94. 黒髪の神官 その1
まぶたを開けると、そこには木目調の天井が広がっていた。
「…?」
――ここ、どこだ?
なんだか前にもあったような状況だった。
いまいち働かない頭で、トールは起きたことを思い返す。
――アーサーさんに追い付けなくなって、それで…。
その後が思い出せなかった。もやがかかったみたいに、ぼんやりとしていた。思い出せそうで思い出せないのがもどかしかった。
トールは体を起こす。記憶が途絶える前のような体の重さはなかった。
トールはベッドの上にいた。部屋の中には、ベッドが二台とクローゼット、机が置いてあった。よくある民家の中のようだった。
窓際に置かれた机の前に、一人の女の子が座っていた。トールと同じくらいの年のようだった。タッセルのついた大きなベレー帽に目が行く。ベレー帽の端から、外側にはねた短めの黒髪がのぞいていた。
女の子がめくる本のページの音が心地よかった。
――誰だ…?
女の子の後ろ姿を眺めていると、女の子はトールの視線に気付き、振り向いた。
「あ、起きられましたか」
低めな声だった。
「えっと…」
戸惑うトール。
女の子は立ち上がると、トールの方へやって来て、トールのいるベッドの隣のベッドに腰かける。
――神官なのか、この子。
大きなベレー帽と神官服を見て、トールは判断する。大きなベレー帽は神官の制服だ。
凛とした顔立ちの彼女は、トールのことをじっと見る。
吸い込まれそうな黒い瞳に見つめられ、トールは緊張を覚えた。
「体調はどうですか?」
「あ、大丈夫です、たぶん」
「なら、よかったです」
女の子はふっと軽くほほえんだ。
「あの、ここは…」
「私たちが借りている民家です。アデオラの壁外街にあります」
「アデオラ、ですか」
トールも知っている地名だった。南へ続く街道の途中にある、大きな街だった。
――というか、なんで、民家?
トールは首をかしげる。神官がいるならば、教会にいてもよさそうなものなのだが。
「はい。あなたは、瘴気にやられて倒れたんですよ」
「瘴気?」
目を見開くトール。
「そうです。どうして、『災いの森』なんかにわざわざ入ったんです?」
「『災いの森』?」
「知らないで入ったんですか?」
きょとんとするトールに、女の子は驚いたような、あきれたような表情を浮かべる。あきれの方が強いかもしれない。
無言でうなずくトールに、女の子ははあ、とため息をつく。そして、じとっとした視線をトールに向けた。
「あの森は、瘴気が出るんです。薄いですけどね。この辺の人なら知っているはずですが」
「そうだったんですか。俺、この辺に来たばかりで…」
「…そうだったのですか。それは、すみません」
決まり悪そうに目を反らす女の子。
「いや、そんな…」
なんだか申し訳なくなってくるトール。
女の子はトールの方に視線を戻すと、真剣な目をして尋ねた。
「何があったか、覚えてます?」
その瞬間、トールの脳裏に嫌な記憶が走った。もやが晴れて、見えそうで見えなかった記憶が、鮮明によみがえる。
「…っ」
背筋にぞわりと悪寒が走った。
焦りを浮かべ苦しそうな顔をするアーサーと、その首を絞める自分の両手が見えた。銀色とも見まがうアーサーの瞳は、まっすぐにトールを見つめていた。
手のひらに、嫌な感触がよみがえってきた。
「…俺っ、何を…」
トールは自分の両手のひらを見つめる。
――俺、アーサーさんの首を絞めた?この手で?
