時私は三十二歳で、三年程勤めていた大型電器量販店を派遣切りされ、困っていたところを中途採用でこちらに拾われた訳ですが、その採用面接の時には社長も同席してくれて、その時に話した筈だから、当然認識しているとは思うんですけれど、つまり、要するに、私の方が社長よりひとつ年上ということです。
最初面接で話していたときには、社長も私に対して敬語で喋り、「深沢さん」なんて呼んでいた訳です。でも採用されて、いつの頃からか私を、「深沢君」と呼び始めましたよね。それはつまり、社長と平社員という会社組織内における格の違いが、僅かな年齢差を凌駕したという認識で宜しいのでしょうか?
要するに社長は、経営する側の方が雇用される側よりも偉いという思想をお持ちなのですか?
しかしながら社長もまだお若いですから、先代の頃から会社を支えてきた重役の方々などに対しては、一応部下ではあっても敬語で話していますよね。
そこで気になってくるのが、「君」付けと「さん」付けの使い分け方です。社長の中で明確なルールはあるのでしょうか。例えば、年上でも五歳以内だったら「君」付けとか、そういうのを決めているのですか。それとも勤続年数ですか。あるいは見た目年齢ですか。もしくはフィーリングとか。そういった諸々を加味した上で総合的に判断しているのかもしれませんね。
まあ社会通念上、仕方がないのかなぁ、とも考えましたけれども、やっぱり何か引っかかるのです。納得いかない訳です。なぜ社長だと言うだけで、年下のお前に偉そうな態度を取られなければならないのだろうか、と考えてしまう訳です。
例えばもし、私とお前が同じ中学で、同じ部活に所属していたならどうなのか。それでもお前は元先輩である私を「深沢君」と呼べるのだろうか。そして私はお前に対して敬語で喋らなければならないのだろうか。会社組織における支配関係は、過去に築かれた人間関係をも破壊する程の威力があるのですか。そういうのって、私は嫌いです。
実際には、私とお前は別々の学校に通い、これまで一度も接点が無かったにせよ、私がひとつ年上であることには変わりなく、お前がこの世に生まれ落ちる前に、既に私はこの世に存在していた訳で、これ即ち人生の先輩に違いなく、それ故お前に「深沢君」などと呼ばれる筋合いは見当たらないのです。
そもそも社長といったところで、お前が何を成し遂げた訳でもない。只生まれた家が会社を経営していて、親の後を継いだだけ。特に経営者としての資質に恵まれているわけでもない。頭が良い訳でもない。いやむしろ悪い。そんな奴が何を偉そうに振舞う道理があるのでしょうか。
まあ私の態度にも問題がありました。タメ口で喋るお前に対して、平身低頭で作り笑顔を浮かべ、敬語で喋っていた訳ですからね。つまり毎日毎日機械の油と汗に塗れ、薄汚れた作業着が体に馴染むに連れて、段々と卑屈な気持ちになっていったのですよ。そういった私の態度がお前を益々増長させていったのでしょう。
あれ、おかしいな。このくだり読み返していると、我ながら負け犬の遠吠えみたいに聞こえますね。
でも結局、とどのつまりがそういう事なんですよ。貧乏人が何を言ったところで空しく響くのです。貧相な形をした人間がどれだけ必死で正論を訴えたところで、威風堂々と構え微笑を湛えた肌艶の良い権力者の前では空しく響き、一笑に付されてしまうのが関の山なのです。否応なく軽視されるのです。
つまりそういった風潮が問題の根底にあるのです。なんだかんだ言ったところで権力を握った奴のところに金が集まってきて、身なりは綺麗だし、健康状態も良いし、何より自信にみなぎっている。それで何か説得力みたいなものまで付いてしまう。なんとなくそっちが正しいような空気になってしまう。金持ちイコール正義みたいになってしまう。
