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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

短編ホラー

かたはらい

作者: 壱原 一

覚えている限り最も古い記憶は、草臥れて少し毛羽だった服と、その奥の柔らかく温かい肩、呼吸や発声に微動する首から顎の稜線に、洗剤と人の肌の入り混ざった有機的でおっとりしたにおいです。


親と思しき大人の胸に縦の俯せで抱かれている記憶です。


当時、自分のすぐ近くで音が立ったり、無軌道に物影が動いたりする時、それらが自らの発した声や四肢の運動等の場合があると今ひとつ察せていませんでした。


自分に発声や運動の為の器官や機能が備わっていると分かっていなかったのです。


自分が今ここに在ると本能的に感じられるのは、専ら自身を抱いてくれる腕の中で、とんとん背中を叩いたり、ふわふわ膝のバネで跳ねたり、あるいはまた胴を捻ってゆらゆら揺らしたりしてもらっている間だけです。


そうした干渉が無くなると、途端に自身の感覚が融解し、散って、薄まって消えてゆくようで、原初の恐怖に巻かれては全身全霊で泣き叫び、気が済むか意識を消失するまで自身の体感の継続を希求し続けていました。


幾らか長じて、「どうもこれらの音や物影は自らが操作しているらしい」と驚きと喜びを以て覚り始めるにつれ、自身の存在感は確かになってゆき、泣き叫ぶ事は減りました。


けれど同時に、何がどうあっても自らが操作できない「自分でないもの」が在るとも判じられるようになってゆきました。


例えば暑さ寒さや空腹、興味があったり邪魔だったりするのに動かせない寸法や重さの物などです。


この「自分でないもの」が自分に不快を齎す時、もう大変に絶望的で、我慢がなりません。


従って結局ひき続き、それまで自身の存在を叩いたり跳ねたり揺らしたりして確かめさせてもらっていたように、どうにか不快を取り除いてもらおうと身も世もなく泣き叫んで、そうすれば訪れてくれる筈の「自分でないもの」すなわち大人の到来を待ち望んで対処していました。


今でも良く覚えています。


あの頃、親と思しき大人の胸に縦の俯せで抱かれつつ、最も頻繁に「どうかこれを取り除いてくれ」と繰り返し泣き叫んだ、何よりも不快な「自分でないもの」の筆頭は、安らかで堅固な肩越しに、ぴたりと張り付いて伸び上がり、天を覆って此方を見下ろす黄色黒くて縦に長い人の顔めいた大きいものです。


物心ついてから思い返すと、あれはきっと実際にまだ年若い人の顔で、中に何か不要なものを一方的に流し込み続けられて、内側から際限なく引き伸ばされているものです。


まだ生きている自覚があるので汗や皮脂や涙や唾液が出て表面が垢に黒ずみ、時と共に古い皮膚のように硬く厚く黄味を増しているものです。


摩耗してなくなる事を想定されていないので、あんな風に際限なく伸ばされて、瞬きも鼻を引くつかせも口を動かせも眉を寄せも出来なくなりながら、「もしかして、この後ろ姿の腕の中で縦に抱かれてあやされているのは嘗ての自分か幼いきょうだいではないか」と無意味に確かめに来るものです。


幾度「違う」と確認しようと、何度でも忘れて確かめに来る、近場に本来の居場所があって、「此処に居てね」と願う人がもう居らず、辺りを自由に徘徊しているだけのものである事が明らかです。


完全に陽の当たらない乾いた涼しい所に居ると思います。ある程度うえに伸びると天井に沿って鼻梁部で谷折りに湾曲し、乾燥してくしゅっとなったトランポリンサイズの煮干しのような目でじっくり見下ろされている時、そう強いにおいはしませんでした。


数年前、犬を家族に迎えて気付きましたが、おやつ用の無添加の馬や牛の蹄のようなにおいです。


あの人の顔めいた大きいものは、まだ世の中の物事が良く分からない子供にしてみると急に現れるし近いし迫力があるし意図が読めないので結構不快なものです。


けれど我が子を自身の胸に抱いている折、子が此方の肩越しに視線を定め、真っ赤に身を捩って泣き叫び続けている時に、自身の肩をさっと払うと落ち着いて泣き止むため、割と簡単に去ってくれるようで、そう困ったものでもなさそうです。


子供を胸に縦の俯せで抱いている時、何故か肩越しに宙を見て泣き止まないなら、覗かれている例もあるでしょう。


その際は、うっかり触ったり、しゃぶり付かれたりしないよう、出来るだけ肩に手を沿わせ、最小限の動きで、静かに肩を払ってみるのも1つの案だと思います。



終.

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