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【完結・連載版】亡き姉が残した「生後8ヶ月」の娘を引き取った俺と家族になってくれませんか?  作者: 文月ナオ


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 陽菜が生まれてから、365日。


 激動の日々を経て、ついにこの日がやってきた。

 陽菜の、1歳の誕生日だ。


「……よし。今回は完璧だ」


 俺はリビングを見渡し、満足げに頷いた。

 10ヶ月記念日の時の「株主総会」のような飾り付けの反省を活かし、今回は小日向さんの監修のもと、パステルカラーを基調とした可愛らしい装飾に仕上げてある。


「佐伯さん、ケーキの準備もできましたよ!」


 キッチンから、エプロン姿の小日向さんが顔を出した。

 その手には、食パンと水切りヨーグルトで作られた、赤ちゃん用のスマッシュケーキが乗っている。


「おお……すごい! プロの仕事ですね」


「ふふ、今日は特別な日ですから」


 小日向さんが微笑む。

 その笑顔を見るたびに、俺の心臓は心地よいリズムを刻む。

 同棲を始めてから、俺たちはもう「家族」のように暮らしている。

 けれど、まだ決定的な言葉は交わしていない。


 今日だ。

 俺は心の中で、強く念じた。

 今日、すべてを伝えるんだ。


 今日、終わらせる。この名前の無い中途半端な関係を。


「さあ、主役の登場ですね!」


 俺はベビーベッドから、フリルのついたピンクのドレスを着た陽菜を抱き上げた。


「陽菜、お誕生日おめでとう」


「おめでとう、陽菜ちゃん」


 俺たちが拍手をすると、陽菜は嬉しそうに手を叩き返した。


 その時だった。

 テーブルの上に置いていた俺のタブレットから、呼び出し音が鳴り響いた。

 画面には『実家(母)』の文字。


「お、母さんからだ」


「お祝いの電話ですね!」


 俺は通話ボタンを押し、陽菜を画面に向けた。


『あら、こんばんは! 陽菜ちゃん、お誕生日おめでとう!』


 画面の向こうで、母が満面の笑みで手を振っていた。


「母さん。父さんの具合はどう?」


『落ち着いてるわよ。今はもう寝ちゃってるけど、陽菜ちゃんの写真見て喜んでたわ』


「そうか、よかった」


 俺はほっと息をつき、隣に座っている小日向さんを画面に映り込ませた。


「……母さん。紹介したい人がいるんだ」


 母が目を丸くする。


『あら? そちらの方は……』


「あ、えっと……」


 小日向さんが緊張した面持ちで背筋を伸ばし、深々と頭を下げた。


「初めまして。同じマンションに住んでおります、小日向詩と申します。……いつも、優真さんにお世話になっております」


『小日向さん……ああ! 玲奈がいつも話していた、陽菜ちゃんのことを手伝ってくださってる方ね?』


「は、はい。……あの、それと……」


 小日向さんが俺の方をチラリと見る。

 俺は頷き、母に向かって言った。


「母さん。紹介するよ。……俺の、大切な人だ。今、一緒に暮らしてる」


 一瞬の間の後。

 母の顔が、パァァっと輝いた。


『まあ……! まあ! そうなの!? 玲奈そんなことなんにも言ってなかったのに……!!』


「母さん、声大きいって……」


『だってあんた、仕事ばっかりで全然浮いた話がないから心配してたのよ! そう……小日向さん、優真のこと、よろしくお願いしますね。不器用で可愛げのない子ですけど』


「ふふ、そんなことありませんよ。とっても優しくて、頼りになる方です」


 小日向さんが自然に笑って答えてくれた。

 母もすっかり安心したようで、画面越しに何度も頷いている。


「中々行けなくてごめん、母さん。色々忙しくてさ。でも、落ち着いたら三人で顔見せに行くよ」


『無理しなくていいよ。いつでもいいから。……あんたたちが幸せなら、それが一番の親孝行だからね』


 母の言葉が温かい。


「……あ、そういえば、玲奈のやつはどうだった? 実家に帰ってただろ?」


『あー、なんか、浮かれてたよ』


「「浮かれてた?」」


 俺と小日向さんの声が重なる。

 あいつが、浮かれていた?


