第一話 裏
――俺たちは……この世界の……!
二〇二六年東京。既に深夜二時にも関わらず、人と車のゆっくりとした流れが数多のビルの隙間を埋めている。黒い長方形が規則正しく並びつつもも不揃いな光を窓から発する。夜空よりも暗い雨雲が星月を後ろに隠し、余計に地上の白光が目立つ。道路に目を向けるとこれもくねくねと道に沿って発光している。三月の三連休を利用した車たちは渋滞を引き起こし、テールランプが赤く道路を照らしながらゆっくりと進む。
「……血管」
日威カガリは名前も知らない会社の廃ビルの貯水槽の上に座り膝を抱えていた。地上と周囲のビルから漏れる光の明るさは暗い影を落とした瞳に無理やりハイライトをつけている。右腕を緩め、人差し指で車の行列が発する微かな赤色灯のうねりをなぞり呟く。
「この国が身体で、道路が血管で、人が細胞で――」
ぼそぼそと擦れた息に近い声で喋り続ける。ビル風が重たい前髪をかきあげて乱すが、青年は気にも留めない。今度は道路をなぞる指を首筋に移動させガリガリと掻く。喉仏は控えめに動かし息のような声を出し続けたまま、右側の頸動脈のあたりを指で削る。何かを掻き出そうとしているかのように執拗に、浮き出た赤い線を爪でなぞる。
「俺たちは……忍者はなんだったっけ、ナツト……なんて言ってたかな……」
夜景に目を細めて眉間に皺を寄せる。視界がぼやけて深夜の東京の解像度が低くなる。「国は一人の人間なんだ」と、誰から聞いたかも分からない売り言葉を得意げに格好つけて話していた親友の声と、呆れながら一緒に聞いた想い人の横顔を思い出す。
確か雪が少し降ってて、任務帰りで報告すっぽかしてカラオケ行こうとしてヒナギに怒られたな――。ナツトが急にスカイツリー行こうって言いだして、開いてなくて……そのときは二月の終わる頃ぐらい……。
そうか――。カガリは息を全て吐き切った。二月にはまだ全員生きてた。あいつらとはほんの少し前まで毎日顔を合わせていた。ナツトと馬鹿をやってヒナギが笑いながら止める日常。稽古を時々サボり、一緒に師範から全力で逃げて、可愛い後輩の面倒を見て、布団の上では集里院を出た後の話をよくしていた。ナツトは戦果を早く挙げて幹部として自分の班を持ちたがっていた。ヒナギは幼年からの憧れの先輩が持つ班に配属されて役に立ちたいと言っていた。配属先がバラバラでも三人で週一は会おうという約束もした。もうすぐ仮班任務が始まるから、終わった後に卒業旅行の計画立てて……。
あ……とカガリの口から声が漏れ出た。
「今日旅行の日じゃん」
カガリは細めていた瞼をぎゅっと閉じて顔を腕と膝に沈めた。何も見えないように、何も聞こえないように。鼻は白のパーカーに押し付けて柔軟剤の甘い匂いで埋める。右指で首を掻き、左指で首をきつく絞めた。
このまま窒息して死のうか――。
閉じた瞼の裏に低く笑い嘲笑する自分の顔が映る。
今しがた自分に刃を突き刺す勇気もなかったのにか――?
