浮気した元婚約者を見返すために悪役令嬢を辞めたら、隣国の王子に溺愛されて政略結婚のはずが白い結婚どころか真っ赤に愛されてしまった件
婚約破棄の瞬間、私の人生は静かに終わったと思っていた。
「リリアーヌ・ヴァルトハイム! おまえのような悪辣な女と婚約を続けるわけにはいかない!」
人々が集う夜会の中心で、かつての婚約者アーネストがそう叫んだのは、昨日のこと。彼の隣には、涙ぐんだ聖女クロエがいた。
「私は……リリアーヌ様にいじめられて……!」
違う、そんな事実はない。けれど彼は信じなかった。いや、信じるつもりもなかったのだろう。
私は舞踏会場で孤立し、社交界からも追放された。家は没落し、母は病に倒れ、父は怒りにまかせて私を勘当した。
悪役令嬢。
そう呼ばれていた私が、ただ一人、静かに領地へと帰る途中で、運命は大きく動き出した。
「お乗せしましょうか、リリアーヌ嬢」
金色の髪に瑠璃色の瞳。堂々たる風格と、見惚れるほど整った容姿を持つ男が、馬車を停めた。
「……あなたは?」
「私はロイ・レオンハルト。隣国レオンハルト王国の第一王子です」
それが、すべての始まりだった。
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「政略結婚、ですか?」
「表向きはね。でも、僕は君に一目惚れだった」
王子ロイは笑ってそう言った。私は驚いた。かつて婚約者に裏切られ、ただ道具のように扱われた私に対して、彼は対等に向き合い、敬意を払ってくれた。
「僕はね、君の噂を聞いていた。だが、それが嘘だとすぐに分かったよ」
「なぜ、そこまでして……?」
「君の瞳は、誰にも媚びていない。だが、誰かを大切にする優しさがある。僕の目は誤魔化せないよ」
そう言って、彼は私の手を取った。
――私は、白い結婚を望んでいた。愛も期待せず、ただ静かに余生を過ごせればいい。
でも、彼はそれを許してくれなかった。
「リリアーヌ。君はもう、誰にも傷つけさせない」
ロイは、あの夜のように、強く私を抱きしめた。
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やがて、婚約破棄の報せが国境を越え、王都をざわめかせた。
「レオンハルト王国の王子が、ヴァルトハイム令嬢と結婚!? なぜ、あの"悪役令嬢"を?」
クロエとアーネストは憤った。特にアーネストは、自分が捨てた女が隣国の王子と結婚するなど許せなかったのだろう。
そして彼らは、侮辱と中傷を繰り返した。
「リリアーヌは、隣国の国家機密を盗んだ!」
「聖女クロエが予言したのです! 彼女はこの世を乱す魔女だと!」
だが、そのたびにロイは動いた。
「我が国に対する名誉毀損、ならびに王妃に対する中傷と認め、正式に抗議する」
彼は隣国の大使館を通じて、正式な外交ルートで抗議文を送り、周囲の貴族や記者たちを一掃した。
「必要ならば、戦争も辞さない」
その一言で、帝国は沈黙した。
アーネストとクロエは国外追放となり、二人の悪行の数々も暴かれた。聖女の地位は剥奪され、彼らの名は二度と歴史に残らないとすら言われている。
私は、復讐を果たした。
いや、正確には――ロイが、私の代わりに剣を振るってくれた。
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結婚式の日、私は純白のドレスに身を包み、鏡の前で深く息を吐いた。
「リリアーヌ、緊張しているのか?」
「少しだけ。でも、あなたがそばにいてくれるなら、大丈夫よ」
「じゃあ、今日からはずっとそばにいる。君の夫として、王子として、そして、愛する人として」
その言葉が、私の胸に深く染み込んだ。
かつて、私は悪役令嬢だった。
人に嫌われ、誤解され、利用されて、すべてを失った。
だが、今――私は愛されている。
誰よりも強く、真っ直ぐに、誠実に。
誓いの口づけを交わすその瞬間、私は過去の傷をすべて手放した。
そして、新しい人生が、彼と共に始まったのだ。
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その後、リリアーヌとロイは穏やかな王宮生活を送りつつも、外交の舞台では無敵の夫婦として名を馳せた。
「リリアーヌ様って、本当に悪役令嬢だったの?」
「え? ただの聡明で優しい王妃様じゃないの?」
そんな声が広がるたびに、リリアーヌは微笑むだけだった。
なぜなら、彼女の背には、王国すら動かす"最愛の王子"という絶対の味方がついているのだから――。
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春の終わり、王宮の庭園に柔らかな陽が差し込む中、私はそっとお腹に手を添えていた。
「……生きてるのね。あなたが」
