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美緒ちゃんは、いつも百々歌と闘っている

作者: UC

©飯島多紀哉

「浦部‼ あんた、もうサッカー部辞めた方がいいよっ!」

「…………」

「おい! 聞いてんのかよっ‼」

「緑川先輩、それはちょっと言い過ぎではないかと…」

「言い過ぎ? は? 私のどこが言い過ぎ? 遠藤、お前マネージャーの分際で言ってくれるじゃないか」

「そう言う緑川さんは補欠の分際ですよね? 今日はたまたま試合に出ら…痛いっ!」

「てめえ、浦部‼ 貴様一年のくせにっ! 一年如きがっ‼」

「そうよ、浦部さん。今のは言い過ぎですよ。緑川先輩に、きちんと謝って」

「私は悪くない。あそこでバックパスは絶対にありません! 百々歌が邪魔するから、私が攻めるしかなかったんです!」

「…また、百々歌か。ふん、もういい。お前、サッカーに向かないよ。退部したほうがいい。誰も、お前と同じチームに居たがらないんだよ」

「緑川先輩…」

 緑川は荒々しく扉を閉めると、部室を出て行った。どうせ、私への腹いせだ。私が一年生なのにレギュラーになれたことを恨んでいるのはわかっている。だって、一年でレギュラーなのは、私と百々歌だけだから。

 今年もう後がない三年生の緑川は、一年生で入部してから、ずっと補欠だった。二年間努力に努力を重ねて、やっと今年こそレギュラーになれそうだったのに、私のせいでその道も閉ざされた。努力は才能に敵わない。凡人はそれを理解するべきだ。

 今日の練習試合みたいに、余裕があるときだけ、監督にお情けで使ってもらえる。所詮はその程度の器なのだから、レギュラーになれなかった怨みを私にぶつけるのはお門違いだ。すべては自己責任でしかない。能力のないものは去れ。それがアスリートの掟じゃないか。

「やっぱり謝った方がいいよ。浦部さんの実力は誰もがわかっているけれど、あんな態度を取られたら誰だって怒るよ。今日は練習試合だったから、あれで済んだんだよ。でも、相手は因縁の安曇ヶ丘高校だったからね。スタンドプレーは禁物だよ」

「あれはスタンドプレーじゃないよ! 百々歌が邪魔しなかったら、私だってパスしてたよ! エリーなら、ベンチから見ていたんだからわかるよね?」

「…………ごめんね」

 こうやって世話を焼いてくれているのは、同じ一年生の遠藤エリ。私はエリーって呼んでる。試合が始まると、ベンチにいる一年生は私とエリーだけ。本当は百々歌もいるけれど、あいつとは話したくないから。それに、あいつにだけは絶対に負けたくないから。だから、エリーと話すことが必然的に多くなる。

 なんだかんだ言って、私も先輩には遠慮している。言いたいことが半分も言えない。それでも、試合の時は勝ちたいから必要なことは言うようにはしているけれど…辛いことばっかりだ。

 もっと楽しくサッカーをしたい。でも、それが出来ない。なんか最近、みんなが私を避けている。私のこと、嫌っているのは雰囲気でわかる。それもこれも、みんな神賀百々歌のせいだ。あいつが私の悪口を言い触らしているのは、わかっている。だからと言って、みんなもみんなだ。そんな噂を鵜呑みにして信じるから、私はどんどん孤立してしまう。

 百々歌っていうのは、本当に性格が悪い。悪いというより、どす黒い。でも、人前では猫を被っているから、人受けは良い。だから、結構人気者だったりするのも腹立たしい。あいつは腹黒なのに。あいつだけじゃなくて、あいつの家族全員が腹黒なのに。