苦しくなって左手を離す。封じ込められていた熱い息の代わりに三月の冷たい空気が肺に流れ込んだ。行き場を失った左手は空を泳いだ後、赤子が母親を力任せに掴むようにパーカーを握りしめる。傍らには烏色の鞘と抜き身で転がる忍者刀の刀身が鈍く周囲の輝きを反射しているだけだった。病室を無断で抜け出した今晩を彼と共に笑い合うものはもういない。強く閉じたはずの瞼の隙間から零れるものが頬を走った。
「なんなんだよ……」
左手に引っ張られて深い藍染色のパーカーのフードがずり落ちる。それはパーカーに隠していた漆黒の忍装束の襟元、首元に樹状に伸びる暗色のヒビ、そしてその紋様の中心にある、青年が掻き出そうとしていた瞬く青黒い石塊を曝け出した。
「――引き続き情報伝達の徹底を各班員にもお願いします。零級事案の共有は以上です。」
宮東カナタは肺からあふれ出すため息を必死で飲み込みながら資料をめくるよう指示を出す。別に今に始まったことではないが、代理含めて八人もの幹部が集まっているこの会議室において、まともに話を聞いている人間は長机の左側に座る副頭領と幹部一名、そして幹部代理として呼ばれた忍者一人だけだった。
――こいつら態度悪いだけで話は結構理解してるんだよな……
右側とちらっと見てぐっと目を閉じる。幹部となって二年ほどのこの女忍者にとって眼前のふざけた忍者四名はこの忍者組織裏月において立場的にも実力的にも上の存在であった。
――落ち着け。ぐっすり寝てる貴族風ガリロン毛と、真面目に聞いてる顔しながら実際バチバチに有線イヤホンつけて曲聞いてる眼鏡と、バレてないと思いながら漫画読んでるギャルツインテメスガキと、普通に集中してない馬鹿がいるだけなんだから。
「次の議題ですが――」
直後、発情期のガチョウのようないびきをかいていた京スランがビクッと起き上がった。反動で跳ね上げられた細長い脚は轟音と共に長机を一瞬持ち上げる。京は虚ろな目でこちらを見たかと思うと、紳士の如く宮東に微笑みかけた。そのまま脚と同じく細長いナナフシのような身体は先程の快眠姿勢に集約され、熟睡が再開された。
思い浮かんだ罵詈雑言を咳払いでかき消す。宮東はすぅっと息を長めに取り込み、今回の会議の本題である資料を手に取った。
すると着信を伝える振動音がギャル風の女の腰元から聞こえる。菊池ホズミは何食わぬ顔で「あ、ごめーん」と言い漫画を堂々と机上に置いてからポケットをまさぐった。
「あーもしもし?どしたん矢邉っち?うん?大丈夫大丈夫、今は幹部会議中ー。え、ちょ、なんで切るの?要件は――」
切れた通話画面に菊池は一瞬怪訝な顔こそしたが、すぐに何食わぬ顔で「ま、いっか」とラメまみれの煌びやかなスマートフォンをフリフリまみれの上着ポケットに滑り込ませる。露出度高めに改造された漆黒の忍装束は伸びをして突き出された胸元を大胆にひけらかす。そして菊池は机上に広げた漫画の続きを手に取る。今度はもう隠さず頬杖を突きながら読み始めた。
「……」
宮東は同じ女忍者同士話しやすいかもしれないなどと思っていた幹部昇格時点の自分と、この不便そうな爪でページを捲る糞餓鬼を殴りたくなっていた。
――この流れはイヤホン眼鏡と能天気馬鹿もなんかやるじゃねえか。
宮東の無表情の額に青筋が限界まで浮き上がり、指で掴むA4用紙が幾線の皺を刻み始めていた。
そのとき、じっと腕を組み押し黙っていた副頭領天谷トウタスがすっと右腕を前に持ち上げた。幾重にも傷がついた分厚い掌の甲には、黒色の太い亀裂が指まで刻みこまれている。そしてその中心には、尖った白い岩の破片が皮膚を突き破り覗く。透き通っているその石をよく見ると紫の稲妻模様が内部に走っているのが分かった。
