25
詩さんのお父さんが心を開いてから一週間。
ある日の昼休み。
俺は玲奈に電話をかけていた。
『へえ! ついに付き合ったんだ! おめでとうお兄ちゃん!』
玲奈の明るい声が響く。
「ああ。お前の後押しのおかげだよ。ありがとうな」
『いいってことよ。……で? まさかノロケ話のためだけに国際電話してきたわけじゃないんでしょ?』
さすが妹、勘が鋭い。
「実は、次のステップに進もうと思ってる」
『次? デート?』
「いや。……結婚と、養子縁組だ」
電話の向こうで、玲奈が息を飲む気配がした。
『……結婚、養子縁組……か』
「……早いっていうのは自分でもわかってる。でも、これだけは譲れないんだ。陽菜の養子縁組と、詩さんとの結婚。……俺は、みんなで一緒に、ちゃんと家族になりたいんだ」
法的な親子になること。
法的な夫婦になること。
それを、一つの線として繋げたい。
『……ふーん。欲張りだねぇ』
玲奈は呆れたように、でもどこか嬉しそうに言った。
『まあ、お兄ちゃんらしいよ。一度決めたら一直線だもんね。……うん。いいと思う! 付き合ってる期間は短いかもしれないけど、恋人っていう形がなかっただけで、お兄ちゃんたちはずっと付き合ってたみたいなもんだし』
『お兄ちゃんたちなら大丈夫だよ』
「そうか。お前からそれが聞きたかったんだ」
『なにそれ? 自信がなかったってこと?』
「お前にそう言ってもらえることで決心できるのかもな」
『妹離れできてないじゃん』
「……かもな」
『ま、悪い気はしないけどさ。で? このあとどうすんの?』
「……これから専門家に会いに行ってみる」
『専門家?』
「ああ。俺が昔、仕事で世話になった弁護士だ。……ちょっと、いや、かなり癖のある男だけど、腕は確かだ」
『……そっか。うん。りょーかい。吉報、待ってるからね!』
通話を終え、俺はスマホをポケットにしまった。
深呼吸を一つして、ネクタイを締め直す。
これより向かう場所は、戦場ではないが、それに近い緊張感を強いられる場所だ。
◇◆◇
港区の一等地。
ガラス張りの高層ビルの最上階に、『冬月法律事務所』はあった。
国内でも五指に入ると言われる大手法律事務所だ。
受付で名前を告げると、すぐに奥の応接室へと通された。
重厚な革張りのソファ。窓からは東京タワーが一望できる。
待つこと数分。
重厚な扉が開き、一人の男が入ってきた。
仕立ての良いダークネイビーのスーツを完璧に着こなし、知的な眼鏡の奥から、鋭利な刃物のような視線を放つ男。
この事務所の最年少パートナー弁護士、有馬薫だ。
「……久しぶりだな、佐伯」
有馬は感情の読めない顔で、俺の前のソファに腰を下ろした。
「急な相談ですまない、有馬。忙しいところ時間を取らせたな」
「構わないさ。君が個人的な案件で俺を頼るなんて珍しいからな。仕事のトラブルか? それとも、訴訟沙汰か?」
「いや、もっと個人的で……重要な話だ」
俺は居住まいを正し、単刀直入に切り出した。
「姪の陽菜を、正式に養子に迎えたい」
有馬の眉が、わずかにピクリと動いた。
「……ほう」
「そして、交際している女性と結婚し、三人で新しい戸籍を作りたいと思っている。……そのための最短かつ確実なルートを教えてほしい」
俺は、これまでの経緯を簡潔に話した。
姉の事故死、未成年後見人としての現状。
そして、詩さんというパートナーの存在。
有馬は黙って俺の話を聞いていた。
時折、手元のタブレットに何かを打ち込みながら、その表情は能面のように崩れない。
話し終えると、有馬は眼鏡の位置を指で直し、冷徹な声で告げた。
「……未婚男性が、未成年の姪を養子にする。不可能ではないが、ハードルは高いぞ」
彼はタブレットの画面を俺に向けた。
そこには、過去の判例や家庭裁判所の審査基準が羅列されていた。
「家庭裁判所の審査は厳しい。特に、養親が独身男性の場合、養育環境、動機、経済力、そして『継続性』が徹底的に洗われる。……虐待のリスクや、将来の結婚による養育放棄の可能性を疑われるからな」
有馬の言葉は、鋭く核心を突いていた。
世間的に見れば、今の俺は「独身の子連れ(のようなもの)」だ。
いくら経済力があっても、社会的な信用という面では不安定に見られる。
「だが、君にはパートナーがいると言ったな」
「ああ。彼女は保育士で、陽菜も実の母親のように懐いている」
「ならば話は早い。一番スムーズなのは、やはり『婚姻』だ」
有馬は、テーブルの上で両手を組んだ。