『あの子が帰ってくるっていうから、地元の友達で集まったみたいでね。いい出会いがあったみたい』


 俺たちは顔を見合わせた。


「あ、あいつが、恋愛!?」


『マサくんって覚えてる? 玲奈が小学生の頃、イジメられてたのを助けてあげた男の子』


「……あー、たしか、通学路が一緒だったんだっけ?」


 記憶の糸を手繰り寄せる。

 確か、ひ弱で大人しい男の子がいて、玲奈がよく面倒を見てやっていたような……。


『そうそう。玲奈が傷だらけで帰ってきた時あったでしょ? あの時、マサくんをいじめっ子たちのグループから助けたみたいで。それでマサくんはずっと玲奈に惚れちゃってたみたいなのよ』


「なんか、すごいエピソードですね……」


 小日向さんが目を丸くして驚いている。


『そうなのよぉ。あの子昔っから喧嘩っ早いところあってねぇ? でも、よかった。マサくんもすごく立派になって、いい子になったみたいでね。留学が終わって帰ってくるまで玲奈を待ってるって』


「ほー……あいつはあいつで、ここを出てって良かった、ってことか」


 俺たちの仲を取り持って、颯爽と去っていった妹。

 その先で、自分自身の幸せも見つけていたとは。


 ちゃっかりしてる。


「ふふ。ですね」


 小日向さんも嬉しそうに微笑んだ。


『というわけで、こっちは心配いらないわよ。優真も、詩さんも、陽菜ちゃんのことよろしくね』


「ああ。任せてくれ」


「はい。お会いできる日を楽しみにしています」


 通話を切ると、部屋にはさらに温かい空気が満ちていた。

 母に認められたこと。玲奈が幸せそうであること。

 そして、隣に小日向さんがいてくれること。


「……よかったですね、優真さん」


「はい。……さて、気を取り直して。パーティーの続きと行きますか!」


「はい! 陽菜ちゃん、ケーキ食べようね!」


 それからは、笑い声の絶えない時間だった。

 陽菜がケーキを手掴みで食べてクリームまみれになったり、選び取りカードで迷わず『おにぎり』を選んで大笑いしたり。


 時間が経つのが惜しいくらい、幸せな一日だった。




 ◇◆◇




 夜が更け、遊び疲れた陽菜が眠りについた頃。


 俺と小日向さんは、キッチンで並んで洗い物をしていた。

 水の流れる音と、食器が触れ合う音だけが響く静かな時間。

 泡のついたスポンジを動かしながら、俺は隣の彼女の気配を感じていた。


 この距離感が、たまらなく心地いい。

 でも、このままじゃいけない。


 母さんにも「一緒に暮らしてる」とは言ったが、明確な言葉はまだ伝えていない。


 俺は水を止め、タオルで手を拭いた。


「……小日向さん」


「はい?」


 彼女が洗い物の手を止めず、顔だけこちらに向ける。


「俺、陽菜を引き取って、本当によかったと思ってます」


 俺の真剣な声色に気づいたのか、彼女は水を止め、俺に向き直った。


「……最初は、意地でした。親族への反発と、姉ちゃんへの義務感と、こんなに可愛い赤ちゃんを、施設送りにしようとするのが許せなくて。……それで、ロジックさえあれば俺なら育てられるなんて、傲慢なことを考えていました『陽菜幸せ計画』なんて大層な名前までつけて」


 俺は自嘲気味に笑った。


「でも、現実は違った。俺一人じゃ、陽菜を幸せにするどころか、日々の生活さえままならなかった。……俺が潰れずに、こうして今日という日を笑って迎えられたのは……あなたがいてくれたからです」


