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【完結・連載版】亡き姉が残した「生後8ヶ月」の娘を引き取った俺と家族になってくれませんか?  作者: 文月ナオ


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7

 

 その日は、朝から曇り空が広がっていた。


 陽菜がお昼寝に入り、俺が一息ついていると、テーブルの上に置いていたスマホが震えた。


 画面を見ると、『玲奈』という文字が表示されている。


『お兄ちゃん。もうすぐマンションつくよ。迎えきてよ』


『オートロック開けるから上がって来てくれ。陽菜が寝てるから離れられない』


 そう返信すると、すぐに既読がつき、秒速で返事が返ってきた。


『いや、エスコートできない男は嫌われるよ。あと荷物多いから、来て』


 ……相変わらずだな。

 俺はため息をつきながらも、仕方なく立ち上がった。

 陽菜はぐっすり眠っている。ベビーモニターをスマホと連携させ、急いで玄関を出た。


 エントランスに降りると、ちょうど一台のタクシーが横付けされたところだった。

 トランクから運転手さんが大きなスーツケースを降ろしている。

 一つ、二つ……三つ。


「おいおい……」


 呆れている俺の前に、タクシーから一人の女性が降りてきた。

 サングラスを外し、派手なコートを翻すその姿。

 少し痩せたようだが、勝気そうな瞳は変わっていない。


「久しぶり」


「ああ。……てかお前、荷物多すぎだろ。家出でもしたのかって」


 俺がスーツケースの山を指差すと、玲奈は悪びれもせず言った。


「女の子は色々あんのよ。お土産も詰まってるんだから感謝してよね」


「さっさと部屋戻るぞ。陽菜が起きるかもしれない」


「……」


 玲奈の表情が、ふっと曇った。

 さっきまでの強気な態度が消え、どこか儚げな色が浮かぶ。


「……お兄ちゃん」


 玲奈が俯き、震える声で俺を呼んだ。


「ん? どうした」


「……お姉ちゃんに……会いたかった……」


 その言葉は、俺の胸をも鋭く突き刺した。

 玲奈は、姉ちゃんのことが大好きだった。


 体調を崩して帰国をドクターストップされていた玲奈は、葬儀にも出られなかった。

 一番辛かったかもな。


「……うん」


「うぅ……っ、ぐすっ……」


 玲奈の大きな瞳から、ポロポロと涙が溢れ出した。

 張り詰めていた糸が切れたように、玲奈は俺の胸に顔を埋めてきた。


 俺は、背中に手を回し、優しく頭をポンポンと撫でた。

 昔、泣き虫だったこいつをあやしていた時のように。


「よく帰ってきたな。まずはゆっくり休め」


「うん……ごめん……」




 ◇◆◇




「ふぅ……。今日は陽菜ちゃん、起きてるかな〜」


 マンションのオートロックが見えてきて、ふと足を止める。


 見覚えのある、背の高い男性。

 佐伯さんだ。


「あ、佐伯さ……」


 声をかけようとして、その言葉は喉の奥で凍りついた。


「……えっ?」


 佐伯さんは、一人ではなかった。

 彼の胸には、女性がしがみついていた。

 派手なコートを着た、とても綺麗な、若い女性。


 佐伯さんは、その女性を優しく抱きしめ、愛おしそうに頭を撫でている。


 ドクン。


 心臓が、嫌な音を立てた。


 私は反射的に、柱の陰に身を隠してしまった。

 見てはいけないものを見てしまったような。


 あるいは、見たくない現実を突きつけられたような。


(……誰?)