新緑の香りに包まれた静かな午後。鼓動のような、微かな胎動が感じられた瞬間――私は思わず涙を零していた。
「リリアーヌ」
その声と共に、後ろから温かな腕が私の肩を包み込む。
「ロイ……」
「顔色が優れないって報告を聞いて、心配で急いできた。大丈夫か?」
私は頷き、彼の胸に顔を埋めた。
「初めてなの。こんなに幸せで、怖いって思ったの……」
「怖がらなくていい。君と、この子は僕が必ず守る」
そう囁く彼の声は、いつも私の不安を溶かしてくれる。
ロイ・レオンハルト――隣国の王子であり、今は私の夫。
婚約破棄という絶望の淵で出会い、私を権力で、愛で、徹底的に守り抜いた彼。
その彼の子を、私は今、宿している。
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懐妊が正式に発表されると、王宮は歓喜に沸いた。
「悪役令嬢」と蔑まれた私への視線も、今や「未来の王妃」としての敬意に満ちている。
だが、すべてが穏やかに進むわけではなかった。
「クロエとアーネストが、帝国に身を寄せたと?」
「はい。復権を狙って、王家に取り入ろうとしているようです」
ロイの顔が険しくなる。
「リリアーヌに手を出そうものなら、ただでは済まさない」
「でも……私はもう、彼らを恐れてないわ。あなたが、そばにいるから」
私は微笑みながら言った。
過去に囚われるよりも、未来を見つめたい。私たちの子のためにも。
それでも、ロイは万全の備えを整えてくれた。
侍女には信頼できる者だけを残し、医師団は帝国随一の腕を持つ者で固め、王妃の部屋には一日中、警護の騎士が立つ。
「この国で、君と子供を傷つけられる者はいない。僕がそうしたんだ」
それは決して驕りではなく、愛の形だった。
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やがて秋風が吹き始めたころ、私は臨月を迎えた。
重くなった身体を抱えながらも、ロイは毎晩私の脚を優しく揉み、髪を梳いてくれた。
「大丈夫。君は強いし、この子も、君に似て強い」
「それ、ロイに似てるんじゃない?」
「いや、僕の方が君に似たくて必死なんだよ」
くすっと笑うと、彼も笑った。
「ねえ、ロイ。男の子だったら、あなたのように優しい人に。女の子だったら……私のように強く、でも優しく育てたい」
「どっちでも構わないさ。愛するだけだ」
そして、運命の日が訪れた。
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深夜、突然の痛みで目を覚ました私を、すぐさま駆けつけたロイが抱き上げた。
「リリアーヌ!」
「……来る……もうすぐ……!」
慌ただしく医師団が駆けつけ、助産師たちが整えた産室に運ばれる。私は何度も意識が飛びそうになった。
「リリアーヌ! 僕がいる。大丈夫、君はできる!」
ロイの手が、ずっと私の手を握っていた。
汗に濡れた額を何度も拭ってくれた。叫ぶ私に、「怖くない、君は僕の誇りだ」と何度も何度も。
そして――
「おぎゃあっ……!」
小さな産声が、部屋に響いた。
「おめでとうございます。元気な男の子です」
私の胸に抱かれた小さな命。その頬は紅く、泣き声は力強く――
「ロイ……私、母になったのね……」
「君は世界で一番素敵な母親だよ。そして、この子のために僕はもっと強くなる」
涙が、止まらなかった。
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名前は、レオンと名付けられた。
父の名「レオンハルト」から一文字を取り、"誇りある獅子"の意味を持つ名だ。
「おーい、レオン。ほら、またお父様の髪の毛を引っ張ってるぞ!」
「うう、君に似て握力が強すぎるんだ……」
生後半年、レオンはますます元気に育ち、乳母も手を焼くほどのやんちゃぶりを見せている。
それでも――
「この子が生まれて、私、本当に救われた気がするの」
「君も、僕も、そしてレオンも――皆が生まれ変わったんだよ」
家族になった。愛されて、愛して。
かつての「悪役令嬢」は、今では王宮で一番温かな家庭を築く王妃となった。
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レオンが三歳になった頃――
「ママぁ、パパの剣、ボクもほしい!」
「あなたはまだ王子様なんだから、剣よりお勉強が先ですよ?」
「でもママも魔法みたいだったんでしょ?」
「それは……昔の話よ」
笑う私の後ろで、ロイがふっと囁いた。
「魔法じゃないさ。君の強さと優しさが、すべてを変えた」
私は思う。
――あのとき、婚約破棄されなければ、こんな幸せはなかったかもしれない。
私は確かに、悪役令嬢だった。
けれどそれは、愛を知るための通過点だったのだと。
今では胸を張って言える。
「私は、愛されている。そして――幸せだ」と。