「【唯術――。」
天谷が呟く。すると幹のような太い指から墨の線が樹状に飛び出すのと同時、その黒線は白光の電流と変化して前方の四人を襲う。
「――ちょっ!」
「……!」
「えっ」
「グゥ……」
小さい弾けた音が会議室右側に響いた。
「……会議は真面目に聞け」
副頭領の下腹に響くドスの効いた低温が会議室を揺らす。天谷の閃光は菊池の漫画に稲妻の焦げをつけ、イヤホン眼鏡こと四條ナギサの有線イヤホンを無線イヤホンに変え、京と不注意能天気帯刀センタの髪と上着に焦げをつけた。
「すみませんでした」
四人の芯の通った澄んだ声が重なる。裏月幹部の問題児幹部四人は先ほどの姿勢が嘘かのように背筋を垂直に伸ばし、均等に真剣な顔立ちで宮東を見つめた。
――僕結構真面目に聞いてたんだけどな……。
帯刀は自分の心の声を押し殺した。
「……では資料を配ります」
宮東は天谷に最大限の感謝の眼差しを送り、資料を幹部たちに行き届かせる。天谷の横に座る柳谷キョウゲンは、クックックと喉を鳴らしながら前方の束の間の優等生たちへ鮮やかな紫口紅の唇を上げてにやけ顔を送る。
「天谷さーん、俺とフキルまで静電気食らってますよ……あ、サンキューフキル」
緑髪をオールバックに撫でつけながら資料を一部抜き取り隣の天谷に受け流す。そして同じく髪が逆立ちつつも冷静に資料に目を通している佐久間フキルの黒髪をコームで元の七三分けに丁寧に整え始める。コームは黄ばんだような白であり、明らかに小動物の骨であった。
「忍術発動の瞬間に四條さんは微弱な妖力を有線イヤホンに流し込み管内の電気を増幅させ、イヤホンを破壊して発散、副頭領の静電気を巻き込ませて部屋に分散させました。恐らくは音楽プレーヤーの破壊を防ぐためのイヤホンを犠牲にした防衛策……本来プレーヤーを破壊させる筈だった電気が発散された電気に巻き込まれて部屋に充満……これにより私たちにも唯術の影響があったということなのです」
黒縁の四角い眼鏡をくいっと押し上げながら一気にフキルが捲し立てる。
「おうおうよく喋るなお前。ショウヤの言ってた通り官僚の奴らと似てるな」
佐久間は口を真一文字に結んだ。力の入った頬は若い佐久間の顔に深いほうれい線を作る
「……暑くないんですかその革ジャン」
「あ?これか?八月中旬でも脱いだことねえよ。……なんかキレてる?」
「いえ別に」
佐久間は骨コームを上手く押しのけながら手櫛で髪を梳かす。失言を悟った柳谷は凍った空気の改善を資料を流し読みしている四條に託した。
「な、なあナギサぁーお前そんなことしてたんかぁー!凄いじゃねえかぁ!てかなんか煙臭いな!スランとセンタかぁ?」
四條は助けを求める柳谷の深緑の瞳と自分の紺色の瞳とを合わせた後、フンと鼻で笑いながらプスプスと煙を吹いている音楽プレーヤーをつまんで見せた。
「結局壊れたがな。焦げ臭いのは多分これだろう。あとできれば苗字で呼んで頂けるとありがたいんだが」
完全無表情を崩さず四條はもう一度柳谷を一瞥した後、また手元の資料を捲り始めた。
「こ……このなんちゃって執事服野郎が……!」
顔を引きつらせながら微笑む努力をする柳谷の口内からはギリギリと歯軋りの鈍い音が響く。
「あ……な、なんかこの資料皺寄ってるね!プリンター壊れてたの?」
「先程私が握りしめた跡です。すみません」
柳谷の子犬のような視線を送られた帯刀の決死の援護射撃は軌道を完全に逸らし、消えかかっていた炎を再燃するに至った。柳谷は帯刀を失望と侮蔑を均等に混ぜた独特の視線で突き刺し、他幹部を見渡すものの漫画を焼かれどうみても不機嫌そうなギャル忍者、お構いなしに優雅に資料を見る貴族忍者とスキンヘッド副頭領しかいない。