 あんなに親しげに。

 あんなに優しく。


 女性は泣いているように見えた。

 佐伯さんは、何かを囁きながら、ずっと彼女の頭を撫でている。


 私には見せたことのない、甘い表情で。


「……恋人……なのかな」


 ポツリと、独り言が漏れる。


 ……なんだろうこの気持ち。

 胸の奥が、ぎゅっと握りつぶされるように痛い。

 息が苦しい。


 なんで私、隠れてるんだろ。

 ただの隣人なら、「こんばんは」って挨拶して通り過ぎればいいのに。


 でも、足が動かない。


(……そうだよね、佐伯さんみたいに素敵な人に、恋人がいたっておかしくないよね)


 独身で、イケメンで、優しくて。

 私なんかが「いい雰囲気」だなんて思ってたの、馬鹿みたいだ。


 あの「嫌じゃなかった」なんてセリフ、ただの自意識過剰な勘違い女の戯言だったんだ。




 しばらくして、二人は離れた。


 女性が涙を拭い、佐伯さんが笑顔で何かを言いながら、三つの大きなスーツケースを運び始める。

 二人は寄り添うようにして、エントランスに入っていった。


「…………そう、だよね」


 私は一人、立ち尽くしていた。




 ◇◆◇




 自分の部屋に入ってからも、胸のモヤモヤは晴れなかった。

 お風呂に入っていても、シャワーの音に混じって、あの二人の姿がフラッシュバックする。


 泣いている女性を抱きしめる佐伯さんの手。

 私に向けられたものとは違う、特別な優しさ。


「……はぁ」


 バスタブの中で膝を抱える。


 考えなくていいことばっかり考える。


 あの人は、誰なんだろう。


 どんな関係なんだろう。


 お風呂から上がっても、髪を乾かす気にもなれず、ぼんやりとスマホを眺めていた。


 その時、通知音が鳴った。

 画面に表示されたのは、『佐伯優真』の文字。


 ビクッと肩が跳ねる。


『小日向さん? まだ仕事中なんですか?』


 あ……。

 いつもなら、帰宅したら「帰りました」ってLINEを送るのに。

 今日は、ショックで送るのを忘れていた。


 どうしよう。

 なんて返せばいい?

「見てました」なんて言えるわけがない。


『すみません! 送れたと思ってたら送れてませんでした! 今お風呂に入ってますよ!』


 ……嘘をついた。


 指先が震える。

 こんな嘘、つきたくなかったのに。


 あのスーツケースの数。

 これから、佐伯さんの部屋に泊まるのだろうか。

 陽菜ちゃんと、佐伯さんと、あの人と。

 三人で過ごす夜を想像して、胸がズキズキと痛む。


 そんな事ばかり考えていたら、すぐに返信が来た。

 写真付きだ。


『もう帰ってたんですね! 良かったです。今日もお疲れ様でした。今日の陽菜送ります』


 送られてきたのは、スヤスヤと眠る陽菜ちゃんの写真。

 その天使のような寝顔に、少しだけ心が救われる。


「ふふっ。笑ってる。可愛い」


 でも、この写真を撮っている佐伯さんの隣には、きっとあの人がいる。


『可愛いです。……あの、今日ってこのあと空いてたりしますか?』


 送信ボタンを押してから、ハッとした。


 何送ってんだ、私。

 これじゃまるで、探りを入れてるみたいだ。

 最低だ。


 返信を待つ時間が、永遠のように長く感じる。


 既読がついた。

 そして。


『ごめんなさい! 今日はちょっと。でも、明日なら全然空いてますよ!』


 ズキン。


 胸が、決定的に痛んだ。


 今日はダメ。

 やっぱり、そうなんだ。


 あの人が来ているから。

 あの人と、水入らずで過ごすから。


 ……お泊まり、するのかな。あの女の人。


 涙が滲んでくるのを、必死にこらえた。


 分かっていたことだ。

 私はただの、都合のいい隣人。

 育児を手伝ってくれる、便利な保育士さん。

 それ以上でも、以下でもない。


『分かりました! 気にしないでください! 明日は私、少し都合が悪いので、また後日で!』


 また、嘘をついた。


 明日の予定なんて、なんにもない。

 仕事が終われば、真っ直ぐ帰ってくるだけだ。

 できるだけ、佐伯さんと陽菜ちゃんのために時間は空けてある。


 ……会いたいから。


 でも、明日は会いたくない。


 あの人の匂いがする佐伯さんになんて、会いたくない。


 私はスマホを伏せ、ベッドに潜り込んだ。


 暗い部屋の中で、閉じた瞼の裏に、佐伯さんが誰かを抱きしめる姿が焼き付いて離れなかった。


「……何考えてんだろ、私」

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