「私、嫌われてるよね?」

「え? そんなことないよ」

「嘘。エリー、今、目を伏せたじゃん。それって、嘘ついてる証拠だよ。正直に言ってよ。私、直せることなら直すから」

「…うん。浦部さんさ、時々監督のサインを無視したり、決められたフォーメーション、守らなかったりするから」

「でも、それで勝ててるじゃん。私、何度もゴール決めてるじゃん」

「うん、それはそう。でもさ、チーム競技は勝てばいいってものじゃないから。決められたことはみんなで守って、初めてチームだから」

「私だって、守りたいよ。でも、百々歌が邪魔するじゃん。私ばっかり文句言われるけれど、そもそも百々歌がチームプレイを無視してるよね⁉」

「…また、そのせいにする」

「だって、本当の事じゃん!」

「…………」

「…もういい! みんな、わかってくれないから、もういい!」

「…あ、浦部さん」

 悪いのは私。みんな、悪いのは私だ。誰も、百々歌に文句を言わない。それは、あいつが嘘を吐くのがうまいから。誰も、あいつの本性を知らないんだ。



 私の名前は浦部美緒。鳴神学園高等学校の一年生。女子サッカー部に入っていて、レギュラーをしている。へへ、凄いでしょ。一年生でレギュラーになれるなんて、滅多にないことなんだから。

 まあ、中学のころからサッカーでは活躍していたから、私がレギュラーになれたのは当然なんだけれどね。一年生でレギュラーになれたのは、私と、神賀百々歌だけ。百々歌とは腐れ縁でさ。小学校からずっと一緒。でも、腐れ縁ってだけで犬猿の仲。とても仲が悪い。

 なのに、あいつはずっと私と一緒にいる。中学の時は学校に女子サッカー部はなかったので男子サッカー部に所属していた。その時も私と百々歌はレギュラーで、男子よりも活躍していた。地域にある中学生女子サッカーのチームにも所属して、全国リーグにも出場した。だから、高校は鳴神に入ることが出来た。本当なら、私は家庭の事情で高校になんて通えなかったんだけれどさ。

 まあ、家族のこととか色々あってややこしいんだけれど、その話はまた今度。とにかく、私は鳴神に入ったわけで、後を追うようにして百々歌も入ってきた。あいつのことは大嫌いだったけれど、あいつは私の後を追ってくるから、多分同じ高校じゃないかなとは思ってた。そして当然のように女子サッカー部に入り、当然のように私と一緒にレギュラーになった。

 そんな永遠のライバルと言っても過言ではない、大嫌いな神賀百々歌の話を聞いてほしい。



 出会いは小学三年生の時だった。

「野菜炒めにしちまいな!」

 野菜炒めっていうのは、喧嘩の時に相手をボコボコにしちまえって意味。学年で私にかなう奴は男子も含めて一人もいなかった。もちろん、私に逆らう奴もいなかった。

 自分で言うのもなんだけれど、私はいじめっ子じゃない。弱きを助け強きを挫き、いじめは絶対にしないことを信条にする、頼れる番長だった。

 でも、売られた喧嘩は当然買う。だって、負けたくないからね。私の噂を聞きつけた近隣の小学生がよく挑みに来たけれど、全員返り討ちにして泣かせてやった。そして、泣いた奴は私の子分にした。それが番長の掟だ。

 そんなある日、私のクラスに転校生がやってきた。それが神賀百々歌だった。頭も運動神経も人並み程度。とても、私の敵になるような器じゃなかった。でも、ただ一つ人とは違うものがあった。それは両親。転校初日から両親が学校にやってきて、授業中も付きっ切りだった。信じられる? 異常だよね。

 先生は困るって言ったんだけれど、両親は頭を下げて頼み込み、半ば強引に授業を参観した。それから、毎日学校に付いてきた。みんなも迷惑だったし、笑いものにしたけれど、とにかくその両親はズルかった。

 まずクラスの人気者の御子柴君に近づいて、手懐けた。御子柴君の欲しいものを餌にして、百々歌と仲良くすれば、それをあげると囁いた。

 小学生なんて、ちょろいものだ。御子柴君は、すぐに百々歌と仲良くなった。そして百々歌と仲良くなると良いことがあるという噂は、瞬く間に広まっていった。だから、欲しいもの目当てに百々歌に近づくものは何人もいた。

 いつの間にか、百々歌の両親はうちのクラスの生徒のほとんどと仲良くなった。なのに、なぜか私とだけは仲良くなろうとしなかった。別に仲良くなられても困るんだけれどさ。

 そんなある日、百々歌は御子柴君をはじめ何人もの取り巻きを連れて私の前にやってきた。相変わらず、教室の後ろには百々歌の両親がいて、ニコニコしながら娘の様子を眺めている。