信じられなかった。
しかしそれ以上に、どうしようもないほどの自身への嫌悪感がトールを襲う。トールの瞳孔が揺れた。吐き気さえした。
あからさまに様子が変わったトールを見て、女の子は焦って付け加える。
「すみません、聞き方を間違えました。なぜ、あなたが瘴気にやられたか、覚えてますか?」
「…?どういうことですか?」
「さっき、私、あなたは瘴気で倒れたって言いましたよね。でも、それはおかしいんです。倒れるほどの瘴気じゃない。せいぜい、少し気分が悪くなる程度です。それなのに、あなたは倒れた。何か、心当たりはありますか」
女の子はトールに聞き直す。女の子の吸い込まれるような漆黒の瞳に見つめられ、トールはすっと落ち着く。息が楽になった。
トールが落ち着いたのを見て、女の子はほっと安堵の息をついた。
「えっと、心当たり…」
記憶をたどるトール。一つの記憶にたどり着き、トールははっとする。
「あるかも、しれないです」
トールは女の子を見る。
「俺、一度、魔法薬を吸ってます」
マックの村のホーンラビット退治に赴いた時のことだった。
「魔法薬?」
女の子は眉をひそめた。
「魔法薬って、あの魔法薬ですか?魔力増強の?」
「えっと、たぶんそれです」
どうやら魔法薬にも種類があるらしい。しかしトールには、いまいち違いがわからなかった。まして自分の吸ったものが何なのかわかるはずもなかった。吸おうと思って吸ったわけでもなかったし。
「まさか、裏の世界で流通している、魔物に使うやつじゃありませんよね?」
「…」
――それな気がする…。
トールは曖昧な笑みを浮かべておいた。
はあ、とため息をつくと、女の子は冷ややかな視線をトールに向ける。
「なんで、そんなものを吸ったんです?」
女の子の視線が何気につらかった。
「吸おうと思って吸ったわけじゃないんですよ…。森でホーンラビットの巣に落ちちゃって、そしたらそこに魔法薬がまかれていたんです」
「そうですか。災難でしたね」
「まあ、そうですね…」
女の子は机においてあった水差しからグラスに水をつぐと、トールに差し出した。トールはお礼を言って水を飲む。思っていたよりものどが渇いていたのか、水がしみた。
「味はどうですか?」
「味ですか?」
唐突な質問に、トールは面食らう。
「そうです」
「え…。普通の水ですけど」
それを聞いた女の子は、納得がいっていないのか、思案顔だった。
「?」
小首をかしげるトール。
「教会には行ったんですよね?」
「一応。…時間は経ってましたけど」
――そういえば、ドラゴンにやられるまで教会に診てもらってなかったな…。
いろいろありすぎて、魔法薬を吸ってしまったことをすっかり忘れていた。すぐに教会に行くべきだったのだが。
「まあ行きますよね、普通」
――俺、普通じゃなかったのか…。
「今あなたに渡した水に、私の魔力を入れておいたんです。何も問題ない人には、普通の水の味しかしません。魔法薬を吸ってたり、魔物の毒にやられてたりしたら苦く感じるはずなんですけど」
「え?」
トールは目を丸くする。
「普通の水だったんですよね?」
トールはもう一度、グラスに口をつける。
「…普通の水です」
「…変ですね」
「…」
――俺、なんで倒れたの?
どうやら、もうトールには魔法薬の影響はないらしい。しかし、普通なら倒れるはずのない薄さの瘴気でトールは倒れた。女の子の言うとおり、何か変だった。
「一応聞きますけど、他に心当たりは?」
「ないですね…」
「気分は今は平気ですか」
「それは大丈夫です」
「そうですか。急は用さないみたいなので、ひとまず様子を見ましょう。しばらくここで安静にしててもらっていいんで」
「いや、でも、迷惑になるんじゃ…」
女の子はじとっとした目を向ける。
「自分で言っておいて迷惑とは言いませんよ。というか、安静にしててください」
「あ、はい」
女の子の圧に、トールは大人しく従う。
――また安静か…。
トールは自分の負傷の多さにがっくりとする。
ふと、トールはあることに気付く。
「あの」
トールは女の子に尋ねる。
「なんですか?」
「俺、一緒にいた連れの人がいたんですけど…。その人って、瘴気にやられたりしていませんか?」
アーサーが倒れているところは想像できなかったが。
しかし、トールが首を絞めてしまったのだ。アーサーだって完全無欠ではない。心配だった。
「…」
女の子はじっとトールを見つめる。
「?」
漆黒の瞳に見つめられ、トールはどぎまぎとする。
女の子が口を開いた。
「それは、アーサー・ラングレットのことですか?」
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