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英雄の死に、祝福を。 ―魔王を倒した英雄が反逆したその後の物語―  作者: 坂町ミナト
3

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94. 黒髪の神官 その1

まぶたを開けると、そこには木目調の天井が広がっていた。


「…?」


――ここ、どこだ?


なんだか前にもあったような状況だった。


いまいち働かない頭で、トールは起きたことを思い返す。


――アーサーさんに追い付けなくなって、それで…。


その後が思い出せなかった。もやがかかったみたいに、ぼんやりとしていた。思い出せそうで思い出せないのがもどかしかった。


トールは体を起こす。記憶が途絶える前のような体の重さはなかった。


トールはベッドの上にいた。部屋の中には、ベッドが二台とクローゼット、机が置いてあった。よくある民家の中のようだった。


窓際に置かれた机の前に、一人の女の子が座っていた。トールと同じくらいの年のようだった。タッセルのついた大きなベレー帽に目が行く。ベレー帽の端から、外側にはねた短めの黒髪がのぞいていた。


女の子がめくる本のページの音が心地よかった。


――誰だ…?


女の子の後ろ姿を眺めていると、女の子はトールの視線に気付き、振り向いた。


「あ、起きられましたか」


低めな声だった。


「えっと…」


戸惑うトール。


女の子は立ち上がると、トールの方へやって来て、トールのいるベッドの隣のベッドに腰かける。


――神官なのか、この子。


大きなベレー帽と神官服を見て、トールは判断する。大きなベレー帽は神官の制服だ。


凛とした顔立ちの彼女は、トールのことをじっと見る。


吸い込まれそうな黒い瞳に見つめられ、トールは緊張を覚えた。


「体調はどうですか?」


「あ、大丈夫です、たぶん」


「なら、よかったです」


女の子はふっと軽くほほえんだ。


「あの、ここは…」


「私たちが借りている民家です。アデオラの壁外街にあります」


「アデオラ、ですか」


トールも知っている地名だった。南へ続く街道の途中にある、大きな街だった。


――というか、なんで、民家?


トールは首をかしげる。神官がいるならば、教会にいてもよさそうなものなのだが。


「はい。あなたは、瘴気にやられて倒れたんですよ」


「瘴気?」


目を見開くトール。


「そうです。どうして、『災いの森』なんかにわざわざ入ったんです?」


「『災いの森』?」


「知らないで入ったんですか?」


きょとんとするトールに、女の子は驚いたような、あきれたような表情を浮かべる。あきれの方が強いかもしれない。


無言でうなずくトールに、女の子ははあ、とため息をつく。そして、じとっとした視線をトールに向けた。


「あの森は、瘴気が出るんです。薄いですけどね。この辺の人なら知っているはずですが」


「そうだったんですか。俺、この辺に来たばかりで…」


「…そうだったのですか。それは、すみません」


決まり悪そうに目を反らす女の子。


「いや、そんな…」


なんだか申し訳なくなってくるトール。


女の子はトールの方に視線を戻すと、真剣な目をして尋ねた。


「何があったか、覚えてます?」


その瞬間、トールの脳裏に嫌な記憶が走った。もやが晴れて、見えそうで見えなかった記憶が、鮮明によみがえる。


「…っ」


背筋にぞわりと悪寒が走った。


焦りを浮かべ苦しそうな顔をするアーサーと、その首を絞める自分の両手が見えた。銀色とも見まがうアーサーの瞳は、まっすぐにトールを見つめていた。


手のひらに、嫌な感触がよみがえってきた。


「…俺っ、何を…」


トールは自分の両手のひらを見つめる。


――俺、アーサーさんの首を絞めた?この手で?