 初めのころは注意していた先生も、いつのまにか笑顔で見過ごすようになったから、きっと袖の下という奴を渡したりしたのだろう。それを平気でやってのけるのが、百々歌の両親だ。

「仲良くしてほしい?」

 私の前にやってきた百々歌は、満面の笑みで私にそう言ってきた。

「はあ?」

 バァァン‼

 言うが早いか、私は百々歌の左頬を思いきり引っ叩いてやった。こういう奴は、話しても無駄だ。先手必勝。力で捻じ伏せて言うことを聞かせるのが手っ取り早い。

「うわあああああん!」

 非常ベルのようにけたたましい声をあげ百々歌は泣いた。周りにいたみんなは、びっくりしていた。そんな中、慌てて飛んできたのは百々歌の両親だった。

「あんた、なんてことすんの!」

 特に母親が毒親だ。年寄特有の臭い息を吐きかけながら、私の胸ぐらを掴んで引き上げた。父親はその様子を隣でじっと睨みつけている。

 かねてから思っていたけれど、指示を出すのは全部母親で、父親は従うだけの木偶の坊だ。そういえば、父親が話しているところを聞いたことがない。口がきけないのかもしれない、こいつ。それとも日本人じゃないのかな? きっと、そうだ。どことなく日本人離れした肌の色をしている。

 なんか、妙に冷静。こんなに近くで母親の顔を見たことなかったけれど、物凄い皺くちゃだ。もう六十歳越えてるんじゃなぁい? そう考えてみれば、父親は母親よりも遥かに年下じゃないか。二回りくらい年齢が違うんじゃないのか? 母親をどう若く見積もっても六十歳、父親を四十歳として考えたら、百々歌って一体いくつの時に産んだ子だよ。妖怪か?

「殺してやる! 殺してやる!」

 そう言いながら、毒親は私の首を思いっきり絞めてきた。

 あ、これ、本当に死ぬかも。私、こいつに殺される。直感で、そう感じた。

「やめてよ!」

「やめてください‼」

「浦部さんが死んじゃう!」

 百々歌の取り巻きだと思っていた連中が、必死に母親を私から引き離そうとしていた。いつの間にか先生も駆けつけて、私は助けられた。

「こいつ、私の百々歌を引っ叩いたんだよ! 殺していいでしょうが!」

 百々歌の母親は先生に唾を飛ばしながら食って掛かったけれど、さすがに先生も正気の沙汰じゃないと感じたのか冷静だった。

「出て行ってください! ここは教室です。父兄は立ち入り禁止です!」

 百々歌の両親に袖の下を掴まされていたと思ったけれど、さすがに死人が出たら問題なのはわかってるんだな、先生。仕事失うもんな。社会的に抹殺されるしな。いつもは情けない日和見主義の先生だったけれど、この時ばかりは頼もしかった。そう思ったのは、最初で最後だったけれどさ。

「こんな学校、辞めてやる! お前らも覚えておきな!」

 毒親は、今まで百々歌の取り巻きとして餌付けしていた連中を一人一人睨みつけ、指さしながら呪いの言葉を撒き散らすと、おんおん泣いている娘を連れて、家族そろって帰っていった。

「浦部さん、大丈夫?」

 そう言って、げほげほ咳き込む私を助け起こしたのは御子柴君だった。

「…うん」

「ごめんよ。なんか、色々もらっちゃって」

「おかしいよね。親連れて学校に来るなんて、絶対におかしいよ」

「うん。あいつのこと、これからは無視しようぜ」

「それがいいよ。そうしよう」

 みんな、魔法が解けたのか私を心配してくれたけれど、なんか白々しかった。それでも私は何も気にしていない風に笑って立ち上がり、無事だということを知らしめた。みんなの顔に明るい光が灯る。私の心のランプは消えて暗いままだったけれどね。



 もう学校に来ないと思ったのに、次の日も百々歌一家はのうのうとやってきた。さすがに先生も不味いと感じたのか、両親が教室に入るのを制止した。

「もう、帰ってもらえませんか。参観日でもないのに、教室に入られては困ります」

「教室には入りませんよ。ただ、昨日あんなことがあったばかりじゃないですか。百々歌の様子を見て、何も問題がなさそうでしたら帰りますから。廊下から、少し様子を見るだけですよ。それくらいなら、良いでしょう?」