そして人間というのは、その立場によって、周りからの扱われ方が違ってきます。その中で己を保つことは何と難しいのでしょう。煽てられ続ければ増長し、蔑まれ続ければ性根が腐っていくのです。
社長は煽てられ続けて増長しアホになったくちですね。
まあ世襲という奴が曲者で、地方の中小企業なんてのにはべら棒に多い。経営者一族は当然の権利みたいに思っていやがる。それで周りの腰ぎんちゃくみたいな部下どもが将来を見据えて、後継ぎである社長の子供をちやほやちやほや甘やかす。その結果出来あがるのが、アホで何の能力も持ち合わせていないくせにプライドだけは異様に高い、お前のような人間です。
しかしお前なんかはまだましな方かもしれませんね。下請け企業だからかな。アイツに比べりゃあ随分まともに見えます。アイツは本当に酷い。あんな糞ムカつく餓鬼には早々お目にかかれません。もちろんアイツっていうのは、あの雲谷のことです。私より一年あとに入ってきた後輩の雲谷ですよ。黒光鉄工所の主要取引先である東証一部上場企業、株式会社雲谷製作所の御曹司、雲谷靖也のことです。
私も最初は、やっと後輩が入ってくるっていうんで、喜んでいた訳です。一年間毎日私が一人でやらされていたゴミの仕事。工場内を廻り、ゴミ箱を漁って分別し、ビニール袋にまとめてそれぞれのゴミ置き場に持って行く仕事のことですが、やっとそれから解放されると思っていたのです。これで漸く雑用がひとつ減って、仕事らしい仕事、日々積み重ねることで技能が身に付くまともな仕事を与えてもらえるのかもしれない、と期待すらしていたのです。
でも誰もアイツにゴミの回収をさせようとはしませんでしたね。班長も相変わらず私にやれと命令する。つまりは取引先の御曹司に汚れ仕事などさせられないと言う訳か。汚れ仕事は出自の賤しい私の専門職なのか。
私は渋々ながらも、引き続き日々ゴミの回収をして工場内を廻りました。アイツの持ち場近くのゴミ箱を処理していても、あの野郎は手伝う訳でもなく、ゴミに塗れた私を冷淡かつ蔑みの籠った目で、ただ一瞥するだけです。
一体あの糞餓鬼は何をしにこの会社に来ているのでしょうか。何を学びに来ているのでしょうか。将来社長になるために、若いうちに下働きの経験をよそでさせて貰って、底辺で働く人の気持ちや苦労を勉強するために来ているのではないのですか。
それともすでに目上の人間に対しても、高圧的な態度でねじ伏せる練習でもしに来ているのでしょうか。
というのも私はあの餓鬼にキレられたことがあるのです。しかも話しかけただけで。
昼休み、食堂で飯を食った帰りに工場のメイン通路を歩いていた時です。奴が目の前をゆっくり歩いていたので、追い抜きざまに挨拶程度に声を掛けたわけです。
そしたらあの餓鬼、いきなりドスの利いた声を張り上げて睨みつけてきやがりました。
普通そんな事ってありえますか。入って間もない会社で、先輩から、しかも十も年上の人間から話しかけられて、いきなり凄むって……。
私はただ、
「やあ、元気か」と言っただけですよ。それに対してあの餓鬼ゃ、
「あー、何やコラ!」なんてデカイ声を張り上げながら、睨みつけてくるんです。
私は反射的に、
「……いや別に、何でもありません」思わず敬語を使いながら、足早に退散するしかありませんでしたよ。
またその後で気になって気になって仕方がないのです。
雲谷君を怒らすような事を、何かしでかしてしまったのだろうか……。みたいに考え込んでしまう訳です。
それで私は夕方頃、恐る恐る奴に聞いてみました。
「あっ……、あのう、ちょっ、ちょっといいかな」
「えっ」作業場で測定器を片手に振り向いた雲谷は、相変わらず憮然としつつも意外と落ち着いた表情で、少し私はホッとしました。
「いやあ、なんかねー、僕に対して怒ってる事とかあるんかなぁ、と思って、ちょっとね」
「はっ?」