「……では春季の集里院卒院生の配属先の振り分けです」
蜘蛛の糸を垂らすお釈迦様を見るような眼差しの革ジャン幹部を完全に無視して、宮東は今回の会議の本題を始めた。
「大まかな振り分けは例年通り師員の方々が終えています。春季は忍站隊配属を除いて十六名卒院生が出ましたので、人員不足の班は多く配属されると聞きました。内訳は資料通り四條班に四名、宮東班3名、菊池班に二名、帯刀班に二名、京班に二名、柳谷班に一名、天谷班に一名配属されています。また特別異動中の班には新規配属はなし、班長行方不明中の真木班は受け入れ態勢が整っていないとみなし、新規配属停止の措置になっています」
「ふむ……一人は見込みがあるがもう一人は京班に入るには少々芋臭いな……」
「私よりはるかに劣るけど可愛い子たちじゃん?」
「数値は昨年の奴らより高いな……」
「パンクな奴にはみえないが?」
「面白い唯術だなぁ……」
宮東の説明は各々幹部が自分の班に配属される新人たちを評価していく声にかき消された。彼女は自分にしか聞こえないように小さく舌打ちをして、自身の班の新人三名を確認する。
若くして幹部に成り上がった宮東にとって今回配属される新人忍者たちは共に集里院で訓練を受けた弟弟子のようなものであった。二人顔なじみを見つけ思わず懐かしくなり、飛び級で配属される者が自班に入ると知り驚く。やはりこの時期の新人配属は期待と責任感で高揚してしまう。他の幹部が盛り上がるのも致し方ないことだな――。
「カナタさん。佐久間君、質問あるみたいですよ」
京の気取った声で現実に引き戻された宮東は全員がこちらを見ていることに気がついた。京はフフッと微笑む。
「新人配属は確かに喜ばく気分が高揚するものではありますけれども、今は気持ちを抑えてください。カナタさん、佐久間君が手を挙げていることにも気付かないんですから」
まるではしゃぎ過ぎた子供を窘めるような言いぐさと、吹き出しそうな問題児幹部たちの口元。宮東は少しの血管の内出血程度に自分を留め、佐久間に質問を促す。
「今年度の卒院生は十六名でしたよね?資料を見る限り十五名分しかありませんが」
え、と言葉に詰まり手元の資料を確認する。確かに卒院生十六名に対し一人一枚の資料は十五枚しかない。卒院生数の計算ミスか、それとも……
「もしかして宮東さん、コピーしてくるの忘れちゃった?」
帯刀の空気を読まない故の軽口が宮東の心臓を打つ。こんなに問題児幹部にイラついておきながら自分は単純なケアレスミスをしたという事実に冷や汗が噴き出る。
「いや、宮東のミスではない。私が説明しよう」
今にも気絶しそうな宮東を椅子に誘導して天谷は会議室のスクリーンを降ろす。タブレットデバイスを取り出しながら口を開く。
「この資料にない卒院生の名は日威カガリ。先日発生した桟伝村襲撃事件で仮班任務に就いていた」
会議室の空気が濃密な何かで満たされた。宮東は意識を取り戻し、拳に力を籠める。幹部たち、いや、裏月所属の忍者にとってこの事件は最悪のものであった。
プロジェクターの電源を付ける。機械音と共に投影される弱光が濃くなっていき、白いスクリーンに凄惨な事件の文字列を鮮明に映し出していく。
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【裏月データベース File.D 事案報告書二〇二六 -041- (編集者 佐久間フキル)】
発生時刻:三月四日午前四時三十二分
発生現場:神奈川県鎌倉市桟伝村(備考 忍村登録あり)
事後対応:真木班、天谷班、宮東班、忍站隊