「…まあ、それでしたら。でも、なるべく早く帰ってくださいね」

「はいはい、もちろんです」

 なんか、昨日までと違って、妙に聞き分けが良くなっていた。それが逆に怪しかったんだけれどね。

 教室に入ってきたのは百々歌だけだった。彼女は、自分の席に着くよりも早く、私のところにやってきた。

「ねえ、浦部さん」

「なに。なんか用?」

 正直、口もききたくなかったんだけれどさ。話しかけてこられたら、さすがに無視するのも何だしね。つっけんどんに言い放ってやったんだ。

「観察池、知ってる?」

「学校の裏にある、あの観察池?」

「そう、あの観察池」

 うちの学校には、結構大きな観察池がある。でも、あそこは危険ということで今は立ち入り禁止になっている。観察池というのは名前だけで、なんか沼という表現がぴったりの場所だ。

 何でも、昔あそこで生徒が溺れ死んだらしい。観察池なんかで、人が死ぬものかと笑っていたけれど、あの池を見たら頷けてしまう。それほど、怪しい見た目だ。何でも、底なし沼だという噂もある。もはや観察池じゃない。

 だから、うちの小学校の七不思議の筆頭に来るのは決まって観察池の話。観察池には、溺れ死んだ子の霊が夜になると現れるとか、誰もいないのに観察池で水が跳ねる音が聞こえてくるとか色々ある。

 そんな中で一番怖いのは、観察池に棲む謎の怪物の話だ。そいつは二本足で歩く化け物で、夜になると観察池の中から現れて学校内を歩き回り、陽が昇る前に池に帰っていくというものだ。うちのクラスには見たことのある人はいないけれど、六年生に見た人がいるって聞いた。

 夜の学校で肝試しをしたら、観察池の方から音が聞こえてきたんだって。それで行ってみたら、ちょうど池から怪物が出てくるところで、隠れて様子を窺っていたらしい。怪物は全身緑色の鱗に覆われており、大きな口にたくさんの牙が生えていて、目玉がテニスボールくらい大きくて真っ赤に光るんだってさ。それで、物凄く生臭いらしい。

 怖くなって逃げようとしたら木の枝を踏んでしまい、音が鳴っちゃって。それに反応した怪物が物凄い速さで追いかけてきて、どこをどうやって逃げたかわからないけれど、なんとか家に辿り着いた時には、足に怪物の爪痕がしっかり付いていたんだってさ。

 それで、その子は翌日から高熱にうなされて、何日か寝込んだ後、死んじゃったらしい。死ぬ時まで、ずっと「連れて行かないで、連れて行かないで」ってうなされていたらしいよ。

 だから、観察池には誰も近づかない。どうして、あそこを埋めないのかみんな不思議がっているけれど、昔埋めようとした大人が次々と死んだっていうから、やっぱり呪われているんだろうね。埋めることも出来ない場所なんだよ、あの観察池は。

「あの観察池に肝試しに行かない?」

 こともあろうか、百々歌はとんでもないことを言い出してきた。私、お化けなんて怖くないからさ。…まあ、当時は怖くなかったんだよ。幽霊とか、そんなものはいないと思っていたからさ。

「肝試し? 放課後?」

 すると、百々歌は鼻で笑ってさ。

「放課後? 明るかったら肝試しにならないじゃない。肝試しっていったら夜でしょ、夜。今晩十時に、観察池に来なさいよ。そこで、観察池の怪物を見つけたほうが勝ち」

「は? 夜中に学校に入れるわけないでしょ。馬っっっっ鹿じゃないの」

「うるさい。どんな手段を使ってでも学校に来なさいよ。私は絶対に行くから。もし来なかったら、浦部さんは意気地なしだって、学校中に言い触らすから」

「お前は来られるのかよ」

「私? 絶対に行く」

「じゃあ、私も行くよ。お前、逃げるなよ」

「逃げるわけないでしょ。それで負けた方は勝った方の子分になるのよ。一生、言うことを聞かなきゃいけないの。いいわね?」

「ああ、いいよ」

「ふふっ、決まりね。逃げないでよ、浦部さん」

「お前こそな」

 それで廊下を見たら、いつの間にか百々歌の両親はいなくなっていた。きっと、私たちの話を聞いて帰ったんだ。私には、わかっていた。絶対に百々歌は一人で来ないってことを。両親も一緒に来るってことを。

