98. あの日のその後
「ごめんね、泣いちゃって」
「いいんですよ。今に始まったことではないじゃないですか」
「…」
楽しそうに言うエステルに、アーサーは少し不満げな、きまり悪そうな顔をする。
「アーサーが泣き虫だと言っているわけではないですよ?」
「言っているようなものじゃない?」
「いつでも泣くわけではないじゃないですか。アーサーが泣くのは、本当に大事なもののためだけでしょう?」
「…そうなのかな」
「ええ、そうですよ」
ほほえんで見せるエステル。
「ところで、そんなアーサーを泣かせたトール君とは、どんな人なのですか?」
「…トールはね、いい人だよ。優しい子なんだ。…俺には、もったいなさすぎるくらいに」
そう言ってほほえんだアーサーの微笑みはとても優しく、そして悲しかった。
「…」
ものありげにアーサーを見つめるエステル。
「トールとは王都の少し南の町で出会ったんだ。トールは弱いからって理由で騎士見習いをクビになっちゃって、故郷に戻る途中だったんだって。全然、弱くなんかないんだけどね。突然町に現れたウォーウルフにも、立ち向かっていくような子なんだ。思わず危ないところを助けたら、…正体を見破られちゃった」
「アーサー、かなり油断したんですね。あなたのその状況なら助けないでしょうに。意外です」
「俺も、自分でびっくりしちゃった。…どこか、あいつに似てたんだよね」
「納得です。では、トール君は故郷に帰る途中なのですか?」
「一応ね。でも、トールもいろいろあって故郷に戻りづらいらしくて。俺と一緒に来てくれてるんだ」
「アーサー、脅してないですか?」
エステルの問いに、アーサーはぎくりとする。
「…最初だけだよ」
アーサーはにこっと笑った。
「最初は脅したんですね」
「…」
目を泳がせるアーサー。それを見て、くすくすと笑うエステル。
「トール君の意思でアーサーといるのなら、私からは何も言いませんよ」
「自分の意思で来てくれてる。…はず」
最後は自信なさげにするアーサーだった。
「意地悪な質問をしてしまってすみません」
いたずらっ子のようにほほえむエステルに、アーサーはふっと笑う。
「エステル、変わらないね。…ありがとう、確認してくれて。俺、すぐに周りの人たちを道連れにしちゃうから。…トールに関しては、もう、手遅れかもだけど」
アーサーの言葉の端には、恐怖がにじんでいた。
「だいぶ入れ込んでるんですね」
ふふ、と笑うエステル。
「そうみたい。あはは、俺、また間違いを犯そうとしているのかも」
乾いた笑い声を上げるアーサーを見て、エステルは怪訝な顔をする。
「…また、とは?」
「…なんでもないよ」
にこっと笑うアーサー。
それを見て、何かを察するエステル。
「アーサー。あなたは、今もあの人のことを…」
「うん」
アーサーはうっすらと微笑みを浮かべた。
「やはり、そうでしたか。…私に何かできることがあればよかったのですが…」
「いいんだよ、エステル。…これは、俺のわがままだから」
「わがままだなんて、そんな…」
「わがままだよ。あの日、彼女を取り戻せなかった時点で、俺の彼女を取り戻す物語は終わったんだ。それなのに、俺はもう一度、物語を始めてるんだから」
「始めたっていいじゃないですか。あなたの願いが叶わなくなったわけではないですし、あなたの人生が終わったわけでもありません。あなたの人生は、まだ続いているんです。もう一度、叶えられなかった願いを叶えようとすることのどこがわがままなのです?」
エステルの言葉に、目を見張るアーサー。
「…そっか、君もそう言うのか」
「?」
ぼそりと呟いたアーサーの言葉に、エステルは首をかしげる。
「…」
それに対して、アーサーは曖昧にほほえむだけだった。
それを見て、はあ、と息をつくエステル。
「…まったく、あなたは難儀な人ですね、アーサー」
「そう?」
アーサーはこてんと小首をかしげた。
「ところで、エステルは?…あの後、どうしてたの?」
少し不安をにじませながら、尋ねるアーサー。
「私は、変わらずですよ」
エステルは安心させるかのようにほほえんだ。
「魔王討伐出発前のように、神官としての勤めを果たす日常です。変わったことと言えば、一級に昇進したことと、キャロルが弟子になってくれたことでしょうか」
「エステル、一級になったんだ。おめでとう」
アーサーは嬉しそうに祝辞を述べる。