「いや、何か、昼休みに話しかけた時、怒ってたから、気になって」
「あぁ、俺、機嫌が悪いと大体いつもあんなもんすよ。普通っす」
「……へぇ」
私はああいう糞生意気な餓鬼が大嫌いです。
なんか建前上は将来社長になるための武者修行だそうですが、自分の所の下請け会社に来る事はないでしょう、普通。どう見たってあれは修行どころか、威張る練習にしか見えません。
それに取引会社の息子だからといって、周りの人間もアイツに気を遣い過ぎなんですよ。課長も職長も班長も、妙にニコニコ作り笑顔で媚びへつらう。そんな事だからあの野郎は益々増長するんです。まあこの点に関しては、私も偉そうなことは言えませんが……。
つまり本当に修行をしたいのなら、身分を隠して親の息が掛かってない会社に行けばいいんです。只の普通の若者として一律に扱って貰えばいいんですよ。そこで地道に一から積み重ねていくべきだと思います。その方が絶対に学ぶことは多い筈なんです。取って付けたような形式的な修行に意味なんてありませんよ。何でそれが分からないんでしょうか。不思議です。
要するに私が言いたいのは、お前にしても雲谷にしても、周辺環境が問題ということです。世襲の引き起こす甘く異様な周辺環境がお前らの中身を腐らせたという事です。まあ、お前らに限らず、今の世の中、世襲だらけですけどね。企業に限った話でもないのです。
例えば芸能界。テレビを点ければ二世タレントがうようよ。無名の新人が大抜擢されたら大抵の場合、二世か三世だったりする。
落語家なんかにもそういうのがいますね。顔を見ただけでチャンネルを変えたくなるような奴が、体全体から染み出す空気自体がテレビを通じて視聴者に不快感のみを与えているように思われる程の芸人不適合者が、親の威光で客に対して笑うことを強要してくる。そういった屑の特徴は目の周りの表情筋に表れます。幼い頃から甘やかされ、周囲の人達に対し尊大に振舞ってきた刻印がそこに窺えるのです。
そんな人間を無理やり笑いの世界に捻じ込んだところでどうにもならない。向き不向きというものがあるのですから、最終的に苦しむのは本人です。世の中そんなに甘くない。いくら親が偉大であれ、その威光は鬱陶しい奴を面白くすることなど出来ない。笑うのは身内とスタッフ、客は事前に行われたリハーサルで練習した通りに笑うのでしょう。そしてストレスを家に持ち帰るのです。
もちろん私も全ての二世タレントを否定する訳ではないのですよ。良い味出しているなぁ、と思う人もいますし、雰囲気が父親に似てきたなぁ、なんて楽しみ方もしますしね。
でも、明らかに偏り過ぎでしょう。抜擢され過ぎだと思いませんか。偶々だなんて統計的に考えて絶対言えないレベルだと思うのです。二世や三世は簡単にチャンスを与えられ、じっくりと丁寧に手厚くフォローされながら、周囲が育ててくれるのです。機会不平等も甚だしいとは思いませんか。
夢を持ってこの業界に入って来た若者は、そんな現実をオーディションで目の当たりにし、幻滅するのでしょうね。早い話が身内の馴れ合いで利益を分配している訳です。こういう事を続けていては、いずれ芸能界は衰退していくでしょう。そして結局はお客を裏切ることになるのです。
やっぱり一生懸命頑張っている人間が報われない仕組みっていうのは良くないと思います。
ただ、今やこういった事が世の中全体に蔓延していると思うのです。さっきも言ったように、お前や雲谷なんかもその典型です。
経営ってものを甘く見ないでください、本当に。お前らみたいに何の苦労も知らないボンボンが、世襲みたいに直ぐ社長になるのはちゃんちゃらおかしいのです。世の中を馬鹿にしているのです。働く従業員を馬鹿にしているのです。顧客を馬鹿にしているのです。会社の私物化です。無責任です。考え方を根本から間違えているのです。