 そもそもさ、ただでさえ夜の学校だよ。しかもあの不気味でおぞましい観察池。そんな場所に夜中の十時に一人で行けると思う? 小学三年生だよ。まだ十歳にも満たない子どもだよ。夜の十時は寝ているって。普通、起きてないって。私、九時には寝てたもん。



 その日の放課後、とりあえず観察池を見に行くことにした。やっぱ、一応下見しておかないとさ。いきなり夜中に行って怖かったら、やじゃん。

「うわ、ここかぁ」

 そこさ、とても小学校の敷地内とは思えない場所だったよ。こんな場所があるのかって感じ。池というよりも、本当に沼。しかも、辺りには樹が生い茂っていてね。なんだか、小さくまとまった森っていう感じでさ。そこだけ、切り取られた異次元みたいなんだよね。

「浦部さん」

 その時、突然背中から声かけられてさ。

「うわっ!」

 思わず、私、飛び上がっちゃったよ。それで振り向いたらさ。なんか、見たことのある顔が恥ずかしそうに笑っているんだよね。

「えっと…確か…」

「染谷です。染谷洋子」

「ああ、そうだ。染谷さん」

 その子さ、染谷さんていってね。うちのクラスにいる女の子なんだけれど、いつもおとなしくて目立たない子なんだよね。たぶん、その時初めて話したはずだよ。私、誰とでも仲良く話せるけれど、染谷さんの声って授業以外で聞いた覚えなかったからさ。

「ここ、凄いね」

 染谷さん、なんか目を輝かせちゃってさ。いつも教室ではおとなしくて一人で本読んでいたり、黙って絵を描いたりしているのかな。みんなで遊んだり話したりしている印象ないから、普段は何しているのかわからないけれど、あんなに生き生きした表情は初めて見たと思うよ。

「ここ、本当に謎の生物が棲んでいるのかな?」

 なんか、変な子だと思ったよ。しげしげと観察池を見ているからさ。普通、こんなところに近づきたくないよね。そもそも立ち入り禁止だし。なのに、何でいるんだろ、染谷さん。

「今晩、私も一緒に行ってもいいかな?」

「え? どうして?」

「行きたいから」

「だって夜中の十時だよ、肝試し」

「大丈夫。うちの親は、そういうの全然気にしないし」

「えー。そういう問題じゃないと思うけどなあ」

「私、都市伝説とか大好きなの。霊感もあるんだ」

 そういう染谷さんは、なんか自慢げに鼻をヒクヒクならしてさ。私には、ピンとこなかったけどね。

「いつも読んでる本、都市伝説の本なの?」

 とりあえず聞いてみた。

「うん。都市伝説とかUFOとか幽霊とか。そういうの大好き。今度貸してあげよっか」

「いや、いらない」

「遠慮しないで。読んでみなよ。凄く面白いから」

「いや、遠慮してない。興味ないもん都市伝説とか」

 彼女、観察池を舐め回すような目で見ながら、私に話しかけてくるんだよね。

「浦部さんは、この観察池に謎の生物がいると思う? 私、絶対にいると思う。二人でさ、証人になろうよ。それで写真も撮ろう。きっとムーが写真を買ってくれるよ。インタビューもされるね、絶対」