「配偶者と共に、共同で養子縁組を行う形をとる。いわゆる『特別養子縁組』であれば、実の親との法的関係を終了させ、君たち夫婦の実子として扱うことができる。これなら、家庭裁判所の心証も全く違う」
「……やっぱり、そうか」
俺の仮説は正しかった。
俺単独で養子縁組をするよりも、詩さんと結婚し、夫婦として迎える方が、陽菜にとっても、そして法的にも最善なのだ。
「つまり、君が今すべきことは、裁判所への申立てではない」
有馬は、試すような目で俺を見た。
「その女性にプロポーズし、入籍することだ。……その覚悟は、あるのか?」
部屋の空気が、張り詰めた。
これは、法的な相談ではない。
男としての覚悟を問われているのだ。
有馬の瞳には、昏い光が宿っていた。
それは、ただの弁護士としての目ではない。
何か、深い執念のようなものを秘めた男の目だった。
「佐伯。単刀直入に聞くが」
彼は低い声で言った。
「その女性と子供のために、君は自分の人生の全てを賭ける覚悟があるか?」
威圧感。
並の人間なら、その気迫に押されて萎縮してしまうだろう。
だが、俺は違った。
その問いこそが、俺が自分自身に問い続けてきたことだったからだ。
「……あるよ」
俺は即答した。
迷いなんて、とっくになかった。
「彼女たちがいない人生なんて、もう考えられない。陽菜も、詩さんも。……俺の一部なんだ。失うくらいなら、俺の人生ごとくれてやる」
俺の言葉を聞いて、有馬は数秒間、じっと俺の目を見つめていた。
値踏みするような、魂の底を覗き込むような視線。
やがて。
有馬の口元が、ふっと緩んだ。
「……いい答えだ」
先ほどまでの冷徹な空気が霧散し、どこか人間味のある、穏やかな空気が流れた。
「俺も、妻と一緒になる時は手段を選ばなかった」
「え?」
「愛する人を守るためなら、男は多少強引なくらいでいい。……なりふり構わず、泥にまみれてでも掴み取る。それが、家族を持つということだ」
有馬は懐からスマホを取り出し、待ち受け画面をチラリと見た。
そこには、柔らかい笑顔の女性――彼の妻であろう人と、陽菜より少し小さい赤ん坊が写っていた。
あの冷徹な有馬が、こんなに優しい顔をするなんて。
「お前の子か?」
「ああ。息子だ。生後半年」
「可愛い盛りだな」
「全くだ。毎日癒されてる」
「……お前、変わったな」
「君もな、佐伯。……昔の君なら、『子供なんてコストの塊だ』と言い捨てていただろう」
「……違いない」
俺たちは顔を見合わせて、苦笑した。
似た者同士だ。
仕事人間で、効率厨で、感情なんて不要だと思っていた男たちが。
一人の女性と出会い、変わってしまった。
「分かった。書類作成から申立てまで、俺が全面的にバックアップしよう。家庭裁判所の調査官への対応マニュアルも用意してやる」
有馬は力強く言った。
「その代わり、結婚式には呼べよ? ……妻も、君の話に興味津々だろうからな。そういうのが好きな人だ」
「……なんだそりゃ」
「ふっ」
有馬は悪戯っぽく笑い、デスクの上のフォトフレームを指でなぞった。
そこには、大切そうに飾られた家族写真があった。
彼もまた、戦い抜いて、この幸せを手に入れたのだろう。
「ありがとう、有馬。恩に着る」
「礼はいい。さっさと行け。……まずは、指輪だろう? オススメの店、教えようか?」
「いや、自分で見つける!」
俺は立ち上がり、深く頭を下げて事務所を後にした。
エレベーターで地上へ降りると、外は茜色に染まっていた。
最強の味方を得た。
法的なルートは確保した。
ロジックは完璧だ。
あとは、俺の気持ちを伝えるだけ。
俺はスマホを取り出し、ジュエリーショップの場所を確認した。
心臓が、早鐘を打っている。
でも、それは不安からではない。
これから始まる未来への、期待の高鳴りだった。
「よし……行くか」
俺は雑踏の中へと駆け出した。
詩さんへのプロポーズと、陽菜の養子縁組という、人生最大のミッションを完遂するために。
【プチ補足】
今回登場した有馬薫という弁護士は、私の過去作のヒーローでもあります。
ご興味のある方はこちらも併せてお読みになられると、少し情報の厚みが増すかもしれません。
……この有馬夫妻(有馬家)は、今後、本編終了後の未来で、陽菜と深く関わったりするとかしないとか……。
▼有馬が登場する過去作はこちら▼
サレ妻、やめます。終わってるのはお前だよ。
https://ncode.syosetu.com/n7267ls/