「ふふ、ありがとうございます。信じられないですよね、私が一級にまでなるなんて」
「そう?俺は不思議じゃないよ。だって、エステルはすごい人だもん」
きょとんとして言うアーサーに、目をぱちくりとさせるエステル。
「アーサーも変わりませんね。…安心しました」
目を伏せがちに、エステルは言った。
それに対し、複雑な顔をするアーサー。
「そうかな。…ところで、そのキャロルって?」
「まだちゃんと説明できてなかったですね。キャロルは、魔物討伐の最中に私が助けた子なんです。恥ずかしながら、私は彼女のことは覚えていなかったのですが。キャロルもいろいろあって教会には入っていなかったのですが、それ以降教会に入りまして」
エステルは誇らしげにほほえむ。
「あの子は優秀なんです。教会に入ってまだ三年なのに、もう二級神官なんですよ。異例の速さです」
「そうなんだ」
「はい。魔王討伐後、教会に戻った私の元にやってきて、キャロルは私に師事したいと言ってくれたんです。びっくりしました。まさか、私に弟子ができるだなんて」
くすくすと笑うエステル。
「嬉しそうだね、エステル」
アーサーの言葉に、エステルは照れくさそうにはにかむ。
「はい、実は。やっぱり、誰かと一緒に旅をできるというのはいいことですね。私は、再び一人になってしまうと思っていたので」
「…」
「アーサー、キャロルは信頼して大丈夫です。あの子はいい子です」
「うん。エステルがそう言うなら、信じるよ」
「ありがとうございます、アーサー」
エステルはほっとしたようにほほえんだ。
アーサーはふと思い出したように尋ねる。
「そういえば、エステルはどうしてここに?」
「『災いの森』に関することで、とでも言っておきましょうか」
エステルはにっこりとほほえんだ。
「『災いの森』って?」
「この森のことです。魔王は倒されました。平和な世界が訪れたはずです。けれど、そんな世界で魔王がいた時のようなことが起こっている――瘴気のように。それを人々は災いと見なすんです。なので、この森は『災いの森』なんですよ」
「へえ」
「詳しいことはまた後でお話しします。きっと、トール君もいる方がいいでしょうから」
「?」
エステルの言葉に、アーサーは首をかしげる。
「そろそろ、トール君も目覚めている頃です。私たちの泊まっている民家に行きましょうか」
エステルは立ち上がりつつ言った。
アーサーは戸惑いを顔に浮かべた。
「ねえ、エステル」
「なんですか?」
「そこ、俺、行っていいの?」
エステルは首をかしげる。
「俺は反逆者だよ。そんな俺が、仮にもかつての仲間であるエステルと接触したことがばれたら、エステルがただじゃ済まない。エステルだって、わかってるでしょ?」
アーサーの目は真剣だった。
「もちろん、わかってますよ」
エステルはにっこりとほほえんだ。
「私のしていることは、患者様のお連れの方を、患者様のところへご案内することだけです。神官の行動として、何か問題でも?」
それを聞いて、アーサーは笑いだした。
「あはは、そういうこと。そしたら俺は、瘴気にやられたトールの連れのアシル。これでよろしくね」
「ええ、承知しました」
ほっとした顔をするアーサー。
ふと、アーサーは何かに気が付いたように、はっとした。
「エステル、あのさ」
「はい」
「この先の街って、もしかして…」
おそるおそる尋ねたアーサーに、エステルはこくりとうなずく。
「はい。アデオラです」
「…そっか」
街の名を聞いて、アーサーは顔を曇らせる。
「嫌なところに来ちゃったなあ」
そんなアーサーを見て、エステルは目を伏せた。
「…そうですよね。無理にとは言いません」
エステルは心配げにアーサーを見た。
「やめておきますか?」
「…ううん。もう、あのときとは違うから」
アーサーはにこりと笑うと、立ち上がり、エステルに言う。
「神官様。俺をトールのところへ連れていってくれませんか?」
「はい。女神様のしもべたる我ら神官は、あなた様のお望みを叶える手助けをいたしましょう」
神官式のお礼をするエステル。
アーサーとエステルは目を見合わせると、思わず吹き出した。
「あはは、慣れないなあ、これ」
「私もです。違和感しかないですね」
二人は笑いながら、街に向かって歩いて行った。
この再会が何を引き起こすのか、まだ誰も知らない。
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