「一緒には行けないよ。一人で行かないと駄目だから」

「どうして?」

「だって、そういうのって一人で行くもんじゃないの? 肝試しでしょ」

「さっきの話を聞いていたけれど、神賀さんは一人で来いって言ってなかったよ」

「そうだっけ」

「そうだよ。それに、神賀さんは絶対に両親と一緒に来るよ。それで、浦部さんのことを殺すの」

「えっ、マジで」

「うん、絶対に殺すね。私、霊感あるから。あの一家は人殺しの経験があるね。あの三人の背後には、殺された人の霊がいっぱい、くっ付いていたから」

「染谷さん、見えるの⁉」

「もちのろんです。私、霊感強いから。だから、私を一緒に連れていきなよ。浦部さんを守ってあげられるよ、あの一家から」

 染谷さんとは、今まで話したことなかったけどさ。なんかこう、とたんに頼りになりそうに思えてさ。

「うん。じゃあ、一緒に行こう」

 染谷さんって、よくわからない子だったけれど、確かに百々歌は両親と一緒に来るに決まっているから。それに、絶対に何か企んでいるはずだし。

 だから、一緒に行くことにした。別に怖かったわけじゃないからね。



 一時間前に待ち合わせしたんだけれど、家を抜け出すのが大変だったよ。そんな時間に家を出るなんて親に許してもらえるわけないからさ。寝たふりしてそっと抜け出そうとしたんだけれど、慌てて寝過すとこだった。

 校門の前で待ち合わせしたんだけれど、染谷さんはもう待っていたよ。

「ようこそ、いらっしゃいました」

 別に家に行ったわけじゃないのに、なんか変な挨拶されてさ。

「あ、どうも」

 とか言って、私も変な挨拶を返した。

「やっぱ、校門閉まってるね」

「当り前でしょう。でも大丈夫。裏へ行こう」

「ねえ、一時間も前に待ち合わせして、早過ぎたんじゃない?」

「いいの、いいの。こういうのは、相手よりも先に来ていないと意味がないから。何事も先手必勝っていうじゃなぁい?」

 なんか染谷さんは、手慣れている感じでさ。勝手に、すたすた歩いていくんだよね。私は何もわからないしさ、付いていくしかないんだけれど。

「懐中電灯は持ってきた?」

「あ、忘れちゃった」

「だと思った。はい、浦部さんの分」

「あ、ありがとう」

 そんな感じで、用意周到でさ。なんか、とても初めてとは思えなかった。

「どこへ行くの?」

「裏にさ、子どもなら入れそうな金網があるんだよね。そこから中に入れるよ、きっと」

「まさか前にも来たことあるとか?」

「ないない。こんなところ、夜中に一人で来られないっしょ。あ、ここ、ここ」

 確かに金網がちょっと捲れてて、隙間が空いている。でも、小さすぎてここから入るのは難しそう。

「うーん、ちょっと無理かなあ。少し待っててね」

 染谷さん、懐中電灯を取り出したバックパックから、ペンチを取り出して金網をパチンパチン切り始めたんだ。この子、何者なんだろうって、ちょっと怖くなった。普通、こんなもの持ち歩かないよね。

「ほら、入れる」

 手際よく済ませて、金網を持ち上げた。なんか、物凄く悪いことをしているんだけれど、凄くドキドキしてね。なんだか自分が映画の主人公になった気分。

「身を低くして。隠れて」

 観察池に近づくと、うっそうと樹が茂っていて、懐中電灯があっても、よく見えなかった。私は、染谷さんに言われるがまま、従った。

「懐中電灯、消して」

 うすぼんやりと見えていた辺りは、完全な闇に包まれた。

「すぐに目が慣れるから。それまで、この茂みに隠れていようね」

 染谷さんは、本当に頼りになった。私は、従っていればいい。

 言われた通り、だんだんと暗闇の中で眼が慣れてきた。暗いけれど、何となく景色の輪郭がわかるようになってきた。

「それでね。神賀さんが来たら、脅かそう。私が合図したら、二人で「わっ」て出て行くの。そうしたらさ、びっくりして神賀さんは池に落ちるよ。きっと家族全員が池に落ちると思う。ざまあみろだよね。面白いね」

 暗闇だけれど、染谷さんの笑顔がくっきり見えた。ちょっと怖くて心臓がキュッってなった。

「でもさ、池に落ちたら危ないんじゃない?」

「平気、平気。だってさ、神賀さんは浦部さんにもっと酷いことすると思うよ。今のうちに懲らしめておかないと、これからも何をするかわからないから。これはね、戦争なの。生きるか死ぬかの戦争なの」

「…戦争」

 そう説く染谷さんの言葉は怖かったけれど、妙に説得力があった。確かに、家族三人でやってきたら、何をされるかわからない。昨日だって、殺されそうになって一瞬走馬灯が見えたじゃないか。

