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モンスターエンカウント

 ――――遭難三日目。


 魔界制限自治領


 マジェラ樹海南部。アパポリス川跡。時刻は朝。天気は快晴。


 ゆっくりと体を起こすと、バキバキと体中から音が鳴り響いていく。


 シロロンは相変わらず朝に弱いのか、まだ眠っていた。ハンモックからはみ出た白い尾がゆらゆらと揺れている。


「……こいつは警戒心がないのか?」


 ユミフネは呆れるようにぼやいたが、シロロンは小さな寝息を立てて起きる様子もなかった。つついても起きない。


 同行者が敵兵であることも、男であることも忘れた様子で無防備に爆睡していた。


 ようやく目を覚ましたのは、ユミフネがせこせこと朝露を集め煮沸し終えた直後だった。


 彼女は犬歯を露わにしながら大きな欠伸をかくと、ジトリと疲弊した眼差しを向けてくる。目は赤らんでいて、昨夜すすり泣いた痕が無様に残っていた。


「……お腹空いた」


「俺もだ。……飲むか? 気は紛れる」


 当然のことだが、初日ほどの元気もなく、シロロンは小さく頷くと、ゆっくりと、噛みしめるように朝露を飲み干していった。


「感謝はしないがね。お互い助け合うのは生き残るうえで仕方なくだ」


「それでいいよ。いちいちありがとうだのごめんなさいだの、面倒だ。じゃないとお前みたいなやつは一日中俺に感謝と謝罪をすることになる」


「やっぱお前嫌い……」


 シロロンは犬歯を軋ませて険しく睨んだ。


 ぼやきながらも、少しの水で得た気力で荷物を纏め直していく。


 余計な弱音はもうなかった。……これでも二人とも軍人だ。


 それも竜騎士ドラゴンライダー複葉機操縦者パイロット


 エリートの部類だ。


 ハンモックをしまい、焚き火から炭を集め、ナイフを握り締める。干上がった川を上るように移動を開始した。


 シダばかりが生い茂る密林の中心を突っ切っていくよりかは、かつて川だった場所を遡上していくほうが数倍も楽かと思ったが。


 頭上を覆う枝葉がないせいで陽光は燦燦と突き刺してくる。


 すぐに大量の汗が滲み始めてくるし、足元は酷くぬかるんでいるか、岩だらけでどちらにしても歩きづらい。


「これなら密林のほうがマシではないかね……?」


「蛇を注意する手間が省けるだろ」


「そうだがねぇ……」


 うだるような蒸し暑さにシロロンは服をパタパタと仰ぎ呻いた。


「っ!!?? 虫入った!! 虫入った!! 取ってくれ!!」


 シロロンは情けない声をあげて激しく身悶えるとジャケットごとインナーを持ち上げて、華奢な腹部と柔らかな胸を躊躇いなく曝け出した。


「……お前恥じらいはないのか? あーいや、恥じらわなくてよかった。寄生蜂だ」


 ユミフネは大げさなものだと思って対応したが、紛れ込んだ蟲は傷口に卵を産み付ける危険な害虫ではあった。


「取れたかね? というか取ってくれたかね?」


 虫を潰し終えても、シロロンは困り果てた様子で服を持ち上げ続けていた。 


 こんな醜態を晒しておきながら、虫を取ってもらえない可能性が脳裏に過ぎっていたらしい。


「取ったよ。捕虜でも奴隷でもそれぐらいの対応はしてやる。飼い犬のケアは飼い主がするもんだろ」


「……君はどうしてそんなワタシを辱める言葉がぽんぽんと出てくるのかね? まぁ感謝はするがね? 感謝100%だったのに、今では60%オフだぞ」


 無駄な体力を使ったすえ、訳も分からないことを言う。


 それでも足は止めず、二人は干上がった川筋を進んでいく。


「…………」


 巨大な岩石と巨大なソテツの密集地に差し掛かっていく。


 樹上、岩の裏には針金のような着生植物が蔓を伸ばしているせいで移動もままならない。


 さっきまでの軽口は影を潜め、シロロンは頻繁に足を止めた。


 鋭敏に耳を動かし、空気を嗅いでいく。


 虫の羽音、葉擦れ、水気を含んだ土を踏む音。


 どれも飽き飽きするほど慣れてしまったはずだが、シロロンはやけに落ち着きがなかった。怯えるようにきょろきょろと周囲に緊張を巡らせ続ける。


 そして数歩進んだところで、シロロンはぴたりと足を止めた。


 シロロンの尾がピンと伸びたまま静止し、次いで毛が逆立つ。


 耳が後ろへ伏せられ、喉の奥で短く息を詰める音がした。


 彼女の視線が、何もないはずの前方で固定される。


「何も見えないが、何か――」


 ユミフネの言葉を遮るように、シロロンは咄嗟に口を押え、腕を掴み岩陰へ引き込んだ。


「……わからないかね? 嫌な魔力の臭いがする」


「わからねえよ。魔力の臭いは俺には理解できない」


 落ち着きなく尾を揺らすなか、シロロンは低く小さな声でそう断言した。


 警戒するようにユミフネは拳銃の安全装置を解除した。


 五感を研ぎ澄ますように周囲に知覚を巡らせていく。


 ――――鳥の鳴き声が途絶えた。


 虫の囀りも消えた。


 ただ変わらないのは湿度を帯びた風と照り付ける日差しだけ。生物は例外なく息を潜ませているようだった。


「…………っ!」


 僅かに藪が不自然に揺れて、条件反射的に銃口を向けた。弾丸は鉛玉ではない。着弾と同時に爆発する魔石弾だ。


 並みのモンスターであれば問題はないが――。それは身を隠すことも、気配を隠すこともなく、堂々と干上がった川の痕を這いずり、姿を現していく。


 硬い鉱物を含んだ古代魚のような黒鱗は泥にまみれていながらも鈍い光沢を帯びていた。


 巨躯がソテツの巨木を押し薙いだ。


 左右に伸びた鞭のような髭が細かな草木を切り刻んで、岩陰に隠れる二人を探り出すようにうねっている。


「……ケラトドスだ」


 ユミフネは確信するようにぼやいた。

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