5
待ちに待った週末がやってきた。
俺は現在育休中(という名の無期限休職中)なので、毎日が休みのようなものだが、小日向さんにとっては貴重な休日だ。
平日は保育園で激務をこなし、夜は俺の育児相談に乗ってくれている彼女。
本来ならゆっくり休んでもらうべきなのだが……。
「おはようございます、佐伯さん! いいお天気ですね!」
朝10時。
彼女は、春の日差しのように眩しい笑顔を浮かべていた。
淡いベージュのニットにロングスカートという私服姿。
髪も軽く巻いていて、その「女性らしさ」に、俺は一瞬言葉を失ってしまった。
「あ、おはようございます。……今日は付き合ってもらってすみません」
「いえいえ! 私も陽菜ちゃんと遊びたかったですから」
彼女はベビーカーの中の陽菜を覗き込み、「陽菜ちゃん、おはよー」と手を振った。
陽菜もまた、彼女の顔を見るなり手足をバタつかせて「あーうー!」と歓声を上げる。
完全に懐いている。俺の時より反応よくないか?
「じゃあ、行きましょうか」
今日は、3人で近所の大きな公園へ行くことになっていた。
以前の俺は、日焼け止め、虫除け、予備の着替え3セット、哺乳瓶の消毒キットまで持ち歩く重装備だったが、今日は違う。
「荷物は大丈夫ですか?」
「はい。小日向さんに言われた通り、オムツとミルク、あとタオルと着替え一組だけにしました」
「ふふ、合格です。近場の公園なら、何かあったら戻ってくればいいんですから、身軽なのが一番ですよ」
俺たちは並んで歩き出した。
青空の下、ベビーカーを押す俺と、その隣を歩く小日向さん。
ショーウィンドウに映るその姿は、端から見ればどう見ても「休日の若夫婦」にしか見えないだろう。
そんな自意識過剰な考えを振り払いながら、俺は公園への道を急いだ。
◇◆◇
公園は、家族連れで賑わっていた。
芝生広場ではボール遊びをする親子、砂場で遊ぶ子供たち。
以前の俺なら「騒がしいな」と眉をひそめて通り過ぎていただろう景色が、今はキラキラと輝いて見える。
「陽菜ちゃん、初めての大きな公園だねー。びっくりしたかな?」
小日向さんが、キョロキョロと周りを見回す陽菜に話しかける。
俺たちはベンチに荷物を置き、遊具の方へと向かった。
「まだ滑り台は早いし……そうだ、ブランコにしましょうか」
「ブランコ? 8ヶ月で乗れますか?」
「一人じゃ無理ですけど、膝の上で手でおさえれば大丈夫ですよ。陽菜ちゃん、ゆらゆらするの好きですよね?」
そう言って、小日向さんはブランコに座った。
俺はベビーカーから陽菜を抱き上げ、彼女に手渡す。
「はい、陽菜ちゃん。お姉さんのお膝だよー」
小日向さんは陽菜を膝の上に乗せると、両手でしっかりと陽菜の胴体を支えた。
万が一にも落ちないように、脇の下から腕を通して、ガッチリとホールドする。
その手つきはさすがプロ、安心感が違う。
「よし、準備オッケー。……佐伯さん、背中ちょっと押してもらえますか? 最初はゆっくり」
「はい。いきますよ」
俺は小日向さんの背中に手を添え、そっと押した。
ブランコがゆっくりと前後に揺れ始める。
「ほーら、陽菜ちゃん。ブーラン、ブーラン」
小日向さんがリズムに合わせて声をかける。
風を切る感覚が楽しいのか、陽菜は「きゃっきゃ!」と声を上げて笑った。
「あはは、陽菜ちゃん楽しそう! 佐伯さん、これ動画チャンスですよ!」
「あ、はい!」
俺は慌ててスマホを取り出し、カメラを向けた。
画面の中で、揺れるブランコと、満面の笑みの陽菜、そしてそれを優しく見守る小日向さんが映る。
なんだこれ。
CMか?