勿論、甘やかす親もいけない。恐らく、自分が手にした権力を他人に渡すのが惜しいと言うのが本音のところでしょう。結局いつまでも自分の息の掛かる所に権力を留めて置きたいのです。しかし結果的にはそういった欲望が世襲を生み、歪んだ周辺環境を作り、子供の人間的成長をも妨げているのではないでしょうか。そうやって代替わりする度に経営者の質が必然的に劣化していくのです。
また当然それは、経営者個人の問題だけでは治まりません。確か創業者から数えて、お前は八代目にあたるそうですが、きっとそういった悪しき習慣のつけが溜まりに溜まった挙句、膿となり、今となっては働く従業員までをも汚染しているのでしょう。
取締役のポストには黒光の親族が澱のように溜まり、眼だけを異様にぎらつかせた老人達が、労働者から搾取した金の取り分を巡っていがみ合っている。そんな光景が目に浮かびます。そして彼らは、自分の命令に対して何の疑いも抱かず、意見することもなく、ただ素直に聞く者だけを可愛がり、上へ引っ張り上げるのです。
その結果、アイデンティティの確立されていない意志薄弱なイエスマンばかりが出世するのでしょう。挙句に、上司の命令は絶対という風土まで確立されているため誰も反論出来ず、いつまでも古い価値観に引き摺られ、外部の新しいことから目を逸らし、耳を塞ぎ、極めて閉鎖的になり、意識は常に内向きで、自らの保身の為になら互いに足を引っ張り合う。素人目にも不合理かつ危険なルールや慣習が放置され、新人が意見したところで、長年それに親しんだベテランのプライドが変更を許さない。
そんなことが永年繰り返され、現在のような有無を言わさぬトップダウン経営の異様に硬直化した組織となっていったのでしょう。
はっきり言って、お前の会社は腐っています。根っ子の中心まで完全無欠に腐り果てています。そして腐臭を感じながらも、気付かない振りを続けられる人間のみが組織に生き残り、いつしかその色に染まり己をも腐らせざるを得なくなるという底無しの悪循環に陥っているのです。
腐った上司は、部下が理解を超える話をすると怒り出し、潰しにかかります。己の地位と名声を維持するために、徒労を重ね、現状を保つことに必死で、エネルギーは主に内側へ向かって潰し合い、前進することがありません。
新しい風の入らない組織内の空気は澱み、時代に取り残されるのが関の山です。明らかに間違った事が横行しているにも拘わらず、それを指摘することすら許されない。またそれどころか自分も従わなければならない。誰がこんな職場で働きたいと思うでしょうか。
しかしこのように内側から膿み腐り、朽ち果てる間際の組織にも拘わらず、対外的には一致団結し、必死で上っ面を取り繕っていましたね。そんなときに限ってなら、組織内のエネルギーは流れるが如くスムーズに、乱れることなく目的へと一直線に向かうのですから不思議です。
「今日は午後から生川金属の監査が入ります。持ち場の整理整頓、徹底するようにお願いします」
朝礼で職長が真面目な顔して言うのです。
「見られたら困るような破損品、錆びたまま放置してあるような製品は、目に入らんような所に仕舞ってください。それから汚れて哀れげになった工具なんかも、監査が済むまでは隠しとくように」
公に隠蔽を指示しているのです。
「とにかくこれは何度も言ってますが、通路から見えるところは、特に掃除を徹底するように。それで作業台の上とか、切子ひとつ落ちてないくらい綺麗にしたら、監査が終わるまでそのまま置いといてください。整理整頓、衛生管理が常日頃から行き届いた会社、そんな印象を生川さんに持って頂く事が何より一番大切なことやと思います。そこを肝に銘じてやってください」