「私は……少しお手伝いをしただけですよ。佐伯さんが頑張ったからです」


「いいえ。あなたが救ってくれたんです。……あの閉め出された夜も。そして、これまでも」


 俺は一歩、彼女に近づいた。

 心臓が、早鐘を打っている。

 でも、伝えなきゃいけない。


「小日向さん。俺……あなたが、好きです」


 ストレートな言葉。

 小日向さんが、ハッとして目を見開く。


「えっ……」


「陽菜のためとか、育児のパートナーとしてとか、そんな建前はどうでもいい。俺自身が、あなたとずっと一緒にいたいって思ったんです」


 俺は彼女の手を取った。

 水仕事のあとで、少し冷たくて、でも柔らかい手。


「あなたと、陽菜と、三人で過ごす時間が……俺にとって、何よりも尊いものだと感じてしまった。あなたがいない未来なんて、もう考えられないんです」


 小日向さんの瞳が潤み始める。

 その頬が、朱に染まっていく。


「俺は、不器用だし、仕事人間だし、まだまだ父親としても半人前です。あなたに甘えてばかりで、情けないところもたくさん見せました。……でも」


 俺は彼女の目を真っ直ぐに見つめ、力を込めた。


「あなたを幸せにしたいという気持ちだけは、誰にも負けません。あの夜、俺はあなたに救われました。……今度は、俺があなたを守らせてください」


 俺は、万感の思いを込めて、あの日――初めて彼女の部屋でご飯を食べた夜には言えなかった言葉を、今度は違う意味を込めて告げた。


「子持ちの、30過ぎのおっさんですけど……俺の恋人になってくれませんか」


「……そしていつかは、俺と陽菜の家族になってくれませんか」


 静寂が落ちた。

 時計の秒針の音だけが、チクタクと響く。


 小日向さんは、ポロポロと涙を流していた。

 そして、泣きじゃくりながら、でも満面の笑みを浮かべて、何度も頷いた。


「……はいっ……!」


 震える声が、俺の鼓膜を震わせる。


「私も……私も、そうなれたら嬉しいなって……ずっと思っていました……!」


「小日向さん……」


「……詩、です」


 彼女が、涙を拭いながら言った。


「名前で、呼んでください。……私の大切な人に……あなたに、そう呼んで欲しいんです」


「……う、詩……さん」


「はい。……優真さん」


 名前を呼ばれた瞬間、俺の理性のタガが外れた。

 たまらなくなって、彼女を強く抱きしめた。


「……っ、必ず、幸せにします。絶対に」


「はい。……ちゃんと幸せにしてくれないと、私が癇癪起こしますよ?」


 腕の中の温もりが、俺の心を満たしていく。

 俺は体を離し、彼女の濡れた瞳を見つめた。

 ゆっくりと顔を近づける。

 彼女がそっと目を閉じる。


 唇が重なった。

 柔らかくて、少ししょっぱい、涙の味がした。

 誓いのキス。


「……まん、ま」


 ふいに、リビングの方から可愛い寝言が聞こえた。


 俺たちはビクッとして唇を離し、顔を見合わせた。

 そして、ソファの方を見る。

 陽菜が、夢の中で美味しいご飯でも食べているのか、口をモグモグさせながら寝返りを打っていた。


「……ふふっ」


「……ははっ」


 俺たちは声を殺して吹き出した。

 なんてタイミングだ。

 でも、それが俺たちらしくて、最高に愛おしかった。


「どんな夢を見てるんでしょうね?」


「きっと楽しい夢ですよ。ほら、笑ってる」


「あ、ほんとだ! 可愛い! 優真さん、写真写真!」


「あ、そっか!」


 俺は慌ててスマホを取り出し、幸せそうな寝顔を写真に収めた。

 その隣で、詩さんが優しく微笑んでいる。


「あ、やば……! 容量がなくてもう写真撮れない!」


「えっ!? じゃあ私の方で……あ、わ、私も……」


「なんか消さないと……」


 ふたりでカメラロールを見る。


 その写真や動画を見て、思い出話が始まる。


 動画を撮ることも忘れて、夢中で話す。


 そして、ふとした時に、キスをする。


 何度も、何度も、これまでの愛を確かめ合うみたいに、深く、熱く、甘く、尊いキスをする。


「なんだか……照れます」


「……俺も。でも……もっとしたいです」


「優真さん……」


 今日はきっと、このキスはやめられない。


 俺たちふたりを止められるとしたら、それは陽菜だけだ。


 スマホが容量の限界を告げている。


 けれど、容量を空けることなんてできない。


 消していい思い出なんて、ひとつも無いから。


 姉ちゃんが命をかけて残してくれたこの宝物。

 そして、神様がくれた最高のパートナー。


 俺は、この二人の笑顔を、一生守り抜く。

 そう、心に誓った。

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