旧石器時代から縄文時代
過剰な水分を取り、痩せることをもくろむ、台湾の美しい女優さんは一日に5リットル水を飲む。
海洋生物のような生活をしたら、やせるのではないだろうか、餌を与えられすぎた家畜の生活から抜け出て、目の前にある獲物を追う生活を始めたら。
人間は旧石器時代、マンモス・オオツノシカを追って、その日の食糧を集落の男全員で狩し、肉を分けって生活していた。肉をとり火で焼きかぶりつく。肉がそこを付けばまた狩に出かける。動物が季節により移動を行えばそれに伴う移動生活、テント式の家が主流だった。氷河期と間氷期が交互に訪れていたため、寒い地域にしか住まわないマンモスなどが存在したのだ。この更新世と呼ばれる時期は終わりを向かえ、急激な温暖化が起こる、そして完新世へと変わっていくと、マンモス・オオツノシカが日本に住めなくなり、消滅。食い物に困った人々は、マンモスの餌になっていた、中小動物に狙いを定めた。小さな動物を狩るために、石を研磨した、先のとがった鋭利な武器も開発された。そしてこの時代から人間らしい、小細工たっぷりの生活が始まる。
中小動物を狩る傍ら、木の実とかも食べ始めたのだ。しかし、生えて木の実が全部そのまま食べられる代物ではなかったため、火を入れたり、すりつぶしたりするような工夫がされた。そのため火にかける器ができた、赤土で作る土器である。なんかダッシュ村みたいな感じを創造してもらえればよい。
自分たちが欲しいものを開発していったのだ。
この時代の人間から、今の人間への変化はあまりない。たぶん前者のほうが感情表現が乏しいだろうが、生きることが目の前にあるぶん、ずいぶん生命力はあった。
ああ、大きな違いがあった、このころの人々には貧富とかの考えがない。
それは、大きい違いでしょ。お金が出てくんのは天皇制が始まってしばらくたってからだし。この時代には米もないんだよね。
でも割と人間味はある、たとえば死者の埋葬ね。この自然化から直で生活を得ていたころは、今で言う神様、仏様は、全部自然の中にあったの。植物とか風とか雨とか、あと動物にも。信仰というよりは現実っぽいよね。現実にあるから、食べられるし、認識できる。あるいみ現実主義てか?
その中でも、人間は死んでもなお動くのではないかってくらい生命力とか、存在感が強かった。穴を掘って埋葬しても、動くんじゃないかって思ったから、身動き取れないように、足と手を折り曲げて埋めた。これなら多分動けないから。こんな考え方をアニミズムって言った。無信仰とかいってる人には、割とこんな考え方があってたりしてね。水は水であって、だから尊い。誰かから、与えられたからではなく、そこにあるから。
こんな生活は長寿命じゃないし、危険だし。多分感情も込み入ってない。でも、生命に近い。
途中ですが、放置すると更新をわすれるので、投稿してます。