お前の会社にとって監査とは何ですか。大掃除のきっかけですか。隠蔽と虚飾を駆使して背伸びする暇があったら、他にやるべき事はいくらでもあるでしょう。いつ抜き打ちで監査に入られても、恥じることなく堂々と自信もって見てもらえるような会社を目指すのが筋ってもんでしょうが。
まったく硬直化した組織って奴は、どうしようもなく本来の目的を見失ってしまうのですね。それもこれも元を辿れば世襲が元凶なのです。
裕福な家庭環境に生まれながら、その上に胡坐をかき、大して苦労も努力もすることなく、世襲によって分不相応な社会的ポジションにのさばるお前らのような屑が、今や社会全体を腐らせつつあるという事です。
お前みたいに何の苦労もしていない、社会の上澄みを啜ってきたアマちゃんに何が出来るのでしょう。笑わせないでください。経営ってそんなに甘いものではない筈です。しかも製造業は斜陽ですし。お前の中に未来を見据えた新しい事業プランとかあるんですか? どうせないんでしょうね。
せいぜい親が残した金、貧乏人から搾取して貯め込んだ財産、目減りささんように必死でしがみついときなさい。
私にはこれといって財産と言える程のものは何もありません。けれども、否だからこそ、自力で開拓する喜びがあります。棚ぼたで社長になったお前には一生味わえない本物の楽しさがあるのです。どうですか。羨ましいですか。
中身のない空っぽのお前は、一生肩書きにしがみつくだけの虚しい生涯を送ることになるでしょう。可哀想に。本当に不憫でなりません。何か力になれればと思うのですが、今となっては私も忙しい身。残念ながら腐った会社に構っている暇はもうないのです。
草々
深沢裕次さま
拝啓 暮のお忙しい時期に失礼いたします。いや、もしかするとこの手紙が届く頃には年が明けているかもしれませんね。そうだとしたなら、明けましておめでとうございます。
さて、お手紙拝見いたしました。まず返事が大変遅くなってしまい申し訳御座いません。決して言い訳するのではないですが、深沢さんのご指摘なさる点、私自身も幾つか思い当る節があり、色々と考えさせられてしまったのです。反省するところも多々あり、深く悩んだりもしました。そのため返事がなかなか書けなかったのです。
確かに私はまだ社長に就任して三年と日が浅く、経験も知識も不足しています。また社長になるには年齢的に若過ぎたのかもしれません。しかしそこには色々とやんごとなき事情があったのです。
深沢さんも誰かから聞いてご存じかも知れませんが、当時、親父が病に倒れ、突然逝ってしまったのです。
それで本来なら、じっくり時間をかけて、現場で経験を積み重ねてから、折を見て社長になるものだと思っていたのですが、そうも言っていられなくなってしまいました。
深沢さんにも手紙の中で指摘されましたが、実際、会社というのは長くやればやる程、その内部の支配関係は硬直化し、強固な幾つかの派閥を生み出します。うちなど、創業は江戸末期の刀鍛冶で、以来脈々と世襲を続けてきたのですから、そのしがらみのややこしさと言ったらありません。そして親父の死をきっかけとして均衡が崩れ、派閥間の激しい権力闘争が勃発したのです。
本当に辛かったですよ、あの頃は。以前は優しかった親戚のおじさん達が、これまでに見たこともないような形相で、毎日いがみ合っているのですからね。下手すりゃ、誰かが誰かを殺めかねない勢いでした。
それでどうにもこうにも収集がつかなくなって、とうとう会社を分裂させるしか道がないという瀬戸際まで行きかけたところで、ようやく数少ない血縁者以外の重役が取締役会を強引に開き、当時若干二十九歳の私を取敢えず社長に据えることにして、力ずくで混乱を治めたのです。まあだから仰るように、飾りといえば飾りなんですよ。私自身も自覚していますし。