発生妖怪:壱級ダイダラ一体、壱級百目鬼一体、弐級濡れ女一体、弐級二口女三体、付喪神六十三体(伍級三十三体、肆級二十体、参級十体)
確認された被害(民間):桟伝村村民八十九人の内六十八人死亡。行方不明者十三人。重軽傷者八人。村内の家屋全壊。
確認された被害(裏月)真木班班員十七人死亡。裏月幹部真木班班長真木ショウヤ行方不明。宮東班三死亡(内駐屯忍一名)。四人重軽傷。天谷班一人死亡。二人重軽傷。集里院生二人死亡。一人重傷。
事案概要
桟伝村で発生した指定忍村襲撃事案(壱級相当)。この村では同日深夜三時頃、木片が飛来し平屋の木造建築に衝突する事案が発生。住民である折越フサヱさんが駐屯忍(宮東班所属)に通報、駐屯忍が確認したところ強力な妖気を感知。飛来物による結界破壊も確認されたため零級事案として裏月本部に通達。真木班班長の真木ショウヤ、班員小城マサヤ、兼田トンジの三名、そして仮班任務につき受け入れられていた青生ナツト、九重ヒナギ、日威カガリの三名が事案対応で来村した。
真木班班長により今事案を参級事案に制定。結界を修復後、村民の希望もあり村内役場の休憩スペースで見張りの班員一名除く全員が待機。
事件発生時刻、村西方付近で結界破壊及び妖怪接近を確認した小城が真木に無線機にて報告。真木は集里院生を役場で待機させ、兼田を連れて現場に向かう。報告があった現場にて真木が小城の破損した頭部を発見。周囲に前述した妖怪を確認する。同行していた兼田に集里院生と共に村民の避難誘導及び本部への報告をさせるため集里院生のいる役場に向かわせる。
(兼田の目撃を最後に真木の消息は不明になっている。真木の忍術使用の痕跡は発見されたが遺体や遺留物が発見されていないため行方不明として処理することが後に決定した)
兼田及び集里院生三名は村民の避難誘導を開始。東方の広場に村民全員の避難の完了確認後、集里院生三名による礎術結界の展開、裏月本部への報告と援軍要請がなされた。このとき三名は兼田の判断により村民と待機、兼田は真木の援護に向かう。
ここからは生存者である日威カガリの精神状況から聴取することを断念した。襲来した妖怪が避難場所に襲撃、結界を破壊し村民を襲ったと推察される。
報告を受けた裏月本部は真木班全班員の出動を命令。壱級妖怪を複数体発見したという兼田からの報告から本事案を壱級事案に改定。宮東班七名と近方に滞在していた天谷班三名に出動命令を下す。(備考 共に班長不在での活動だった)
本事案内で確認された全妖怪の討伐は午前六時五十五分に終了。忍站隊による隠匿作業は同日完了。復旧作業は本報告書執筆時点の三月十日時点でも継続中。
尚、本事案と飛来物の関与、大量の妖怪の発生場所と発生要因、罪忍の関与などについては不明なものが多く、調査中である。
(調査が進み次第追記する)
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「この事案については全員知っている通りだ。そして書かれている通り彼はこの事案で犠牲になった集里院生唯一の生き残りだ」
天谷がスワイプしてカガリの資料を映し出す。カナタは下の成績表を注視した。基礎体力試験――五。妖力量試験――五。礎術試験――五。唯術試験――五。五、五、五――。
凄いな。と宮東は素直に感心した。五段階評価で採点される集里院においてこれほどまでに最高評価を叩き出した生徒もそうそう存在しない。出生地は忍村登録されている偲谷村であり幼少からの忍術への理解もあるだろう。戦闘者としての才は申し分ないだろう。ただ……。
「学科試験がひどすぎるな」
四條が眼鏡のレンズに資料を反射させながらスクリーンを睨む。確かに学科試験など知識を図る座学は軒並み「一」しかない。