 するとさ、がさがさと樹々の擦れる音が聞こえてきたんだ。そして、足音もね、まだ約束の時間には早いけれど、百々歌たちがやってきたんだ。

「暗くて、よく見えないよ」

「百々歌ちゃん、静かにして。今日で全部決めるんだから。もうすぐ、あなたが女王様だからね。やっぱり早く来て正解だわ。準備できるものね」

「楽しみ、ママ」

「パパ、懐中電灯、きちんと照らしてちょうだい。百々歌ちゃんが転んじゃうでしょ」

「うーぁ」

 あの三人だった。やっぱり、一人で来るわけないよね。全部決めるって何? 女王様って何? なんなの、この家族。

「百々歌ちゃん、あれが観察池よ」

「うわぁ、気持ち悪い。それに変な臭いがする」

「そうね。あそこに浦部を突き落としましょうね。それで、パパに沈めてもらいましょ。パパは力持ちだから、浦部なんてイチコロよ。観察池には化け物がいるっていうから、そいつのせいにすればいいの。そいつが殺したってことにすれば全部、上手くいくわ。うふふふふ」

「ママは天才だね」

「百々歌ちゃんは、それ以上よ。可愛いし、立派な女王様になれるわ」

「はい。百々歌は女王様になります」

 気持ち悪い。こいつら、私を本気で殺そうとしてる。

「それじゃあ、懐中電灯を消して。そこの茂みに隠れて、浦部がやってくるのを待ちましょうね」

「はい、ママ」

「今よ!」

 三人が池を覗くような姿勢になるのを見計らって、染谷さんが私の背中を押した。

「わっ!」

 私は茂みから三人に向かって飛び出した。大きく手を振り上げ、力いっぱい驚かせてやった。

「ひゃあ!」

「ぎゃっ!」

「うーぁ!」

 三人は予想以上に驚いてくれ、そのまま池に身を投げた。

「やったね、大成功!」

 私は嬉しくて隣にいる染谷さん…あれ? 染谷さん? 一緒に驚かした…はずの染谷さんが隣にいない? 見ると、染谷さんは茂みに隠れたままクスクスと笑っている。

 染谷さん、裏切った? 一緒に驚かせるんじゃなかったの? どうして、まだそこにいるの?

「浦部さん、凄かった。ほら、見てごらん。池の中でばたばた暴れているよ、神賀さんたち。記念に写真、撮っておこうね」

 ようやく立ち上がった染谷さんはカメラを手にパシャパシャ写真を撮り始めた。フラッシュに照らされるその笑顔が、とても不気味で恐ろしかった。

「もう助けないと」

「なに言ってんの。こいつら、浦部さんのことを殺そうとしたんだよ。殺人鬼だよ。犯罪者なんだよ」

 百々歌に差し伸べようとした手を、染谷さんは引き戻した。

「え?」

「それにさ、たかが観察池だよ。深くないんだよ。落ち着けば立てるし、水だって膝までしかないんだから。助けなくても、勝手に助かるから。大丈夫。ね?」

 言われて改めて池を見たけれど、とてもそうは思えない。三人とも、本気で溺れているようだ。首までつかり、苦しそうに手をばたつかせている。本当に、膝までしかないのだろうか?

「もう、行こ!」

 染谷さんは私の手を握り、駆け出した。

「あっ」

 私はつんのめりそうになりながらも、染谷さんの後を追った。なんか…気持ちいい。風になるって、こういうことを言うのかもしれない。今、私は空を飛んでいるんだ。最高に気分がいい。どこまでも飛んで行け。