だけど深沢さん、私に何が出来たのでしょう。親父亡き後、複雑怪奇なしがらみの中を永年に亘って生き抜いてきた百戦錬磨の重役達に囲まれて、私のような若造に何が出来るというのです。何も出来やしませんよ。彼らの言いなりです。だってしょうがないじゃないですか。右も左も分からないのですから。言われた通りに従う他ないのです。彼らを信頼して。
しかし若さだけの問題ではないのかもしれません。私は決して賢い人間ではないですからね。周りを見ていると分かるんです。いくら経験を積み重ねたところで、この人達みたいに頭の切れる人間にはなれないと。これから先もずっと周りの人達に支えられながら、会社を運営していかなければならないと自負していましたよ。
確かに深沢さんが仰るように、世襲は悪しき習慣だと思います。世襲した私が言うんだから間違いないですよね。
うちの場合は、長男が跡を継ぐというのが慣習となっているのです。物心ついた時からずっと、周りから言われ続けながら育ってきました。だから私も自然とそういうものなんだと思っていたのです。一時は反抗期もありまして、親の言いなりになるのは嫌だ、なんて思ったこともありましたが、なにぶん頭の悪い私ですから、学業成績も振るわず、自力で就職しようとしたところで、ろくな会社には入れません。結局私立の四流大学を卒業した私は、親父の伝手で取引会社に入り、二年ほど修行させて貰ったあと家に戻って、行く行くは社長になるのを前提として、黒光鉄工所で働くこととなったのです。
息子である私が言うのもなんですが、親父は凄い人でした。今更ながらに痛感しています。なんていうんですかね。包容力というのですか。親父にはそういうのがあったと思います。とにかく器の大きな人でした。親父のような人間なら世襲で社長になっても問題はないのでしょうね。実際、親父の代でうちの会社は急成長しましたし。恐らく経営者としての資質に恵まれていたのでしょう。
一方、私はといえば、全然駄目。三年やってみて良く分かりました。私は経営には向かない人間です。必ずしも息子だからといって、長男だからといって、父親の資質が巧い具合に伝承される訳ではないのです。どちらかといえば、そういった親父の才能は、姉貴の方に受け継がれているような気がしています。頭も良いですし。
けれども今更どうしようもなかった。「向いてないから社長辞めます」という訳にはいかなかったのです。辞めた後、私の居場所なんて社会の何処にもないのですから。
もちろん会社に対する愛着もありましたよ。自分の家みたいな感じでしょうか。社員も含めて会社を守っていきたいという思いは、自然に身についた感覚です。それ故自分なりに、これから経験を積み重ねながら勉強し、会社の為に出来る事を探し、微力ながらも貢献できたらと考えていたんです。
だけどそんなに都合良くは行かないものですよ。私が積極的になればなるほど、経営に絡もうとすればするほど、会議は混乱するんです。周りが狼狽しているのが徐々に分かってきました。私が関われば関わるほど仕事が停滞するのです。みんなからの無言の圧力により、自然と会議での私の発言は減っていきました。みんなが何の話をしているのか分かっていなくても、周りの顔色を窺いながら、頷いたりします。恐らくみんなだって私が理解していないのは承知しているのでしょうね。それで話が煮詰まって結論が出たところで、
「どうでしょう、社長」なんて、ようやく専務が私に振るんです。
それに対して私も一応腕組みなどをして見せ、「うーん」などと唸りつつ、考えているような態度を示し、「今回のところはそれで行きましょうか」などと言うのが、お決まりのパターンとなっていきました。
私のような分不相応な立場に置かれた人間というのも結構辛いものですよ。実際、何も出来ない。下手に動くと周りに迷惑をかけてしまうから、結局は飾りでいることを強いられる。
でも深沢さん、そんな立場を続けざるを得ない状況に追い込まれた人間が、頼るものって一体何だと思いますか?