信じられなかった。


しかしそれ以上に、どうしようもないほどの自身への嫌悪感がトールを襲う。トールの瞳孔が揺れた。吐き気さえした。


あからさまに様子が変わったトールを見て、女の子は焦って付け加える。


「すみません、聞き方を間違えました。なぜ、あなたが瘴気にやられたか、覚えてますか?」


「…?どういうことですか?」


「さっき、私、あなたは瘴気で倒れたって言いましたよね。でも、それはおかしいんです。倒れるほどの瘴気じゃない。せいぜい、少し気分が悪くなる程度です。それなのに、あなたは倒れた。何か、心当たりはありますか」


女の子はトールに聞き直す。女の子の吸い込まれるような漆黒の瞳に見つめられ、トールはすっと落ち着く。息が楽になった。


トールが落ち着いたのを見て、女の子はほっと安堵の息をついた。


「えっと、心当たり…」


記憶をたどるトール。一つの記憶にたどり着き、トールははっとする。


「あるかも、しれないです」


トールは女の子を見る。


「俺、一度、魔法薬を吸ってます」


マックの村のホーンラビット退治に赴いた時のことだった。


「魔法薬?」


女の子は眉をひそめた。


「魔法薬って、あの魔法薬ですか?魔力増強の?」


「えっと、たぶんそれです」


どうやら魔法薬にも種類があるらしい。しかしトールには、いまいち違いがわからなかった。まして自分の吸ったものが何なのかわかるはずもなかった。吸おうと思って吸ったわけでもなかったし。


「まさか、裏の世界で流通している、魔物に使うやつじゃありませんよね?」


「…」


――それな気がする…。


トールは曖昧な笑みを浮かべておいた。


はあ、とため息をつくと、女の子は冷ややかな視線をトールに向ける。


「なんで、そんなものを吸ったんです?」


女の子の視線が何気につらかった。


「吸おうと思って吸ったわけじゃないんですよ…。森でホーンラビットの巣に落ちちゃって、そしたらそこに魔法薬がまかれていたんです」


「そうですか。災難でしたね」


「まあ、そうですね…」


女の子は机においてあった水差しからグラスに水をつぐと、トールに差し出した。トールはお礼を言って水を飲む。思っていたよりものどが渇いていたのか、水がしみた。


「味はどうですか?」


「味ですか?」


唐突な質問に、トールは面食らう。


「そうです」


「え…。普通の水ですけど」


それを聞いた女の子は、納得がいっていないのか、思案顔だった。


「?」


小首をかしげるトール。


「教会には行ったんですよね?」


「一応。…時間は経ってましたけど」


――そういえば、ドラゴンにやられるまで教会に診てもらってなかったな…。


いろいろありすぎて、魔法薬を吸ってしまったことをすっかり忘れていた。すぐに教会に行くべきだったのだが。


「まあ行きますよね、普通」


――俺、普通じゃなかったのか…。


「今あなたに渡した水に、私の魔力を入れておいたんです。何も問題ない人には、普通の水の味しかしません。魔法薬を吸ってたり、魔物の毒にやられてたりしたら苦く感じるはずなんですけど」


「え?」


トールは目を丸くする。


「普通の水だったんですよね?」


トールはもう一度、グラスに口をつける。


「…普通の水です」


「…変ですね」


「…」


――俺、なんで倒れたの?


どうやら、もうトールには魔法薬の影響はないらしい。しかし、普通なら倒れるはずのない薄さの瘴気でトールは倒れた。女の子の言うとおり、何か変だった。


「一応聞きますけど、他に心当たりは?」


「ないですね…」


「気分は今は平気ですか」


「それは大丈夫です」


「そうですか。急は用さないみたいなので、ひとまず様子を見ましょう。しばらくここで安静にしててもらっていいんで」


「いや、でも、迷惑になるんじゃ…」


女の子はじとっとした目を向ける。


「自分で言っておいて迷惑とは言いませんよ。というか、安静にしててください」


「あ、はい」


女の子の圧に、トールは大人しく従う。


――また安静か…。


トールは自分の負傷の多さにがっくりとする。


ふと、トールはあることに気付く。


「あの」


トールは女の子に尋ねる。


「なんですか?」


「俺、一緒にいた連れの人がいたんですけど…。その人って、瘴気にやられたりしていませんか?」


アーサーが倒れているところは想像できなかったが。


しかし、トールが首を絞めてしまったのだ。アーサーだって完全無欠ではない。心配だった。


「…」


女の子はじっとトールを見つめる。


「?」


漆黒の瞳に見つめられ、トールはどぎまぎとする。


女の子が口を開いた。


「それは、アーサー・ラングレットのことですか?」


読んでいただきありがとうございます!


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次回更新は8/21です。

次回もよろしくお願いします。

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