 その日、家に帰ったら抜け出しているのがバレて怒られたけれど、その夜はぐっすりと眠れた。



 次の日、朝起きたら少し怖くなった。もしかしたら、学校で仕返しされるかもしれなかったから。でも、自分は悪くない。悪いのは百々歌だ。百々歌の家族だ。

 でも、学校では何も起きなかった。百々歌は学校を休んでいたし、当然百々歌の両親も学校に来ていなかった。

 染谷さんは、私に話しかけてこなかった。

「おはよう」

 私がそう言っても、ぺこりと頭を下げるだけで何も言わなかった。そして、席に座って本を読んでいる。昨日話していた、ムーとか言う本だ。

 いつもの日常だ。染谷さんと私は、友達でも何でもない今までと同じ日常。まるで昨日の夜の大冒険なんて何もなかったかのように思えてしまう。

「やあ、浦部さん。昨日、観察池に行ったのかい?」

 突然、御子柴君が話しかけてきた。興味津々で眼を輝かせている。

「あ、うん。行かなかった。行くわけないじゃん」

 咄嗟に嘘を吐いた。行ったと言いたかったけれど、行かないと言った方が普通に思えた。御子柴君はちょっと残念そうな顔をしたけれど、すぐに笑った。

「そうだよな。夜中に学校になんか行くわけないもんな」

「そうだよ。学校に入れるわけないじゃん」

「神賀さんは行ったのかな?」

「さあ。わかんない」

 私と御子柴君のやり取りを、染谷さんはじっと聞いている。いや、聞いていないのかもしれない。読書に夢中で、私たちの会話が聞こえていないのかもしれない。そうだ。きっと、そうだ。

 私は、無理に自分にそう言い聞かせた。



 その日、私は高熱を出した。風邪を引いたのかもしれない。風邪を引くなんて滅多にないことなのに、私は40℃を超える高熱に魘された。

「お前を許さない。お前を殺してやる」

 夢の中で百々歌が出てきた。ずぶ濡れになった百々歌が、ドロドロに濁った眼で私を睨みつけていた。そして、何度も何度も呪いの言葉をぶつけてきた。それは永遠に覚めることのない夢に思えたけれど、四日後にやっと目が覚めた。

 起きたら、熱はすっかり冷めていた。まだ頭がぼんやりしたけれど、それでも熱が下がったのだから学校に行かなければならない。

 教室に行くと、百々歌がいた。私が休んでいるうちに、百々歌は登校してきたみたいだ。自分の席に座って、じーっとしている。不思議と両親はいない。さすがに、あんなことが起きて、身を引いたのだろう。もう、私に逆らったりしない方がいいと悟ったのかもしれない。きっと、そうだ。百々歌も、席に座っておとなしくしているから、両親に釘を刺されたのかもしれない。

「浦部さん、大丈夫だった?」

 突然、背後から染谷さんが声を掛けてきた。今日は無視しないのか。どういう風の吹き回しだろう。

「うん、大丈夫」

 染谷さんは、何かワクワクしたような目をしている。興奮しているみたいだ。

「あのね、神賀さんがね、死…」

「無事だったんだね。よかったよ」

 私がそういうと、染谷さんは一瞬きょとんとした顔で首を傾げた。

「え?」

「だって、自分の席に座っているじゃん、百々歌」

「…見えるの、浦部さん? 神賀さんが見えるの?」

「え? 染谷さん、何言ってんの? それにしても百々歌の奴、さすがに反省したんだな。おとなしく席に座っているなんて、もう変なことしてこないよね、きっと」

 私の話を、不思議そうな顔で聞いている染谷さんだったけれど、突然私の手を両手で握って思い切り顔を近づけてきた。

「浦部さん…ううん、美緒ちゃん!」

「え? え? 何?」

「私、美緒ちゃんが大好き!」

「うわ、顔近い、顔近い」

「友達になろ。ううん、親友。もう私たちは親友。ね? いいよね?」

「あ、うん。良いけど」

「きゃっ、嬉しい!」

 そう言って、染谷さんは思い切り私に抱き着いてきた。

「あっ、苦しい、苦しいから。離れて、離れてってば。みんな、見てるから」


 それが私と染谷さんの仲の始まり。それ以来、中学校も高校も私と洋子ちゃんと百々歌はずっと一緒にいる。

 なんかおかしな縁だよね。



                                   完

飯島多紀哉先生のツイキャスのメンバーシップ「満漢全席コース」の特典で執筆していただいた小説です。

掲載許可を頂いております。


飯島先生原作・シナリオの『アパシー 鳴神学園七不思議』に登場する浦部美緒が主人公の小説です。


こちらの小説は『pixiv』にも掲載しております。

https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=24780688


飯島先生ツイキャス

https://twitcasting.tv/araninotomo

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