あまりにも画になりすぎてる。
「佐伯さんも乗ります?」
「えっ、俺はいいですよ。見てるだけで十分ですし」
「何言ってるんですか。陽菜ちゃん、パパと一緒に乗りたいって顔してますよ?」
そう言われて見ると、陽菜が俺の方を見て手を伸ばしている。
……ような気がする。
「……じゃあ、少しだけ」
俺はおずおずとブランコに近づき、小日向さんと交代した。
陽菜を受け取る。
小さい体を膝に乗せ、小日向さんがやっていたように、しっかりと抱え込む。
左手で鎖を掴み、右手で陽菜のお腹周りをガッチリとガードする。
これなら絶対に落ちない。
「いきますよー。……よいしょ」
俺は地面を蹴って、ブランコを揺らした。
ギィ、という微かな音と共に、視界が揺れる。
ブーラン、ブーラン。
風が頬を撫でる。
腕の中には、陽菜の温かい体温と、ミルクの匂い。
陽菜が俺を見上げて、ニコーっと笑った。
「……っ!」
胸が、ギュッと締め付けられた。
可愛い。
ただひたすらに、可愛い。
姉ちゃん。
見てるか。
陽菜は今、こんなに笑ってるぞ。
姉ちゃん……こんな天使を、産んでくれてありがとう!
雲の向こうで、姉ちゃんがウインクしながらサムズアップしているような気がした。
ふと視線を上げると、少し離れた場所で、小日向さんがこちらを見て微笑んでいた。
スマホを構えて、俺たちを撮ってくれているようだ。
その表情が、あまりにも穏やかで、優しくて。……可愛くて。
俺は、揺れる視界の中で、ぼんやりと思った。
もし、これが「家族」だったら。
俺と、陽菜と、小日向さんが。
本当の家族として、こうして休日を過ごしていたら。
「……幸せだろうな」
ポツリと、言葉が漏れた。
それは無意識だった。
心の奥底に沈んでいた願望が、ブランコの揺れに乗ってこぼれ落ちてしまったような。
「えっ? 佐伯さん、なにか言いました?」
小日向さんがスマホを下ろして聞き返してきた。
俺はハッとして、顔が熱くなるのを感じた。
「えっ!? あ、い、いえ! なんでもないです! 天気がいいなって!」
「ふふ、そうですね。本当にいいお天気」
彼女は疑う様子もなく、またニコニコと陽菜に手を振った。
危なかった。
なんてことを口走ってるんだ、俺は。
彼女はただの親切な隣人で、俺は子持ちのおっさんだぞ。
そんなこと、望んでいい立場じゃない。
――けれど。
ブランコが止まるまでの間、俺の胸の高鳴りは、なかなか収まってくれなかった。
◇◆◇
公園からの帰り道。
遊び疲れた陽菜は、ベビーカーの中で熟睡していた。
「今日はありがとうございました。おかげで陽菜も楽しそうでした」
「いえ、私も楽しかったです。佐伯さんのブランコ動画、あとで送りますね」
「……変な顔してなかったかな」
「ふふ、とってもいいパパの顔でしたよ」
いいパパ。
その言葉が、くすぐったくて、少し誇らしかった。
俺たちは並んで歩いた。
会話が途切れても、気まずさはなかった。
むしろ、この沈黙が心地いいとさえ感じる。
ふと、歩道の段差でベビーカーが揺れそうになり、俺と小日向さんが同時に手を伸ばした。
「あっ」
俺の手の上に、彼女の手が重なった。
柔らかくて、温かい感触。
寝かしつけを教えてもらった時と同じ温度だ。
「す、すみません!」
彼女は弾かれたように手を引っ込めた。
耳まで真っ赤になっている。
「い、いえ、こちらこそ……」
俺も動揺して、視線を泳がせた。
ただ手が触れただけ。
それだけのことなのに、どうしてこんなにドキドキしているんだろう。
夕暮れの街に、二人の影が長く伸びていた。
ベビーカーを押して歩く二人のその影は、まるで夫婦みたいだった。
【プチ補足】
優真は運転免許を持っていますし、車も所持していますが、姉の事故の影響で運転することが怖くて出来なくなっています。
そのため、移動手段はタクシー(これもちょっと怖い)と電車、バス、徒歩です。




