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【完結・連載版】亡き姉が残した「生後8ヶ月」の娘を引き取った俺と家族になってくれませんか?  作者: 文月ナオ


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 レストランを出ると、夜風が火照った頬に心地よかった。


 行きはあんなに遠く感じた帰り道が、今はひどく短く感じる。

 俺と小日向さんは、肩が触れそうな距離で並んで歩いていた。


「……よかった」


 小日向さんが、夜空を見上げながら呟いた。


「私、本当に……もうダメだと思ってましたから。今日が最後なんだって、覚悟してました」


「すみません。俺の配慮が足りなくて」


「……私も、勝手に恋人だって決めつけて、早とちりしちゃいましたから……。でも、妹さんでよかったです。……すごく、安心しました」


 彼女が俺を見て、花が咲くように笑った。

 その笑顔を見たら、胸の奥がギュッと掴まれたようになった。


 不安にさせて、泣かせてしまったけれど。

 その涙の理由が「俺を失うのが怖かったから」だという事実が、不謹慎ながら嬉しくてたまらなかった。


 俺の左手と、彼女の右手。

 歩くたびに、手の甲が微かに触れ合う。


 今なら、許されるだろうか。

 いや、許されたい。


 俺は意を決して、そっと彼女の手を包み込んだ。


「あ……」


 小日向さんの肩が跳ねる。

 でも、彼女は手を振りほどかなかった。

 それどころか、少し躊躇ってから、俺の手をギュッと握り返してくれた。


 小さな手。

 でも、とても温かい手。


 言葉はなかった。

 ただ、繋がった手のひらから、お互いの鼓動が伝わってくるようだった。

 俺たちは、マンションまでの道のりを、ずっと手を繋いだまま歩いた。


 火照りを冷ますように。




 ◇◆◇




 マンションのエントランスを抜け、エレベーターで21階へ。

 廊下を歩く間も、繋いだ手は離さなかった。


 2102号室の前まで来ると、中からバタバタという足音が聞こえ、勢いよくドアが開いた。


「おっかえりなさーい!!」


 満面の笑みを浮かべた玲奈が、仁王立ちで待ち構えていた。

 そして、俺たちの繋がれた手を見て、ニヤリと口角を上げる。


「おっ! やるじゃんお兄ちゃん! ミッションコンプリートって顔してるね〜」


「……お、お前さぁ! 恥ずかしいからそういう感じやめてくれよ!」


 俺は少し気恥ずかしくなって、でも手は離さずに言った。

 小日向さんは顔を真っ赤にして、俺の後ろに少し隠れるようにしている。


「い……妹さんの、玲奈さん……?」


 小日向さんが恐る恐る尋ねる。

 玲奈は姿勢を正し、ペコリと頭を下げた。


「はい! 兄がお騒がせしました、実の妹の佐伯玲奈です! この前は変な態度とっちゃってすみません! そういうつもりじゃなかったんですけど……」


「い、いえ! 私こそ、失礼な態度を……」


「全然! むしろ、兄のためにあんなに動揺してくれるなんて、妹として感謝感激ですよ」


 玲奈は屈託なく笑うと、部屋の奥を指差した。


「ささ、立ち話もなんですし、入ってください! 陽菜ちゃんも待ってますよ!」


「お前の部屋みたいに言うなよ……」


 促されて、俺たちは部屋に入った。

 リビングでは、陽菜がベビーサークルの中で遊んでいた。

 俺たちの顔を見るなり、「だー!」と手を伸ばしてくる。


「ただいま、陽菜」


「陽菜ちゃん、久しぶり! お留守番えらかったねぇ」


 小日向さんが駆け寄って抱き上げると、陽菜は嬉しそうに彼女の胸に顔を擦り付けた。

 その光景を見て、玲奈が俺の脇腹を肘で突いてくる。


「ねえ見てよあのお母さん感。もう家族じゃん」


「……ああ」


 否定できなかった。

 いや、否定したくなかった。




 ◇◆◇




 その後は、玲奈のマシンガントークが炸裂した。

 留学先での失敗談、俺の子供の頃の恥ずかしいエピソード、そして姉ちゃんとの思い出話。

 小日向さんは、時折笑い、時折涙ぐみながら、玲奈の話を聞いてくれた。


「へえ、佐伯さん、昔はサッカー少年だったんですね」


「そうなんですよ! 今じゃこんな理屈っぽい仕事人間ですけど、昔は泥だらけになって走り回ってたんですから!」


「余計なことは言わなくていい……」


 俺が苦虫を噛み潰したような顔をすると、二人が顔を見合わせてクスクスと笑った。

 リビングに、温かい笑い声が満ちる。

 陽菜もつられて、キャッキャと笑っている。


 幸せだ。

 心から、そう思った。


 しばらくして、時計の針が23時を回った頃。


「あ、もうこんな時間。……すみません、長居しちゃって」


 小日向さんが時計を見て立ち上がった。


「いえいえ、こちらこそ引き止めちゃって。またいつでも来てくださいね! 私しばらくここに居座る予定なんで!」


 玲奈が手を振る。


「はい。また、遊びに来ます」


 小日向さんは玲奈と陽菜に別れを告げ、玄関へと向かった。

 俺はその後を追う。


「送っていきます」


「ふふ、隣の隣ですけどね」


 廊下に出ると、ひんやりとした夜気が肌を包んだ。

 2102号室から2104号室までの、わずか数メートルの距離。

 それが、ひどく名残惜しい。


 彼女の部屋の前で、足が止まる。


「……今日は、本当にありがとうございました」


 小日向さんが、改めて頭を下げた。


「妹さんにお会いできてよかったです。とっても明るくて、素敵な方ですね」


「あいつが騒がしくてすみません。……でも、誤解が解けてよかった」


「はい。……私、本当にホッとしました」


 彼女が上目遣いで俺を見る。

 その瞳が、廊下の照明を受けて潤んでいるように見えた。


「佐伯さん」


「はい」


「あの……手」


 彼女の視線が、俺の手に落ちる。

 帰り道で繋いでいた手は、部屋に入ってからは離してしまっていた。


「……また、繋いでもいいですか?」


 消え入りそうな声での、精一杯のお願い。

 理性が吹き飛びそうになるのを必死で堪えて、俺は彼女の手を取った。


「いつでも。……小日向さんが嫌じゃなければ」


「嫌じゃ、ないです。……嬉しい、です」


 彼女の指が、俺の指に絡まる。

 恋人繋ぎ。

 体温が直接伝わってくる。


「……おやすみなさい、佐伯さん」


「おやすみなさい……小日向さん」



 彼女は今までで一番幸せそうな笑顔を見せてくれた。


 ドアが閉まるその瞬間まで、俺たちは見つめ合っていた。


 俺はしばらくその場に立ち尽くし、自分の手のひらに残る温もりを確かめてから、ゆっくりと自分の部屋へと戻った。


 扉を開けると、ニヤニヤした顔の玲奈が待ち構えていた。


「すぐ隣じゃなかったっけ? 随分長いお見送りだったね」


「……いいだろ、別に」


「思った通り、素敵な人だった。小日向さん」


「……だろ?」


「あの人なら、安心して陽菜ちゃんを任せられるよ」


「俺より懐いてる気がして、パパとしては複雑だけどな」


「……それと、お兄ちゃんのこともね」


「……!」


「……で? キッスは? した?」


「してない!」


「なーんだ。やっぱりヘタレか」


「お前俺に恨みでもあるのか?」


「陽菜ちゃん、パパもまだまだでちゅね〜」


 こうして、長い長い誤解とすれ違いの週末は、最高の形で幕を閉じた。


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