実はそれもまた立場なんですよ。周りの人たちが社長として私を立ててくれたり、社員が私を前にすると緊張しながら頭を下げる。そういった事だけが支えとなっていくのです。もう私にはそれしか縋るものがないのですから。
そして気がつくと虚勢を張っている自分がいました。威張っていないと身が持たなかったのです。人間というのは都合のいいもので、見たくない自分にはいつのまにか蓋をしてしまい、見ないようにするのです。
次第に私は、周りの人達の手によって培われ、日に日に肥大していく虚像を受け入れていきました。その方が楽ですからね。
そうやっていつのまにか、自分でも気付かないうちに、根拠のない有能感に浸っていたと思われるここ最近の私にとって、今回の深沢さんからの手紙は、ひとつの衝撃でした。
夕方、会社から帰宅した私に、
「深沢さんて方から郵便が来てたわよ。大判の茶封筒で」とキッチンから妻が言ったとき、正直その名前に心当たりはありませんでした。
リビングのテーブルに置かれた封筒を裏返し、差出人のフルネームと住所を暫く眺めますが、やはり分かりません。
少し警戒し、封筒の角を摘まみながら持ちあげて、極力体から離し、軽く上下に振ったりします。
一応大丈夫そうなので、そのままニ階の自室へ持って上がりました。
しかし読み始めたらすぐに誰からか分かりましたよ。少し前、社内で話題になっていたのです。みんな声を潜めながらも、ニヤニヤしつつ、面白おかしく推測を膨らませて、深沢さんの病状について先行きを案じていたようです。
私は、――――手紙にしてはやけに枚数が多いな――――と少し辟易しながらソファーに腰を降ろしました。
最初の方は『気狂いの戯言』くらいに思い、鼻で笑っていたのですが、読み進めるうちに段々と本気で腹が立ってきました。しかし何故か途中で止めることも出来ずに、怒りで便箋を持つ手を震わせながらも最後まで一気に読み切ったのです。その後で破り捨てたい衝動が湧き起るのですが、何か引っかかっている部分が邪魔をしてそれも出来ません。
とりあえず便箋を乱雑に束ね、大判封筒に戻しました。鼻息を荒げ、動悸を感じながら自室を見渡し、すぐデスクの引き出しに封筒を放り込んで鍵をしめました。両掌の汗をズボンで拭いながら、色んな事を目まぐるしく考えました。金の力を使って裏社会の組織に依頼し、深沢さんに消えてもらう事も考えました。知り合いの警察関係者に頼んで、深沢さんに濡れ衣を着せ、刑務所にぶち込むことも考えました。しかし不安は消えません。
手紙によって逆撫でされた心の襞の毛羽立ちは、永年にわたり目を背けながらも、着実に堆積し既に醗酵しつつある恥辱の塊に触れ、高鳴る動悸と相関しながら、酸っぱい汁を吸い上げてきました。その度に直視し難い己の本質が脳裏を過り、実際、吐き気を催します。
いくら否定しようとしても、一度漏れだしてしまった恥辱の汁は、次第に体の表面を覆い尽くし、膜を張り巡らせ、周辺に搾り立ての饐えた臭気を発散し続けるのです。
この日から私は、家庭でも会社でも、必死に平静を装わなければならなくなりました。しかしそんな努力の甲斐も虚しく、妻は以前にもまして私の目を見なくなり、五歳になる息子も寄り付きません。そして会社ではみんなが私を避けているような気がしてくるのです。日に日に社内の居心地は悪くなり、私はひとり社長室に籠ることが増えていきました。
ともかく以前の自分を取り戻そうと焦っていました。手紙を読む前の自分に戻ろうと。しかし強く願えば願うほど、虚像の影は遠ざかります。掴みどころのない不安に苛まれ、夜もなかなか寝付けません。
――――落ち着け、落ち着け。俺は社長なんだ。例え形式的ではあっても、会社を動かしているのは俺なんだ。そのうち経験を積んでいけば、色々分かるようになる筈だ。たぶん大丈夫な筈だ。みんながフォローしてくれる。これまでだってそうだったじゃないか。これからだってきっと……。
いや、本当にそうだろうか。今現在の取締役連中は、五十代後半から六十代前半。あと十年もすれば、みんな定年でいなくなってしまう。新たな取締役たちは、俺をどう思うだろうか。アホな俺を盛り立ててくれるのだろうか。見捨てられやしないだろうか。会社を乗っ取られたりしないだろうか。
もしかするともう既に、面従腹背されているのではないのか。陰でみんながアホな俺を馬鹿にしているのではないのか。もしそうだとしたら、俺はこれから、俺は、俺は……どうしよう……どうしよう……嫌だ……嫌だ……もう嫌だ……もう嫌だ……もう嫌だよう!