「差し詰めとんでもない脳筋馬鹿というとこだろう」
四條は宮東と目を合わせた後、ちらりとスクリーンの横に立つ副頭領に目をやる。釣られて目をやると眉間に顔じゅうの皺を集めたような天谷の黄金色の瞳がじろりと宮東を捉えた。宮東は慌てて咳ばらいをして目を逸らした。天谷は短くため息をついた後スクリーンの中央を指す。
「彼の学科試験不振は恐らくだが――」
「唯術のせいじゃない?」
帯刀が口を挟む。宮東と四條が瞬間的に身構えるも天谷は「……あぁそうだ」と額の皺を追加するのみに留まった。宮東と四條はふっと体の緊張をほぐし、唯術が記載されている欄を見る。
「忍者ってやっぱり忍術の扱いが重要視されるじゃん?僕もそうなんだけど、大抵唯術でなんとかなっちゃうから……勉強サボっちゃうのも共感できるよ。この子の唯術なら特にじゃない?」
帯刀の説明には一理ある。座学ができていても生き残る忍者になるために必要なのは結局力だ。忍術の基本となる礎術はもちろん、その者しか扱うことのできない忍術である唯術が忍者の実力の大部分を占める。つまり唯術の特異性はかなり重要視される。そして――。
「こんな唯術の性質見たことないなあ」
宮東は感嘆の声を漏らす帯刀に同意していた。もし彼の唯術を扱う敵が現れたとしたらと考え、ぞっとした。
しばらく経った頃、カガリはどろりとした気配を背後に感じ振り返る。首筋を削る指を中断して目を擦り解像度の低い視界を鮮明に映し出す。その目線の先、今しがた座っているビルよりも少し背の低い隣の同じく廃ビルの屋上に、鶏が一匹歩いていた。他の鶏と違う点は都会の廃ビルの屋上にいること、そして胸部の白の羽毛が禿げており、人の口と歯が覗いていることだった。
妖怪だ、とカガリは理解する。恐らく伍級の下の下程の雑魚であることが漏れ出ている雑多な妖力から推察できた。しかし雑魚とはいえども妖怪、民間人への被害を考えると討伐すべきだろう。
カガリは懐から無線機を取り出した。口元に寄せて、前方の鶏を注視しながら報告する言葉を頭で組み立てる。
渋谷郊外にて伍級程度の骸型烏合種を発見、対処お願いします。え?そっちで対処しろ?ごめんなさい、この前から忍術が上手く出せなくなっているんです。ごめんなさい、だから、俺は――。
「――俺は戦えない」
無線機の通信ボタンを親指の爪で撫ぜる。戦えないし、戦う資格などあるはずもない。妖核から妖力を流し出し術に変えて放つ、呼吸をするようにしていた動作をあの日からできなくなっていた。妖力を構築しようとするとすぐに崩れ落ちてしまう。術にならずに排出された妖力は墨色の液体とも気体とも言えない何かになって皮膚から溢れ、零れ落ち霧散する。
あの日、結界は妖怪たちによってすぐに破壊された。
「あちゃーこんなに早く壊れるとは」
ナツトが軽口を飛ばす。結界を押していた妖怪たちが堰を切ったように雪崩れ込んでくる。そうなることは既に想定済みだった。あくまで兼田さんが命令したのは村民全員の避難。しかし高台に全員逃げている村民たち、密集している妖怪たち、高台からの避難までには時間がかかるという正当性を持った三人は一網打尽にすることを選んだ。
崖の端に爪先を合わせ、迫りくる妖怪の群れを見下ろす。どよめく化物たちは上からの攻撃などまるで勘定に入れていないかのようだった。にっと口角が上がる。そして俺は右腕を突き出し、忍術を発動した。
「【唯術 神狩火】」
「妖力のみを対象に燃やす術……か。末恐ろしいな」
だが――と四條が続ける。
「それほど強力な唯術を持っていたなら何故あれほどの惨状になった?火炎放射器の如く何も考えずに術を使って焼き払えば脳筋馬鹿といえども対処はできるだろう」