鼓膜をつんざく様な爆音がし、私はベッドから飛び起きました。
隣を見ると、ネグリジェ姿の妻が、顔を引き攣らせつつ私を見据えながら、ゆっくりと後方へフェードアウトし、音も無く寝室を出て行きました。
どうやら爆音の正体は、私自身の絶叫であったようです。
汗だくの体を引き摺るようにして、私は自室へ向かいました。観念してデスクの引き出しの鍵を開け、封筒を取り出します。二回目に読む手紙は、腹を括ったこともあってか、割合に落ち着いて読むことができました。
ええ、深沢さんの仰ることは、やや辛辣に過ぎるところもありますが、あらかた正しいのです。私のように虚像に縋って生きてきた者にとっては、正面切って本当のことを言われるのが一番堪えるのですよ。
結局私はデスクに座り、汗に濡れた寝巻で体を冷やしながら、何度も何度も繰り返し、深沢さんの手紙を読み込むうちに、気付くと雀のさえずりがしており、朝になっていました。
疲れた目を擦りながらリビングへ降りると、息子を連れて実家へ帰る旨書かれたメモ用紙が、林檎を文鎮代わりにしてテーブルの真ん中に置かれていました。
そして私はこの日、会社へ行くと直ぐに取締役会を招集し、辞任を表明したのです。因みに後任候補として、現在姉と交渉中です。
さて『他人は自分を映す鏡』などと申しますが、結局、私を取り巻く周囲の人達は、正確に私を映しなどしなかった。彼らが映し出すのは、社長としての私であり、黒光家の長男としての私でしかなかったのです。ずっと私はバイアスのかかった歪んだ鏡に囲まれていたのです。この歳になって漸くそれに気付きました。
深沢さん、あなたが教えてくれたのですよ。
ありがとう。本当にありがとう。
私は旅に出ます。
誰も私を知らないところへ行き、その中で己を見つめ直したいのです。
素の自分を、只のひとりの人間としての自分を、本物の他者の中でフェアーに測ってみたい。本当の自分を知りたい。
今の私は、只それだけを切実に願っているのです。
敬具
black_tatsuo@docomo.ne.jp
参ったなぁ。真に受けちまってる。
黒光君がここまで純粋な男だったとは。悪い事をした。
あの手紙を書いたときの僕は、明らかにおかしかった。薬の効果が出始めた頃ではあったが、それまでの強い鬱状態の揺り戻しなのか、一時的に激しく怒り狂っていたのだ。
突如エネルギーが体中に満ち溢れ、それまでずっと抑圧を強いられていた感情が迸り、怒りと憎しみの情念がとめどなく噴出し始め、居ても立ってもいられなくなり、取り憑かれたように便箋に書き殴ったのであった。
しかし今となっては、自分がどんな事を書いたのか、その詳細は定かでない。怒りまくっていた事は覚えているが、書いた内容の記憶が飛んでいるのだ。恐らくは、持ち前の人の神経を逆撫でする才能を遺憾なく発揮したのであろう。返事の内容からもその辺の事情は推察される。
それにしても惜しい。コピーを取っておくべきだった。黒光君をあそこまで精神的に追い込んでしまったのだから、さぞや名文に違いない。せっかく己の中から上手く掘り起こした感情の結晶とも言える貴重な素材を、複写も取らずに人手に渡してしまうなんて……。自分の詰の甘さに嫌気がさす。
最近では病状もすっかり回復し、というよりも薬の副作用なのか、これまでに居た試しがない程の、穏やか過ぎる自分がおり、怒りや憎しみといった感情に恐いくらい縁がない。それ故、小説家を志す僕にとって、あの手紙は貴重な資料と成り得るのだ。
――――こうなったら最後の手段。直接黒光君に頼んで、コピーを取らせてもらおうか。
便箋の最後に記されたメールアドレスが、一瞬そんな不埒な事を思い付かせるが、すぐ己の不謹慎さに身震いした。
恐らく混乱しているであろう黒光一族。今近付くのは危険すぎる。
それにしても突然社長就任を要請されたお姉さんも気の毒だ。確か既に嫁いでおり専業主婦らしいが、まだ子供も手の掛かる時期であろうし、彼女はどうするのだろう。
しかしこういった他者に対する配慮の無さが、ボンボンのボンボンたる所以なのかも知れない。貧乏な僕も偉そうなことは言えないが……。
了