天谷がぼそりと呟く。
「彼の唯術が使用された形跡は確認されなかった」
「……は?」
「ねぇ結構イケメンじゃない?」
「髪が整ってないですねぇ」
「あんまパンクじゃねえな」
わいわいと騒ぐ三人の声に思考を強制的に中断させられ、釣られて宮東は右上の写真と目が合う。
顔写真に長めの黒髪から覗く青みがかった瞳。怠そうに瞼は下がっているが全体的に闘志を感じられる。端正な顔立ちだが幼さもある。まさに十六、十七歳のような青年だ。
――こんな青年があの地獄の現場にいたのか。
宮東はあの日、本部に運ばれてきた怪我人と大量の遺体袋を思い出した。運ばれてきた村民たちや忍者の肉塊が入った袋と、それを淡々と仕分ける忍站隊たちの風景が去来しギッと奥歯を噛み締める。
「なぜ彼は先程の振り分け資料から外されていたのですか?」
佐久間がまたもやすっと手を挙げる。宮東はそういえばと天谷を見る。他幹部も気になっていたのか同じく天谷をじっと見つめる。天谷は目を閉じて、少し間を置いたあとゆっくりと告げる。
「彼が桟伝村襲撃事案の要因である可能性があるからだ」
会議室はプロジェクターの稼働音が聞こえるほどに静まった。宮東は乾いた唇を剥がして開く。
「それは……どういうことでしょうか」
天谷は机を睨んだまま何も話さない。数分間そうしていると佐久間が静寂の中に声を零す。
「どういうことですか。説明してください」
佐久間の声色に明らかな殺意が込められている。当然だった。佐久間の所属する真木班は現状もう彼しか残っていない。恐らく真木班は解体されるだろう。佐久間はこの事案で失ったものが多すぎる。
「――もうすぐ頭領がお見えになる」
幹部たちの目が見開かれる。天谷は机を睨んだままだった。
「頭領を交えて日威カガリの処遇を決めなければならない。彼には既に私の班から優秀な忍者を複数人監視につけている。この事案は想定していたより遥かに巨大なものかもしれんのだ」
宮東の眼は写真の青年に吸い込まれる。真っすぐ正面を見据える強張った顔から感じた闘志は、今や別の何かに感じられた。
カガリは置いていたスマートフォンを確認してみると、師範からの着信が一時間ごとに入っていたことに気づいた。最新の着信は五時。
「……ヤンデレ彼女かよ」
カガリはふっと息を吐いてみる。口角を上げてみる。しかしあくまで吐き出される息は呼吸由来のものであり、それ以上でもそれ以下でもなかった。汚れた顔を昇り始めた朝日が照らそうとする。痛みを感じて首筋を触ると昨日搔きむしったところから血が出ている。ほとんど乾燥していたが傷口が思ったより深い。そして瘡蓋の近くに固い感触を見つける。首筋に覗く妖核は、周囲に深い傷口ができようと黒いヒビを生やし、カガリを呪うように鎮座していた。役立たずの石ころ、誰も守れなかった忍術の源。
指の腹を濡らす血を忍装束で拭き取り、投げ捨てていた刀を拾い上げて鞘に戻し、背負う。カガリは大きく息を吸い込んだ。
――帰るか。
「【礎術 躰縮地】」
高層ビルの屋上からまた屋上へカガリは駆ける。もちろん一般人には見つからないように。駆けながら高速で移り行く景色はまたナツトとヒナギを去来させた。この早送りされているかのような景色ののどこかに、あいつらを探している。
――あんな地獄の中で……。
――俺は……。
あの村から運び出された後、裏月の病室で目が覚めた時からずっと潰された虫のように心にへばり付き離れない疑問が吐く息と同時に絞り出される。
「なんで生き延びたんだろうな」
ビル群を奔る青年の左手には、胸部が焼け落ちたかのような異形の鶏の骸が抱えられていた。




